#22 引導
「はは!良いねぇ、イシュワって本当にいい子だなぁ」
マキナは鼻歌混じりにオペラグラスを覗き込んでいた。
この家の屋上は寮のある広場と、ヘイバンの庭がよく見渡せる。もちろん家主に許可など取らずに勝手に上がっている。
寮からイッサとイシュワが出て行くのを見送る。いってらっしゃいと手を振ってやりたいくらいだ。
リリーの下らない恋を応援しているイシュワはヘイバンの回復が少しでも先送りされた方が良いと思っていただろうが、飲まなければいけない薬を反対するほどではないだろう。何もかもがいい演出だった。
イシュワにはニカがちゃんと帰るか確認した方が良いんじゃないかとアドバイスしておいたが、思ったよりもいい仕事をしてくれた。
薬の残数確認の振りをして一番手につきやすいように放り込んだ薬を見事に引き当てた。同じ薬包を手に入れるのには苦労した。
看病人としてイッサが入り浸ると言うのは予想外の出来事だったが、ヘイバンは体調不良でも何でもないはずだ。薬は一つも飲んでいなかった。
だが、体調不良だと信じる誰かしらに確実に薬を飲まされるはずだと踏んでいたのだ。
(全く。ヘイバン様。記憶が定かじゃ無いなんて子供でも思いつかない言い訳だよ?)
そんな言い訳とリリーが一人で魔法陣を書き上げたなんていう荒唐無稽な話で、自分の命だけでも助かろうなんて呆れてものも言えない。
そうかと思えばリリーを帰さないで手を出す隙を無くして、しめしめとでも思っていたか。
(――お?エライヤ・ヤージャ)
ヤージャが物陰から出て来て、イッサとイシュワの下へ走る。
ヘイバンの家の周りをイシュワがうろついていたのを怪しく思って隠れて見ていたか。
ヤージャは目にいっぱいの涙を溜めて、イシュワに何かを言っている。
(めんどくさいねー。早く行けよ。こんな所でいつまでお喋りすりゃ気が済むんだ)
若干苛立っていると、ようやく三人は離れて行った。殺人未遂ともなればイシュワは暫く出て来ないし、一人はこれでご退場と上に報告しても良いだろう。
さて、問題のヘイバンだが、薬はある程度吐いたようだが、ごっそりと盛ってやったので今頃まともではいられていないはずだ。イッサに抱き上げられていたところから見ても意識はない。
今のうちに始末に行かなくては。
リリーとニカは敵では無いだろうが、問題はイッサがどのくらいの早さで戻ってくるかだ。
明後日には始末書やらを提出してさっさと研究を再開するつもりだろうと思われるので週明けまでにヘイバンにはご退場願わなくては。昼前にもまた何か新しい魔法を作っていたし、よくもまぁ次から次へとポンポン思いつくものだ。
それも理論を読まれないように見たこともない字を使っていた。仕方がなく分からないなりに新しい魔法陣の情報のメモを取ったが、でーぜるえんじんとは一体何なのだろうか。
魔術師は知識が要なので老人の方が色々な魔法を使えるが、新しい魔法陣を考えるのはやはり若い魔術師が多いように思う。
マキナは寝そべっていた腹を軽くはたくと、バルコニーや窓枠を伝って屋上から降りて独身寮へ向かった。
部屋の中にきちんと手袋を置いて来ているので、忘れ物だと言えば簡単に入れるだろう。
部屋の前に着き、金色のドアノッカーで数度扉を叩く。
中から若干の足音がし、『バウマン様ですか?』とリリーの尋ねる声が聞こえた。
「僕です。マキナです。手袋を忘れていたのを思い出しましてね。取りに戻りました〜」
ニカの『はいはーい』と言う声が聞こえると同時に『ダメです』とリリーの声がした。
(……ペネオラ、まさか気付いてやいないだろうな)
そう言う事に敏感なタイプではないはずだが、鍵を開けにくる様子がない。
マキナは一度ノブを握った。
「どうかしましたかー?ヘイバン様ー、マキナが手袋を取りに来ましたー」
何か小声で言い争うような声がする。
ニカの「開けてあげようよ」と言う声と、リリーの「バウマン様が戻るまで開けられません」と言う声だ。
マキナは内心で舌打ちをする。今が絶好のチャンスだと言うのに。
あまり騒ぎにするとまたタイミングを逃しそうで嫌だが、仕方がない。
マキナはガンガンと拳で扉を叩いた。
「どうしました!ヘイバン様に何かあったんですか!!ペネオラ!!ドーリマンさん!!開けてください!!」
尚も争う声が遠くに聞こえる。マキナの表情は無から心配でたまらないと言うようなものに変わった。
体を軽く丸め、扉に肩でぶつかる。
ダンッ、ダンッ、とやっていると、隣の部屋の扉が開いた。
「どうしたんだ?今日はやけにヘイバン君の部屋がうるさいが……」
「カッツ様!ヘイバン様が中で倒れているようなんです!こちらの庭から入れてはもらえないでしょうか!!」
「なに?誤発事故以来体調が悪いとは聞いていたがそんなことに。入りなさい」
バラミスのお気楽魔術師に心の中で舌を出し、マキナは小走りで部屋に入らせてもらった。
暖炉以外はヘイバンの部屋と全く違うレイアウトで家具が置かれている部屋を真っ直ぐ突っ切り、庭に出る。
手摺りと低木を跨いで簡単にヘイバンの庭に侵入した。
次の問題はこの一緒にいるカッツだ。公認魔術師に側にいられるのは辛い。
「――カッツ様、医伯をお呼びいただけないでしょうか!」
「む、そうだな。待ってなさい!」
カッツは出かけていき、あっという間に退治できた。
ヘイバンの庭から部屋の中を覗くと、リリーが玄関扉に耳を当てていた。きっとカッツが駆け降りていく音を聞いているのだろう。ニカの呆れたような様子が何とも笑える。
(今外の確認したって仕方ないんだけどなぁ)
中に続く庭の扉のノブを捻る。
鍵がかがっていなかった扉はカチャリ……と音を立てて開いた。自分のラッキーさを神に感謝したくなった。
「ペネオラ、ヘイバン様はどうしたんだい」
玄関に集中していたリリーは飛び跳ねるように振り返った。
「ま、マキナさん……!」
「はは、何をそんなに怖い顔をしてるのかな。手袋を取りに来て良かったよ。ヘイバン様に何かあったんじゃないの?」
ヘイバンの喉はヒュウヒュウと胸の悪い音を上げていた。
今なら赤子の手を捻るより簡単に殺せそうだ。あとわずかでも服毒させれば済む。
マキナは心配そうに近付いた。
「ヘイバン様、大丈夫ですか?やっぱりさっきより悪く――」
「触らないで下さい!!」
明確な敵意を含む声にマキナはぴたりと手を止めた。
「……どうかしたのかな?」
「指一本でもそのお方に触れれば、あなたを吹き飛ばします!」
宙に魔法陣も書けないくせにそんな事ができるわけがない。マキナは鼻で笑いそうになるのを堪えた。
(――いや、もしや書けるようになったか?転移して出た先が過酷だった事は間違いないはずだけど……)
そうだとするとまた厄介だ。
「ペネオラ、怖いよ。師を心配する気持ちは分かるけど……ヘイバン様をこのままにはしておけないじゃないか」
「リリーちゃん……。マキナに当たらなくても……」
「ドーリマン様、玄関の鍵を開けて下さい。バウマン様がお戻りになったらいつでもお入り頂ける様に」
リリーが道具鞄から杖を引き抜くと、マキナは冷静に分析しようと心がけながら口を開いた。
「僕はまだ公認魔術師ではないけど、それは失礼な行為だと分かっているかな」
「分かってます。下がって下さい」
「……本気なのかい?僕はただヘイバン様が心配で……」
「あの薬袋に触れたのはあなたとイシュワさんしかいません。あなたはあの時何を入れたんですか」
「く、薬袋……?中の薬を確認しただけだよ……?早くヘイバン様によくなって欲しくて。ヘイバン様に何があったの……?」
「そのお方は今お休みされているだけで何もありません。お引き取り下さい。手袋はそちらに」
思ったよりも厄介だ。マキナは杖を引き抜いた。
「動かないでください!!」
「はは、大丈夫だよ。空気振動増幅魔法で少しヘイバン様の心臓の音を聞いてみるだけだから」
これは真実だ。どのくらい弱っているのか確認しておいた方がいい。今立ち去っても、今夜や明日に忍び込んで殺せるくらいか確認しなければ。
マキナは道具鞄から紙を取り出し、わざとリリーに背を向けて書いているものがよく見えるように窓に紙を当てて魔法陣を書いた。
完成し、魔法陣が光を漏らし始めるとマキナは振り返った。
「良いかな?」
リリーは悩んでいるようだが、ニカに顔を覗き込まれ、「大丈夫?やってもらった方がいいんじゃない?」と言われるとようやく頷いた。
「……良いです」
「ありがとう。カッツ様に医伯を呼びに行って頂いたから安心しなよ」
「え?そ、そうなんですか?」
「そうだよ?中で何かが起こってるようだったら、当たり前でしょう?」
「あ……はひ……」
医伯を呼ぶように言っておいて良かった。リリーは毒を盛ったのがマキナかイシュワか判断できずにいるはずなのでこれで少し信頼回復だ。
マキナがヘイバンの胸に魔法陣を置くと、そこからトクン……トクン……トクトク……トクン……と不整脈症状を起こしていた。脈が何度も飛ぶ。
(はは、たくさん強力なの送ってもらって良かったなぁ)
本国に彼が帰って来たことを伝えたところ、半ギレの伝言鳩が大量の毒物を送って来た。
薬物や毒物の生成は医学を学ばなければできないのでマキナには荷が重い。アルケリマンで魔法も殺法も色々教え込まれたが、そこまで学びの手は回っていない。
「ヘイバン様……こんなにお悪かったなんて……」
敵意を少し減らしたような顔のリリーを確認すると、マキナはポケットからハンカチを取り出してヘイバンに浮かぶ汗を拭った。
綺麗にしてやっていると、ニカが側にきてベッドに腰掛けた。
「マキナ……。イズはイシュワに毒を飲まされたみたいなの……」
「さっきペネオラもそんなようなことを言ってたけど……何のために?体調を崩されただけじゃないんですか?」
「分かんない……。バウマン様はイズが吐いた後に水飲ませて薄めようとしたけど、イズが気を失っちゃって……」
「大変だ……。少し口元を湿らせておいてあげるだけでもヘイバン様の体に良いんじゃないかな」
マキナは道具鞄から更にハンカチを取り出そうと鞄に手を入れた。鞄の中には毒物の残りを持って来ていてるのでそれに指先を触れさせた。
「ペネオラ、これを濡らしてくれるかな」
ハンカチを差し出すと、リリーはそれを受け取りミニキッチンへ行った。よく洗い、絞る。
しょっちゅう振り返って来ているが、マキナは汗を拭いてやりながら毒の付着している指でヘイバンの口に触れようと慎重に指を伸ばした。
これで勝ちだ。
マキナは笑いたい気持ちを押し殺して唇に触れようとしたその時――
「――りり……」
ヘイバンのぼんやりとした目がマキナを捉えていた。
「ヘイバン……様?」
目を覗き込むと、部屋の扉が開いた。
「医伯を連れて来たぞ!」
もたもたしているうちに隣室のカッツが街の医伯を連れて戻ってきてしまった。魔術省の魔術師は体調を崩すと大抵街の医伯には掛からずに魔術省の医伯に診てもらうので、初めて見る顔だ。
リリーの安心したあの顔。
マキナは舌打ちをしたい気持ちを押し殺して笑顔を作った。
「良かった!カッツ様、ありがとうございます!医伯、お願いします」
「診させていただきます」
医伯は近付いて来ると、胸の上にある魔法陣の側に耳を寄せた。ヘイバンはまた意識を失っていた。
「――良くありませんね。この方は何か心臓の持病をお持ちで?」
「何もないはずです。お腹が少し弱いだけで。何か強い薬物を飲んで、すぐに吐き出しました」
リリーが答え、濡らしたマキナのハンカチでヘイバンの顔を拭いた。
医伯は更に空気振動増幅の魔法陣を書いてヘイバンの腹に乗せた。
体のあちらこちらを打診していき、喉に触れ、一通り診察を終わらせると手元のカルテにメモをしていく。
「胃内部にあまり残存物がないようなので、薬品を誤飲していても致命傷ではないでしょう。解毒の魔法は?」
「えっと、既に公認魔術師が掛けました」
「良かった。では、念のために腸の運動を遅らせる魔法陣を置いていきます。残ったものもゆっくり吸収と分解をすれば死ぬようなことはありません」
リリーはそれを聞くとへなへなと腰を抜かした。
「あぁ……ありがとうございます。良かった……」
「大丈夫ですか?もし目を覚まされたら、牛乳を飲んで頂くようにお伝えください。粘膜に優しいので。それから、腸の運動を遅らせる魔法陣は一日で焼失するので、看護のどなたかが明日また取りにいらしてください。その時に、必要な薬もお渡しします」
「分かりました……。ご回復はどれくらいになりそうでしょうか?」
「ご本人の体力にもよると思いますが、一週間半か二週間はかかると思います」
医伯はしゃべりながら大判のガーゼに魔法陣を書くと、ヘイバンの腹にそれを貼り付けた。
マキナはこの魔法陣もどうにかして片付けたいと思うが、手が出せない。
(どうするかなぁ……。そろそろイッサ・バウマンも戻る頃だろうし……あんまり無理をしない方がいいかな)
少なくともこれで一週間半は転移魔法陣の実験再開まで時間を稼げたと前向きに考えるべきだろう。
一週間でイッサは戦地へ帰るのだ。
イッサがいなくなったあと、回復が済んでいない間に片付けるチャンスはまだあるはず。
そうと決まれば、ここは大人しく帰るべきだ。次にまた部屋に入る時に隣室から侵入するのは難しいだろう。
ヘイバンの体の上に乗る空気振動増幅魔法陣が焼失していく。脈が飛ぶ音が聞こえなくなっていく。
「それじゃあ、ヘイバン様は大丈夫みたいだから僕は先に帰るね」
「……マキナさん」
リリーは申し訳なさそうにマキナを見上げた。
「気にしてないよ。ペネオラも体調悪いなら何か買ってこようか?」
「いえ……。すみませんでした」
マキナは心からの笑みを浮かべた。
「良いんだよ。毒を飲んじゃったのか、大量に薬を飲んじゃったのかは分からないけど、僕もヤージャ様がこうなったら多分取り乱すから。君の気持ちはよくわかるんだ。きっとすぐに良くなるからね」
「はい……。ありがとうございます」
「いいえ。じゃあね。もし何か困ったことがあれば、いつでも言って。駆け付けるよ。またお見舞いにも来るね」
その時にヘイバンの命は終わる。
マキナは鼻歌を歌いたい気分で部屋を後にした。もちろん、手袋は置いたまま。




