#21 犯人と危機
湊も部屋に戻ると、部屋の中には美味しそうな香りが広がっていて、囲炉裏カウンターであれこれと作業をしていたニカとリリーが姿を見せたイシュワに手を振っていた。
イッサは何ともないような顔をしてイシュワに首を傾げた。
「イシュワ、あんな所で何をしていたんだ?イズアルドに用があるなら早く上に来ればよかっただろう?」
「あ、バウマン様。えーっと、用はないんですけどぉ……」
「用がない?じゃあ呼んでしまって悪かったね。帰ってくれて構わないよ」
「えっと……あの、あたしも一緒にお昼食べてもいいですか?」
イシュワはちらりとイッサと湊を見上げ、ニカは首を傾げた。
「イシュ、さっきカフェでご飯食べるって言ってなかった?」
「け、結局お茶しか頼まなかったんです!」
部屋に満ちる良い香りに誘われるようにグゥ〜とイシュワの腹が鳴る。本当に腹は減っていそうだ。
「いいが……庭で食べようと思っていたからね。イズアルドは体調が優れないから、ロッキングチェアを庭に出してくれるかな。椅子が一つ足りないからね」
イッサが手招くと、イシュワは部屋の中程まで駆けてロッキングチェアを持ち上げた。
男の目から見れば全く重そうではないが、イシュワの顔は真っ赤だった。
手伝ってやるかと手を出そうとすると、ニカから叱咤が届いた。
「イズ!病人なんだから食事ができるまで大人しくベッドの上にいなさい!命令!」
「あ、はーい」
あまり関わるとボロも出そうなので、ニカの命令をありがたく思いながらベッドに腰掛けた。
畳んでしまい直した魔法陣を開いてもう一度中身を確認する。
(……運搬、脱水、浮遊。この三つは弱そうなんだよな……)
次の魔法陣も開く。
(雷光――この辺がゲームだったら強い奴だよな。どれどれ)
魔法陣の中身を読み込んでいく。昨日リリーと予習していたこともあり、これが何を表している物なのかはっきり理解できる。
湊はこの魔法陣を使える確信を持つと、一番取り出しやすいジレのポケットに入れた。
その様子をチラリと見ながら、イッサはイシュワと何度も部屋と庭を行き来した。
「悪いね。君は他所の研究室の子だって言うのに」
「いえ!ヘイバン様の代わりにお役に立ちますよ!」
「じゃあ、それを出したらミニキッチンの横にあるワゴンも出してもらえるかな。その後は配膳を頼むよ」
「かしこまりました!」
イシュワは外へ薪を置きに行き、すぐにUターンしてワゴンに人数分の取り皿と、出来上がっているサラダを乗せてゴロゴロと押した。リンゴと胡桃、生ハムの乗ったサラダだった。
他にも続々と準備の済んだ物を外へ運び出していく。トマトソースの掛けられたラヴィオリ、クロワッサンがたくさん乗せられたブレッドバスケット、ピスタチオやクランベリーの入ったパテ・ド・カンパーニュ。
全てがイシュワの手によって持ち出されて行くと、イッサはまたイシュワを手招いた。
「よく働いたイシュワは先に座りなさい。特別にロッキングチェアに座る栄誉をあげよう」
「あ、でもまだドーリマンさん達がまだですし――」
「気にする事はない。さぁ、座って」
イシュワは申し訳なさそうにロッキングチェアに座った。
イッサがお盆に乗せられた薪の上、宙空にごく簡素な魔法陣を描いて薪に火を付ける。火が上がると、薪はいとも簡単に着火され、魔法陣は神火で消え去った。心を奪われるような美しい現象だった。ガスで付ける火とは全く違う性質の炎は、明るい空の下においても湊の心を掴んだ。
「イズ、食べよ!」
調理の後片付けを済ませたニカに手を伸ばされ、それを取って立ち上がった。
「ニカもペネオラさんもありがとう。すごい立派な昼食でびっくりしたよ」
「ふふ。食べて元気出してね」
所狭しと皿が並ぶテーブルに付く。テーブルの真ん中に燃える火が暖かかった。
湊はリリーとニカに挟まれ、イシュワはニカとイッサに挟まれている。
十分な防御の中昼食は始まった。
「いただきまーす」
湊がそう言って両手を合わせると、リリーも真似をし、ニカはパチクリと瞬いた。
「二人とも何?それ」
「……あ、いや。食べる命と神様、それから食事を作ってくれた二人に感謝の意を……ね」
「へぇ〜。誤発で飛んだ先の文化?面白いね。ね、どんなとこだった?ヤージャ様は四次元空間じゃないかって言ってたけど、そんなとこじゃ魔法陣なんか書けないでしょ?」
「もちろんそんなとこじゃないよ。暑くて、蝉がうるさくて……星が少なくて……すごく綺麗なところ」
「一つもいいところが見えないけど綺麗なんだ?変なのぉ。それに星が少ないって、どう言うこと?違う世界みたい」
「星は地上が明るすぎれば見えなくなるんだよ。だから、あっちはすごく明るいところだったんだよ」
「そんなことがあるの?」
「あるよ。ペネオラさんにあれこれ聞かせてるけど、ニカにも教えてやりたくなるな」
ニカは少し頬を染めると嬉しそうに頷いた。
「教えて欲しい。イズに教えてもらったら、すぐに公認魔術師になれる気がする」
「あー……。それはどうかな」
湊はパンをちぎりながら苦笑した。おそらく道は遠くなるだろう。
食事を始めると、ラヴィオリを口に放り込んだイッサが呟いた。
「ふーむ、ワインが飲みたかったなぁ。戦地にいるとろくに酒も飲めないから」
「あ、すみません、バウマン様。私が気を利かせて買ってくれば良かったですね」
ニカが答え、イッサは笑った。
「いやいや。贅沢を言ったね。気にしないでくれ」
「あ、晩御飯の時には買って来ましょうか!」
ニカは当然のように夜もここで過ごすつもりのようだが、イシュワがはい!と手を挙げた。
「ドーリマンさん!バウマン様もいらっしゃるのですから昼食を取った後は帰りましょう!」
「イシュ、イズは忘れてる事がまだまだありそうだからまだ帰れないの。思い出せるようにそばにいてあげなきゃ。――それに、すぐ魔法の研究しようとして休まないんだから監視しなくっちゃ」
「い、いや……。魔法も使えるようになったし、大丈夫だよ」
「ちっとも大丈夫に見えないよ。リリーちゃんのことペネオラさんなんて呼んでるし、自分で気付かない大きな記憶の欠落があるんじゃないの?」
「それは歳と立場を弁えてるから」
「何?わざとそんな風に呼んでるの?不自然だからやめなよ」
イシュワも「不自然すぎます」とニカに加勢した。
「……そうか」
湊はあまりリリと呼びすぎると距離感を間違えたり、愛着を感じそうで嫌だったが、それも仕方のないことかと息を吐いた。十年以内に帰れる様に頑張ると言ってくれてはいるが、もし一生ここで暮らすならいつまでもそんな女々しいことは言ってられないだろう。
「ペネオラさん、リリって呼んでも良いかな……?」
その瞬間リリーの目から一つ涙が落ちた。
「あ!?どしたの、リリーちゃん。もしかして呼ぶなってイズに言った?ごめんね」
「い、いえ。すみません。ただ、何か嬉しくって。たまにリリとお呼び下さるのに、どうしてって思ってたんです」
「ほら、リリーちゃんも怒ってんじゃないか不安だったんじゃないのー?」
「……ごめん、泣かないで」
湊が隣に座るリリーの頬に付いた涙の跡をグイッと拭き取るとリリーは笑った。
「だ、大丈夫です。すみません、ありがとうございます」
「良かった」
無性にイシュワの鼻息が荒い気がした。
「と言うわけでヘイバン様もいつも通りになりましたし!ドーリマンさん!お昼が終わったら帰りましょうね!」
ニカは納得行かないような顔をしていたが、細く長い溜息を吐いた。
「ふー……。まぁね。分かったよ。たまには私がお姉さんらしく出来るかと思ったのにさ」
「ニカはお姉さんだよ。なんとなく心強いし料理もうまかった」
「本当に?前より美味しかったでしょ?」
湊は恐る恐るコーヒーの入るカップから視線を上げた。
ニカはニコニコしているが、この質問は詰問ではないだろうか。
リリーも少し気まずそうに笑っている。
ニカと平文は一体どんな関係だったのだろう。恐らく、この娘は平文にかなり近い存在だったのではないかと思う。リリーも来た事がないこの部屋に来て食事を作ってくれるような存在。
(――もしかして恋人?付き合ってんの伏せてるみたいな?まずいよ……まずすぎるって……)
最大のピンチを感じた。同時に、祖父の結婚する前の恋人なんて死ぬほど気まずい存在だと思った。しかも手記に一度も出てこないとは。
「……前のも今回のもすごくうまいよ?」
「えー。前はラヴィオリのソースしょっぱいって言ったくせに」
ハズレを引いたようだ。
「……しょっぱくてもうまいからセーフ」
「そ、そうかな?じゃあ……また、ご飯作りに来ても良いかな。トクマとレオンさんと一緒にやる勉強会じゃなくても」
そう言うタイミングでニカはここを訪れていたかと湊は納得した。一瞬感じた焦りが氷解すると、余裕が出るようだった。
「次は調子良くなってるだろうから、俺が何か作るよ。ニカとリリにご馳走する」
「本当に?しょっぱかったらしょっぱいって言うからね!」
「ははは、お手柔らかに」
食事を終えるとニカは鼻歌混じりで皿を重ねた。
「イシュワ、持って行ってくれるかな」
イッサが重なった皿をキセルで示し、イシュワはすぐにそれをワゴンに乗せた。
「そしたらあたしが洗い物まで済ませますね!飛び入りでご馳走になっちゃいましたから」
「ふふ、良い若者に囲まれるのは良い物だねぇ」
「へへへ。それほどでもあります!」
イシュワが部屋へ入っていき、洗い物を始める。
その姿を眺めるリリーはイッサの話した事を信じられないようで、その背を無口に眺めた。
「リリ、大丈夫?」
「あ、み――ヘイバン様。大丈夫です。何だか、少し疲れちゃったみたいで」
「休みな。そのベッドで寝たって良いんだよ」
「そ、そんな。ヘイバン様のベッドをお借りするなんてできません」
「気にしないで。昨日も遅かったんですから」
テーブルを拭いていたニカが顔を上げた。
「……昨日もって、昨日何時までやってたの?」
「俺の時計で一時半とかだったかな。あ、誰か時計持ってない?あんまりズレてはないと思うんだけど」
リリーがすぐに懐中時計を取り出して見せた。
湊は腕時計を外して時間を一時間半程巻き進めて行く。
時間を合わせ終わると、イッサは興味深げに腕時計を眺めた。
「――うん、昨日終わったの三時だわ。やばいわ」
「うーわ、めっちゃ遅いね。リリーちゃん、それでまた朝から来て大変じゃない」
「いえ!泊まったので――」とリリーが言いかけると湊は特大の咳払いをした。
その甲斐虚しく、ニカは眉間に皺を寄せた。
「……泊まったの?どこで寝たの?」
「ソファで寝ました!」
「研究室じゃないんだから……。リリーちゃん、体疲れてるでしょ?今日はもう帰る?」
「平気です!ソファで寝るのには慣れてますので!」
「もー。体調悪いのに二人して無理して。イズ、薬ちゃんと飲まなきゃダメだからね。一日も早く良くなってよ」
ニカはそう言うと、洗い物を済ませて戻って来ようとしていたイシュワに手を振った。
「イシュー!ついでに薬持って来てー!」
「はーい!」
イシュワは囲炉裏暖炉のカウンターに置かれていた袋を手に外に出て来た。
「ヘイバン様、頓服のものも飲まれます?」
「食後のだけで十分かな」
「ちゃんと全部飲みなよ」
ニカが顎をしゃくった。
「いや……本当に食後のだけでいいよ」
「かしこまりました!」
イシュワが袋の中から一つ薬を取り出してくれる。
受け取ったは良いが、健康そのものの湊が飲んでも大丈夫なものなのかが心配だった。
「これって何の薬なんだっけ……?」
「不安感、朦朧状態、譫妄状態を抑えるって書いてありますよ!」
「そうなんだ……」
粉薬なんて暫くぶりだ。
湊は丁寧に畳まれた薬包を広げて、サラサラと薬を口に入れ、ものすごい苦さに少し顔を歪めた。
一刻も早く飲み切りたいと思い、ニカから水を受け取って一気に飲み下した。
「はぁ……こ、こんなに苦い――ん?」
胃に違和感を感じる。口で感じた刺激が腹の中で起こっているような感じだった。
「どうしました?」
リリーが顔を覗き込む。
湊は湧き上がる不快感に口を手で塞いだ。
「……ッウぁ。な、なんだ……これ……」
「イズアルド?」
よろけるように立ち上がり、椅子から離れると地面に膝をついた。
「ッウ!喉が!!」
胃がひっくり返るような吐き気。それから焼けるような喉の痛み。
「む、無理だ……!ッウ!!」
湊はその場で這いつくばって数度えづいた。
「湊様!湊様大丈夫ですか!!」
「な!?大丈夫か!!」
イッサはぺろりと紙に残る粉を舐めると、すぐにそれをペッと吐き出した。
視界が赤くなったり黒くなったり、明滅を始めると湊は自分の喉に手を突っ込む事で嘔吐を始めた。
これは向こうの地球人には荷が重い薬だ。――そんな楽観的な考えを続けられるほど、湊の頭の中はお花畑ではない。本当に平文に死んでもらいたいなんて言うとんでもない奴がいたんだなと湊は吐きながら思った。人の祖父になんて真似をしてくれているんだと。
体の反応に対し、意外にも頭の中が冷静なのはいつもの湊の正常性バイアスが働いているからだろう。都合の悪い事からは目を逸らして、「自分は大丈夫」と言い聞かせるのは得意技だ。
だが、嘔吐を続けながら意識が朦朧としてくると流石に恐怖が込み上げた。
「おい、大丈夫か!!全部吐けたか!!おい!!こっちを見ろ!!」
これ以上吐くものもないと言うところで湊は涙目でイッサを見上げた。
「い、いっさ――さま、おれ、おで……りりを……たの……」
そう言いながら、震える手でこの世界の言葉で書かれた魔法陣を鞄から一つ取り出し、イッサの手に握らせた。
「まずい……。水を、リリ!水を持って来い!コップは一度洗え!!」
「は、はい!」
リリーが部屋へ駆けて行き、イシュワとニカは顔を青くして震えていた。
「イシュワ!貴様覚えてろ!!殺させはせんぞ!!」
「ば、ばうまん様!?ちが、違います!あたし、何にもしてません!!」
「イシュ、あんたがやったの!?」
「違いますよ!!ドーリマンさんもやめてください!!」
「ニカ、それを捕まえておけ!!」
ニカが動きだし、イッサはなおも吐きそうな湊の背をさすった。
「全部吐け。吐けば大丈夫だよ、湊」
「――じ、じいちゃん?」
「……幻覚を見ているのか?」
湊の目は虚ろだった。
「おじいちゃ……ぼく……かえりたいよ……。でも……りり……まもらないと……」
「湊……」
イッサにもたれて湊が意識を失うと、リリーが水を持って庭に戻った。
「バウマン様!お水です!」
「……リリ、飲めなくなった。寝かせるから場所を開けてくれ」
リリーは急いで部屋に戻り、布団をめくった。
イッサが湊をベッドに寝かせると、湊からはヒュウヒュウと隙間風のような呼吸が漏れていた。急いで解毒の魔法を書いて体に落とすが、あまり良くなった感じはしない。
ニカと、後ろ手に関節を固められているイシュワも部屋に入る。
「……イシュ、あんたなんて事……!」
「イシュワ、お前には一緒に来てもらう」
「バウマン様!違いますよ!!あたし、何もしてないですよ!!薬がおかしいなんて思いもしなかったんです!!クボイ医伯が作った薬に間違いがあるなんて!!あたし、あたし!!」
「話は国家治安憲兵隊と聞く。リリ、ニカ。お前達は悪いがここにいてくれ」
「任せてください」
イシュワを拘束するニカは頷いたが、リリーは湊とイシュワを何度も見比べた。
「リリー!違うって言って!あたしがヘイバン様にそんな事する理由なんか無いって!!」
「い、イシュワさん……。バウマン様、イシュワさんは……違うと思います」
「違うかどうか調べるのは私の仕事じゃない。リリ、外の薬の袋を拾って来てくれるかな。開いている薬包もだ」
リリーがそれを拾って渡すと、イッサはイシュワの背を押した。
「歩きなさい」
「で、でも……本当に違うのに……」
「もう一度言う。真実を調べるのは私の仕事じゃない。歩きなさい」
イシュワは言いたい事は山ほどありそうだが、イッサに掴まれたままとぼとぼと部屋を出て行った。
二人がいなくなった部屋で、湊は胸を掴んで意識もないまま悶えた。
湊君!!死ぬな!!




