シルフィ、ネヴィリオに太陽レンズを放つ
砂漠の果て
雲ひとつない青空
燦々と輝く太陽と、それを横切る鷲の影
真っ白な砂丘の上、白い椅子に一人の少女が腰掛けている。
彼女は読んでいた本から顔を上げ、額の汗を拭い青空を見上げた。
病的なまでに白い肌に異様な痩躯、風にたなびく緑色の柔らかい髪……。
その少女の雰囲気は、現世のものというよりは常世のものと言ったほうがそれらしい風貌をしている。
触れれば割れてしまいそうな彼女の隣には、全てが対照的な大柄の男が佇んでいる。
赤茶けた髪に筋肉質の巨躯。
男は地を見下ろし、全てを憎むような眼差しで人族の町を見下ろしている。
「まさか勇者シアンを取り逃がすとはな……」
「仕方がないよ。彼女なら、もう少しは耐えてくれると思っていたんだけどね……」
少女の呟きに男は歯軋りした。
「シルフィ……なぜお前はそうも余裕でいられるのだ……。俺達の悲願の成就にはレイゼンアグニが必ず必要だと言ったのは、他ならぬお前自身であったはず。それなのに、この忌まわしい現状に苛立ちはないのか……?」
その言葉を聞き終えると、シルフィはそよ風に気持ちよく瞼を閉じ、ゆっくりと口を開いた。
「確かにレイゼンアグニはこの世界の全てを終わらせるために絶対必要な世界の中枢だ。その聖剣そのものが私の手から離れていく。それが偶然なのか、はたまた定められた運命なのか……それは誰にも分からないことさ」
だからねとシルフィは呟く。
「もし偶然ならそれで構わない。また別の策を講じればいいだけの話だからね。問題なのは、それが運命だった場合の話だ」
「運命だったらどうする? まさか諦めるとは言わないだろうな……」
ノームの問いにシルフィは瞼を開き、本を閉じた。
「はは、まさか。運命なら、捩じ伏せるだけだよ」
シルフィは勢いよく立ち上がり、ネヴィリオの町に向けて両手を開く。
神の教示を説く預言者のように。
迷える子羊を導く聖職者のように。
身に纏ったボロ布が風に揺れる。
空が開け、雲が失せる。
天の輝きが地に満ちて、青空は歪み白が広がっていく。
「昔、とある役者はこう言った。"運命の女神たちが人の運命を決する時、そこには憐憫もなければ公平感もない"。私も彼と同じ見解だ。だからこそ、面白い」
少女は楽しそうに笑い、天球が収束した。
刹那、地から水が溢れ出す。
瓶から、樽から、桶から、地下から、ネヴィリオ中のありったけの水が突如として宙を舞い、ひとつに寄り集まって頭上を覆う。
「これは……」
太陽レンズの焦点を、水の屈折によって無力化された。
燃え、焼け、焦がれたはずのネヴィリオは依然として無傷なまま。
歪んだ空と巨大な水の玉。
その異様な光景を前に、そこにいた全ての人々が天を仰ぎ見た。
「ウンディーネか……。まさか君がこんな対策をしてくるなんてね」
振り返った先、見つけた相手の顔にシルフィは思わず目を見開いた。
「ねえ……そこらへんでやめてくれないかな?」
漆黒の髪に赤い瞳。
低い身長に幼い顔立ち。
しかし、その内に宿る魔力は異様な程に禍々しい。
魔そのものを体現する魔族の王。
この世界の理を拒む者。
即ち……最大の敵。
「魔王……ネメス」
魔王と風魔、その二人は初めて相手の顔を直に見た。
しかし、彼女たちはここで初めて出会うまで、互いの残り香に幾度となく挑んで来た。戦って来た。
だから、二人は相手と初めて出会うにも関わらず、初めから相手のことを知っているかのような錯覚を感じていた。
「よくここが分かったね……。流石は全ての魔族の頂点に君臨するだけのことはある」
「表層を撫でるだけの肩書きなんかに意味なんて無いよ。私の言いたいこと、分かってるよね……」
魔王の言葉に風魔は笑う。
「君だって私のやりたいことは分かっているだろう? 答えは既に、君の中にあるはずだ」
風魔の答えに魔王は何も言わず、ただ静かに彼女のことを見据えるのみ。
どうやら和解の道は無いらしい。
互いが互いの目的のため、目の前の相手を最大の障壁として見なしている。
故に、ここからは戦争だ。
目の前の相手がここから先の全ての運命を握っている。
風魔シルフィの運命を魔王ネメスが、魔王ネメスの運命を風魔シルフィが握っている……。
どちらが先に大将首を落とせるか。
シルフィはニヤリと歪んだ笑みを見せる。
ネメスは相手を殺せない。
彼女の無意味な制約を利用してやれば、こちらにも十分に勝機はあるはず。
風魔は右手を魔王へと向け、魔王は自らの周りに魔力を巡らせる。
世界の覇権を巡る戦いが、今ここで幕を開いた。




