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絶対に負けないために

 翌朝、シアンとオーガの二人は朝食を終え、洗い終わった食器を片付けていた。


 壊れかけの戸棚に最後の丸皿を入れると、シアンはほっと息をつくと、振り返って玄関のほうを向いた。


「どうした……?」


 シアンの表情から何か状況が変わったことを感じ取ったオーガは、怪訝な顔でシアンに問う。

 それに対し、彼女は顔色を変えずに返す。


「大丈夫だ。敵じゃない。……着いてきてくれるか? 状況を説明するのにお前がいたほうが都合がいい」


「あぁ、構わねえが」


 オーガはシアンの後に着いて家を出る。

 朝の陽光が眩しい、雲ひとつない快晴にオーガは目を細める。


 勇者シアンには風を読む力があると聞いたことがある。

 大気中の魔力の流れを肌で感じ取り、周囲の状況を目視に頼らず把握出来る。


 闇夜に溶け込む魔物を斬るには、この能力が何よりも役に立つ。

 だからこそ歴代の勇者たちは全員、風にまつわる能力を持っていた。


 その力を使って仲間が近くにいると分かったのだろう。


「見えてきたな」


「あれがお前の仲間か」


 村と外界との境界。

 そこに二人の人間が立っていた。


 片方は魔法使いだ。

 レベルは20相当と見えるが、この領域に辿り着ける人族はあまりに少ない。

 類い稀なる才能と桁外れた努力、その両方がバランスよく噛み合ってはじめて到達する"20"という大台。


 もう一方の老人は剣士だ。

 頼りなく不格好な姿勢に薄い警戒心。隣の魔法使いに霞んでお付きの者かと思われたが、オーガはその者の不格好の裏に微かな気迫を感じ取っていた。


シアンは二人の前で歩みを止め、オーガはその一歩後ろで三人を見守る。


「探したよ、シアン」


 魔法使いのその言葉に、勇者は静かに瞼を閉じ、深く息を吸い、吐いた。

それから瞼を開き、目の前の二人の顔を真っ直ぐに見据え、口を開く。


「メチル、ニトロ爺……手間をかけさせたな。すまなかった……」


「いいんだ。それより体のほうは大丈夫なのか?」


「見ての通りの健康体だ。毒気が抜けてむしろ気が楽なくらいだ」


 シアンの様子にメチルとニトロは顔を合わせ、安心した様子で頬を緩めた。


「魔王ちゃんから聞いたんだ。死々繰は本来ならあり得ないレベルを手にする代わりに、代償として対象の精神を蝕んでしまう。シアンにもその影響が出ていた可能性があるって」


 シアンはかつて死々繰によってレベル999に達した。


 それでも精神崩壊や暴走をせずに耐えていられたのは、彼女の持つ死々繰に対する高い適性のためだ。

 しかし、それでも全く以て無害というわけにはいかないらしい。


 今の彼女は以前と比べてかなり穏やかになった。

 彼女の体内に蓄積されていた有害な魔力が失われたことで、精神的な作用が消滅した結果だ。


 メチルは彼女の瞳の奥にあった邪気が消えたことに安堵し、柔らかく微笑んだ。


「帰ろう。みんな事情は知っているから」


 シアンはメチルのその言葉に何も返すことが出来なかった。


 今までメチルには迷惑をかけた。

 カンナビスやニトロ、ラジウムにも……。


 だから――


「私はまだ帰らない」


 シアンの口から漏れたその言葉にメチルは息を飲んだ。

 罪の意識からだろうか。しかし、目の前の彼女の目は歪んではいなかった。


 ただ真っ直ぐに、自らの為すべきことのために、その言葉を選んだかのように。

 続く言葉を紡いでいく。


「私は勇者だ。強くなくてはならない。だから、ここでもう暫くの間剣の腕を磨きたい。やりなおしたいんだ。レベルに頼らない本当の戦い方を学びたい」


 シアンはメチルたちに頭を下げる。


「少しでいい。時間が欲しいんだ……」


『ふーん? 勇者にしては殊勝な心掛けだねー? ま、時間ならいくらでもあげるよー。あなたがどれだけ、本気かにもよるけどねー』


 刹那、シアンの意識は揺らいだ。


 現実と虚構の狭間、肉体と意識の境界、記憶によって構成された世界――


 そこは"夢"。


 強制的に意識をシフトさせられたシアンは、"存在しない世界"の主の姿に目を見張った。


 夢魔サキュバス、レベル17――


 キュピス諸島で戦った高位魔族。

 その腕前は以前の戦いで既に体感している。


「レベルに頼らない戦いかたを知りたいってねー? 魔王ちゃんとメチルからのお願いごとだから特別に力を貸してあげるけどさー、まあ、私はあなたに恨みがあるからねー」


 サキュバスは虚無から生成した二振りのスパークレイピアをくるくると回し、勇者シアンに対してその切っ先を構えた。


「100万回死ぬつもりで食いかかってきな」


 サキュバスの剣を目前に、シアンは息を飲む。

 以前と違い、レベルの差はこちらのほうが低い。


 技量で負け、レベルで負けるとなれば、100万回という数字はあながち冗談とも思えない。


「……なるほど、夢の中なら時間の制約はないというわけか」


 シアンは腰からレーゼンアグニを抜き取り、背後に立つ少女に振り返らず礼を言う。


「メチル、感謝する。あいつは……最上の敵だ」


「感謝するなら魔王ちゃんとサキュバスにだね。僕は先に現実世界に戻っているから、ここで思う存分頑張ってくれ」


 少女は光の風に包まれて消え、この世界には二人だけが残された。


 サキュバスは砂浜を歩き距離を詰め、シアンはゆっくりと息を整える。


 水平線に夕焼け輝く白い海岸。

 砂浜に打ち寄せる波の音。

 巣に帰るカモメの声。


 二つの刃が、火花を散らした。


 100万回死ねば、目の前の彼女の領域へと辿り着けるだろうか?


 血飛沫と金属音の中、少女は死に物狂いで聖剣を振るう。

 今度こそ、絶対に負けたくないから。

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『Mephisto-Walzer』

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