勇者ちゃん、リスタート
剣と剣がつばぜり合い、火花を上げて弾きあう。
早朝の輝く白い陽光が互いの刃を煌めかせ、その刃の担い手たちは相手の切っ先へと意識を集中する。
刹那、少女は地を蹴ってその鬼の懐へと飛び込んだ。
閃光が空を薙ぎ、鉄と鉄がぶつかり合い、ひらりと舞う肢体が切っ先を避けて踊った。
鬼の巨体は図体の割にしなやかで、剣が掠める気配は一向に見えない。
対する少女のほうはというと、しなやかな身体の割には動きは硬く、剣筋は単調そのもの。
この攻防は端から見ればオーガのお遊びと言って何ら差し支えないほど一方的なものだった。
二人は再度剣を交え二度三度金属音を響かせると、最終的には弾き飛ばされた聖剣が地に刺さることで勝敗を決した。
「おいおいどうした? 勇者様の剣はその程度か?」
「……クソ!」
ぜぇはぁと息をつきながら地面に倒れ込む勇者シアンに、オーガは拾ってきた聖剣を投げ渡す。
「お前の剣は殺意が強すぎる。もう少し駆け引きを取り入れたらどうなんだ?」
「そんなことは分かっている!! もういい! 私は魔族の説教など聞きたくない!!」
地を殴りそっぽを向く少女の背にオーガは苦笑を浮かべた。
どうやら少し、意地悪をし過ぎたらしい。
(泣いてるのか……なんて聞いたら、余計にプライドを傷付けちまうか……)
彼女の表情は見えないが、小刻みに揺れている肩と目元を擦る仕草を見るに、オーガに負けて本当に悔しいらしい。
「……落ち着いたら戻ってこい。俺は先に戻って飯の用意をしてるからよ」
勇者の肩を軽く叩き、オーガは家へと戻ってくる。
勇者シアンと剣を交えたのはほんの興味本位のことだった。
朝食後、他の魔族たちの農作業を手伝い、家へと戻ってくる道中。
オーガは家の裏で勇者シアンが聖剣の素振りをしている姿を見かけた。
すでに怪我は治っていて、あとはレベルの回復を待つだけの状態。
少し彼女の腕前でも見ようと思って模擬試合を申し込んでみたのだが、結果のほどは先ほどの体たらくだ。
まさか勇者を泣かせることになるとは思ってもみなかったオーガは、最後に余計な一言を発し彼女のプライドに傷を付けてしまった。
「あれが本当に勇者シアンなのか……?」
彼女の剣技はまるで話にならなかった。
乱雑で単調、読みやすく安易、考えなしの無謀の剣……。
あの剣技を実践に持ち出すとするなら、最低でもレベル50は無いと話にならない。
斬られても斬られても大した痛手にならないほどの大量の魔力、相手の剣技を力業でねじ伏せるだけの圧倒的なステータス。
それらが無ければ成り立たない力任せの粗雑な剣。
それが勇者シアンの戦い方だ。
(勇者シアンのレベルは三桁ある……)
有名な噂話を思い出し、今の彼女の姿と照らし合わせ、オーガは瞼を閉じた。
あまり信じたくはないが、彼女の戦い方から逆算すると、必然的にあの噂の信憑性は増していく。
そして現在の状況からさらに逆算していくと……
(敵はレベル三桁の勇者を一方的に追い詰めたってわけか……)
先日の爆発からして嫌な予感はしていた。
しかしここにきて実際に勇者シアンと剣を交えることで、事態の重大さが思った以上に深刻だと否が応でも分かってしまう。
(そうなると、どう足掻いたって俺たちだけじゃ勝てねえ相手ってわけだ。だが、たとえ勝てない相手でも俺たちの盟約は絶対だ)
弱き者を困っている人を助ける。
たとえそれがいかなる困難であろうとも。
(一縷の希望があるとすれば、それは勇者シアンだけだ。アイツに、もう一度その敵にリベンジする機会を作ってやれれば……)
オーガは瞼を開き、家の戸を開けた。
オーガはその敵と戦うことから逃げ出さない。
それは先祖代々受け継いできた盟約に対する誇りのためだ。
しかし、恐らくオーガはその戦いで命を落とすことだろう。
オーガ、レベル22――
敵のレベルを仮に100だと見積もって、自分自身のレベルでは万が一にも敵わないことは火を見るよりも明らかだ。
だから、オーガは自らの死の運命の前に為すべきことを為そうと決めた。
勇者シアンに剣術を叩き込む。
一から、敵を斬り弱者を守るための術を教える。
シアンが負けたのは、驕り高ぶり自らのレベルを過信したからだ……。
とオーガは推察した。
だから、そこに技術を与えてやる。
弱き者が強き者を挫くには技が必要だ。
自らの持つすべてを、来るべき戦いの時までに全て授ける。
「勇者シアン……お前が負けたのはその敵よりも弱かったからではない……。ただ、お前の技術が、心が敵よりも劣っていただけのことだ。俺はお前が勝てると信じている。お前の内にある才能を、正しく引き出すことが出来ればな……」
振り返った先に立つ彼女の瞳を見据え、オーガは言った。
「お前は勇者と名乗ったな? 勇者とはなんだ? 勇ましい者か? 勇敢な者か? 勇気のある者か? 俺はそのどれでもないと思っている。お前にとって勇者とはなんだ? さあ、答えろ……」
その言葉に、目の恥を赤くした少女は、毅然とした表情で、ただ一言こう答えた。
「勇者は私だ」
オーガはその回答に何も言わずに振り返った。
充分な答えだ。
この少女は本質的に強い人間だ。
自らの弱さに負けそうになっても、それをたった一人で乗り越える根性がある。
誰の助けも必要とせず、支えもなく一人で立ち上がる不屈の闘志を身に宿している。
ただ、その方向が歪んでいるだけのことなのだ。
勇者シアンは圧倒的な力を失った。
しかし、その圧倒的な力とやらは、所詮は他人から譲り受けた不正なものでしかなかった。
今の彼女は純度百パーセントの、彼女そのものだ。
「勇者は私だ。それ以上でもそれ以下でもない」
勇者シアン、レベル1――
それはこの世界で最低のレベル。
しかし、シアンはここから何度でも立ち上がってきた不屈の意思の持ち主を知っている。
魔王ネメス――
彼女のことを……因縁の宿敵のことを知っているからこそ、勇者シアンは今ここに立っている。
彼女はどれだけ過酷な状況でも、どれだけ低いレベルでも、魔王であることを辞めなかった。
それは、彼女が魔王だからだ。
彼女は魔王で、魔王とは彼女のことだ。
シアンにとって、ネメスという少女は常に魔王だった。
どれだけ殺しても蘇り、涙に溢れた瞳の奥に、気味の悪い程の信念と絶対的な希望が潜んでいる。
奴は無意味に殺されているわけではない。
それをシアンは知っていた。
だからいくら彼女が弱者を装っても、全力を以て殺してきた。
少しでも隙を見せれば、すべてを覆されかねないから。
因縁の宿敵はレベルが1でも諦めない。
魔王ネメスはレベル1からのやり直しを何度もやってきた。
だったら、勇者である自分がそれを出来ない道理などどこにもない。
「仕方がないが、認めざるを得ないようだな」
シアンは敗北した。
完膚なきまでに打ちのめされた。
だから、ここからやり直すのだ。
「待っていろ、風魔シルフィ。そして……魔王ネメス」
彼女の瞳の奥に青き炎が宿る。
勇者ちゃん、リスタート――




