勇者ちゃん、晩ご飯を作る
夕方、勇者シアンはオーガの家の台所で包丁を握っていた。
腰にはエプロンを巻き、頭には三角巾。
肉を切っているオーガの横で、目の前のニンジンを睨みながら呟く。
「なぜ私がこんなことを……」
「働かざる者食うべからずってな。ここではなんでも助け合いだ」
「それなら私は食わない!」
そう言って戻ろうとするシアンを抱き抱え、また無理矢理台所に連れ戻すオーガ。
シアンの現状のレベルは1だ。
筋力で敵わない以上、これ以上の抵抗は腹が減るだけで何の意味も為さない。
シアンは仕方がなく包丁で目の前のニンジンを切断する。
「痛……っ!」
「おいおい、大丈夫かよ……。お前料理はしたことないのか?」
切った人差し指をオーガが治癒魔法で治してやる。
余計なお世話だなんだとぶつくさ文句を垂れるシアンを見て、オーガは溜息を吐いた。
「食材を切るときは"猫の手"だ。ほら、こうやるんだ。真似してみろ。まさかこの程度のことも出来ないとは言わないよな……」
「なんだと……? その程度のことが私に出来ないと本気で思っているのか? ほら、こうだろう? 簡単だ」
挑発すればすぐに乗る。
相手のプライドの高さと単純さにオーガはニヤリと笑い、試しにちょっと意地悪してやることにした。
「そのまま、手を前に出して『ニャー』と言ってみろ。これも料理するのに大切なことだ。まあ、魔族にとっては簡単なことなんだがな」
オーガの見せる動きを見ると、シアンはそれを鼻で笑った。
「やはりお前たちは馬鹿な奴らだ。魔族はその程度のことで人族より上に立ったと自惚れてしまうのか。まあ見ていろ、私にかかればその程度のことは造作もない。にゃー。にゃあにゃあにゃあー。どうだ、完璧だろう?」
招き猫のようなシアンの仕草にオーガは笑いをこらえ、そのままニンジンの切り方を教えてやる。
さっきの猫の真似は面白そうだからそのまま、引き続き何かを切る度にやらせることにしよう。
オーガはそんなことを考えながら、シアンの切ったニンジンと自分の切ったその他の食材を鍋の中に放り込んでいく。
「これで暫く煮込めば完成だ。……お前の包丁捌きのおかげで予定より早く出来上がりそうだぜ。ありがとな」
「ふん……まあ、せいぜい死ぬ前に感謝しておけ。お前が私の正体を知った時には、きっと今日のことを後悔することになるだろうがな」
適当な相づちを打ちながらシアンを居間へと戻し、オーガは鍋を煮込む。
正直、シアンが切ったのはニンジン一本だけで、それも結構手間取っていたため大した役には立っていない。
だけど、こうして本人に「何かをした」という充足感を与えてやることはとても大事だ。
一方的に与えられるだけでは相手と自分との間に距離が出来てしまう。
だから少しずつでいいから手伝いはさせる。
それはオーガがこの村で多くの人たちや魔物たちを助け、少しずつ積み重ねてきた工夫の一つだった。
オーガの見立てでは、相手は本物の勇者シアンで間違いない。
それはあの少女が持っていた黄金色の聖剣を見れば一目で分かる。
それがどんな因果か、倒れている彼女を助けてこの村まで運んできてしまった。
村の人々はオーガと同じく、困っている人がいれば必ず助けるという盟約を誓っている。
だから、この村に彼女を襲う者は誰一人としていない。
むしろ問題なのは村の外のほうだ。
勇者シアンがレベル1で倒れていたということは、彼女を追い詰めるほどの凶悪な存在がこの付近にいるということに他ならない。
先日の爆発……。
時間的にもあの光は勇者シアンと関係していると考えていいだろう。
仮に敵がこの村に来て彼女を引き渡すよう要求してきたら……。
「その時は、そいつと戦うことになる……」
この村の盟約は先祖代々続く言い伝えだ。
この言い伝えを長らくずっと続けてきたからこそ、この村の魔物たちは人族との交易路を築くに到った。
人族の信用を勝ち取るに到った……。
だから、オーガは彼女が勇者シアンであろうと必ず守り抜くと決めている。
それは自分の先祖が代々守ってきた盟約に対するプライドだ。
オーガは鍋の蓋を開けると、中身の具合を見てそれを居間へと運んでいく。
「出来たぞ、お前が切ってくれたニンジンも良い感じだ」
「当たり前だ」
ぶっきらぼうにそう言い放つ勇者シアンに、鍋をよそった器を渡してやる。
彼女のほうも、レベル上げのために食事だけはちゃんとしたいはず。
シアンはオーガから器を受け取り、自分の切った人参を一口頬張った。
「……おいしい」
「だろ?」
「うん……」
続いてオーガの切っていた肉を頬張り、シアンは一瞬前のやり取りにむせ返った。
「お、おい……どうした急に……」
「わ、私は何も言ってない!! 何が『だろ?』だ! 気色悪い! 気味が悪い!! どうやら魔族には幻聴が聞こえるらしいな!! クソ……」
どうやら素直に美味しいと言ってしまったことを不覚に思っているらしい。
散々な言い様ではあるが、彼女のプライドの高さを思えば、今はその言葉を引き出せただけでよしとしておこう。
「そうか、幻聴だったか。でも悪い幻聴じゃなかったな」
「ふん……」
オーガはシアンと一緒に作った鍋を見つめ、それから器によそった具材を口に運んだ。
(魔王ネメス。もしお前の噂が本当なら……俺や俺たちの先祖の行いは正しかったと……そう思える時が来るんだろうか)
この世界は魔族と人族のどちらかが絶滅しなければ消滅してしまう。
だけど、オーガたちの暮らすこの村の掟は、困っている人がいれば、魔族だろうが、人族だろうが、分け隔てなく助けることだ。
その掟は極めて短期的な善行で、もしかしたら、この燃えていく世界においては偽善でしかないのかもしれない。
だけど、オーガは先祖たちから引き継いだこの掟を正しいと信じたい。
誰彼構わず助けることが、優しくすることが、間違いだなんて思いたくない
シアンはこの世界の崩壊を食い止めるために魔族と戦った。
それは正しい。
ネメスはこの世界の「崩壊する」という理そのものに挑戦している。
それも正しい。
オーガは、ただ目の前の人の命を尊重する。
それもきっと、間違っていない。
だがこの世界は待ってくれない。
多くの人々が、みなそれぞれの解答を持っている。
しかし正解はその無数にある解答のうちたった一つだけだ。
もしその正解に辿り着き世界を救える者がいるとしたら……。
(勇者シアン、俺はお前が勇者であることに意味が無いなんて考えられない。お前は、きっとこの世界にとって重要な存在だ……)
ご先祖様たちが言い伝えてきた掟。
その盟約が今勇者シアンを助けている。
オーガには確信があった。
理屈でも理論でもなく、ただ、運命的なものを感じ取っただけだが……。
だけど、その確信に間違いはないはずだ。
自分たちの代々守ってきた盟約は、今まさに、目の前にいる彼女を助けるためのものなのだと……。




