勇者ちゃん、思い悩む
シアンは深い群青色の空を見上げた。
あれから数時間。
夜の帳はとっくに降りて、頭上には煌めく星々が輝いている。
無限とも無窮とも思える砂の世界の中で、もう一度彼女は歩を進める。
もはや領域戦争は人族と魔族の二項対立では説明の付かない物になってしまった。
これからはたぶん、人族が人族と、魔族が魔族と争うことになる。
白と黒の融和……。
それを望む者がいれば、望まぬ者も当然いる。
パルパ半島のあの光景を見れば、そんなことは嫌でも分かる。
今まで人々はひとつの目標を目指していられた。
それは魔族という共通の敵がいたからだ。
青き炎を消し去り、人族の存続のために人類が一丸となって、魔族の絶滅を願っていられた。
(これからの世界は混沌だ。もはや収拾の付けようがない程、この領域戦争は複雑化してしまった……。メチル、カンナ、ラジウム……。お前たちはこの落とし前を付けられるのか……?)
シアンにはこれから先の事が全く分からない。
今まではネメスを殺すことだけを考えていればよかった。
それがいつか世界を救うことに繋がると分かっていたから。
だけど今となっては、それは人類の一部にとっては望ましくない行いらしい。
勇者が魔王を殺し世界を救う。
人々はそんな常識すら疑い始めた。
これは全部魔王ネメスの計略だ。
人族を分離し、魔族との戦いから目を逸らすほうに誘導する。
「クソ!!」
砂を蹴飛ばし、地面を殴り付ける。
「あの小賢しい女狐が!! 邪悪な山羊の悪霊が!!」
何度も何度も殴りつけ、飛び散った砂が口に入り不快感に奥歯を噛む。
「私は間違っていない……。間違っているのはお前たちだ!!」
空を見上げ絶叫する。
どこまでも星しか無く、どこまでも砂しか無いこの砂漠の夜に。
立ち上がり、砂の丘を登った。
開けた視界の先、ガラス化したディオリスシア市を見渡す。
風魔・シルフィ……。
王宮の地下にあったレベリング用の蟲毒。
あれの出所はずっと疑問だった。
人族が用意するには、あれは余りにも強力な魔物の群れだった。
それが魔族に由来する技術だとは露程にも思っていなかった。
人族の努力が、叡智が、世界を救いたいという想いが、あの技術を生み出したのだと信じていた。
「信じて……いたんだ……」
歯軋りし、ガラス化した街を睨む。
死々繰は人族を殺し、世界を滅ぼす者の技術だった。
魔族の技術だった……。
自分のレベルはシルフィによって上げられたようなものだ。
吐き気がする。
忠誠を誓った国が、魔族の操り人形だったのだ。
信じた技術が敵の送った塩だったのだ。
そして、シアンは利用されていただけだったのだ。
既に塩も舐めてしまった。
「待っていろ魔族ども……。この屈辱は必ず晴らしてやる……」
もはやシアンには後が無い。
現状のレベルは885だが、これ以上自力で上げることは難しい。
この魔力量だけで、確実にネメスとシルフィを殺しきらなければならない。
しかし、死々繰を使えば誰でもこの領域へと辿り着けるわけでもない。
それが出来るのなら既に人類は全員レベル999だ。
レベル上限には各々の資質の部分が大きく関わってくるのだ。
ネメスもシルフィも、恐らく全ての魔族が、この領域には辿り着けない。
その資質を持っていない。
これはシアンに特有の生まれながらの才能だった。
だから、シアンがこの世界で最強であるという事実は未だ覆らない。
「せいぜい利用してやる……。この力を手放すのは、お前たちを皆殺しにしたその後だ……」
ガラスの街に背を向け、シアンは再び砂上を行く。
青き炎を消し去るためには、彼女ら全てを滅ぼさなければならないから……。




