魔王ちゃん、ひとまず魔王城に戻る
――同時刻
――ネヴィリオ自治区周辺砂漠地帯
――黒のテリトリー、魔王城
あれから魔王ちゃんたちはネヴィリオへと戻り街に異変が無いかを見て回った。
結局街そのものに異変はみられず、シルフィもここにはいなかった。
何もかも杞憂だった。そう考えるのは簡単だ。
しかしディオリスシアが消滅した今、ここ、ネヴィリオに平和は無いと考えたほうがいい。
シルフィは広範囲に渡って強力な熱攻撃を放つことが出来る。
その手段がなんであれ、彼女が街ひとつを跡形もなく消し飛ばしたという事実は、全ての勢力にとって相当なプレッシャーとなることだろう。
シルフィは単に面白半分で死々繰をしているわけではないはずだ。
根拠は無いが、魔王ちゃんには彼女が何か重大で致命的な出来事を引き起こそうとしているように思えてならない。
もしそれが自らの計画の妨げとなるものであるとしたら、尚のこと……。
「魔王ちゃんー、言われてた食材全部買ってきたよー。サキュバスちゃんのお色気パワーで-、お値段なんと二割引きー」
「ありがとうサキュバスちゃん! えへへ~楽しみにしててねサキュバスちゃん! 今日はこの地域の美味しいお料理いっぱい作ってあげるからね!!」
王の間へと入って来たサキュバスは鶏肉やら野菜やらスパイスやらを携えふよふよと宙を浮いている。
対する魔王ちゃんはテーブルの上の紙や鉛筆を抱えて、それを奥の方に片付けた。
「魔王ちゃん-、さっきの紙、なに書いてたの-? なんか小難しい計算式とか凄い並んでたけどー」
「うん……シルフィの熱攻撃の原理について仮説を立ててたんだよね……。でも、正直これが正しいのかは分からない。それに暗い話しばっかりしてても何も始まらないと思う。だから、今はこの話しはやめよう」
そう言って、魔王ちゃんはさっき片付けたばかりの数式の書かれた紙の束を消滅させた。
サキュバスはなにもそこまでしなくてもと思ったが、たぶん魔王ちゃんはディオリスシアの街を見て精神的に疲れているのだろうと思い、そっとして、触れないことにした。
あれからここへやって来る道中、魔王ちゃんは一言も声を発さなかった。
シルフィの悪行はネメスの心に深い傷を残しているらしい。
(あれだけの街を、一人残らず、全員巻き添えにして消滅させたんだもんね……)
サキュバスは人の心の中に入り込むことが出来る。
ついさっきもシルフィを探すために街中の人の心を渡り歩いていた。
このネヴィリオの街にも、ディオリスシアに仲の良い友達や大切な家族を持つ人たちが沢山いた。
サキュバスは直接それを見たが、魔王ちゃんもその痛みを想像して、疲れてしまったのだと思う。
魔王ちゃんはサキュバスよりも繊細だ。
サキュバスのように、人の痛みを他人事として流すことが出来ない。
(私の能力が魔王ちゃんに無くてよかった)
サキュバスは本質的に優しさとは無縁の魔物だ。
高位魔族の中には"善悪"の概念を全く持たない存在が一定の割合で存在する。
サキュバスもそのうちの一人だ。
だからこそ分かる。
シルフィもこちら側の魔物だと。
自分の快楽のためだけに行動する善悪の彼岸。
サキュバスは魔王ちゃんが好きだ。
彼女の行動原理の全てはそこに帰結している。
ただ、魔王ちゃんに笑っていて欲しい。
悲しんでほしくない。
だから、サキュバスはこの世界で言うところの、いわゆる"悪"というやつをやらない。
それをすると魔王ちゃんが悲しむから。
本質的に、サキュバスは善悪の判別が出来ないし、そもそも理解することも出来ない。
脳の構造からして、彼女はそれを区別する能力を持っていない。
サキュバスは元々そういう種族だ。
ただ、サキュバスは偶然真我乖離を持っていたから、人々の善悪を見聞きして、統計的に選り分けることが出来るだけ。
彼女の本質はこうだ。
ただ気持ちいいと感じるか、気持ち悪いと感じるか。
彼女のような一部の高位魔族の行動原理は本来ただその一点にしか存在しない。
おそらく、シルフィもそうだろうとサキュバスは考えている。
そうでなければ、正気のまま虐殺など起こせるはずがない。
サキュバスはそこまで考えて、これ以上シルフィのことを考えるのはやめた。
魔王ちゃんの言うとおり、暗い話ばかりしていても何も始まらない。
あんな奴と自分が本質的に同じ思考回路だなんて、考えるだけ無駄なことだ。
そんなことより、魔王ちゃんのために作る美味しい献立についてだけ考えよう。
サキュバスは買ってきた食材をまじまじと眺め、魔王ちゃんがきっと喜ぶだろうととっておきのメニューを考案した。
「魔王ちゃんー、今日の晩ご飯、私はフレッシュ鶏肉ジュースと野菜だけハンバーグを作るねー」
「うん! サキュバスちゃんは見てるだけにしようねっ!!」
魔王ちゃんは急いでサキュバスから食材を取り上げたのだった。




