砂漠に吹く風
――砂漠
一人の魔物が椅子に腰を掛けている。
純白の椅子は風雨にさらされ茶褐色に変色し、ところどころの塗料が剥げていかにもみすぼらしく見える。
そこに片膝を上げて座る彼女の姿は、見た者に却ってどこか神聖ささえ感じさせた。
「魔王ネメスが動き出した……」
目の前にかしづく巨躯の男の言葉に、少女はゆったりと微笑んだ。
「それは素敵な知らせだね」
「いいのか? まだ計画は最終段階まで進んでいないのだぞ……」
男は顔を上げ、目の前の魔物"シルフィ"を見上げる。
無造作に伸ばした薄緑色の柔らかい頭髪。
触れれば割れてしまいそうな色素の薄い肌。
異様に痩せ細った肢体にぼろきれを纏い、右手には何やら、薄汚れた書物を持っている。
彼女は男の問いに優しく微笑んだ。
「たまには泥臭い競争をするのも悪くはないと思うよ?」
「しかし……俺たちはこの目的のためだけに何年もかけて世界中を巡ってきた! 今さら邪魔をされるのは我慢ならん!」
「邪魔をされてダメになるかどうかは私たち次第だね。ノーム、君の気持ちはよく分かるよ。だけどね」
シルフィは本を開いて立ち上がり、後ろのほうに振り返った。
振り返った先に、裏切り者の姿を見下ろして。
「どうやら、邪魔するほうも必死みたいだ」
「シルフィ、ノーム……やっと見つけました。今すぐに死々繰計画を止めてください。こんなことをしても何の意味もありません……」
シルフィは軽薄に微笑み、手元の本を砂の上に落として言った。
「昔、ある哲学者はこう言った。"作家は神懸かりの状態において作品を作る。彼らは、自分の物語るその先を、何ひとつ本当には知っていない"とね。私たちは自らを物語る作家だ。自らの運命は誰も知らない。全ては風が決めてくれる」
だから
「残念だけど、君のお願いは聞けない。死々繰計画は続行だ」
次の瞬間、ウンディーネは自らの腕が切断されていることに気付く。
敵意も殺意も見せることなく、刹那のうちに風が肉を裂いたのだ。
風は目に見えない
「――ッ!!」
ウンディーネは即座に斬り落とされた腕を再生し、次の斬撃を回避する。
無数に襲い来る見えない刃を、必死になって回避する。
そして彼女は辺り一帯が先ほどまでより暑くなっていることに気付いた。
「何……!?」
見上げた先、上空の大気が歪んでいる。
(まさか……)
シルフィは風を司る魔物だ。
彼女の権能は大気の流れを制御して上空にレンズを作り、辺り一帯を焼き払うことさえ可能にする。
ウンディーネがシルフィへと視線を向けたその瞬間、彼女の濁り切った赤い瞳が微笑んだ。
刹那、激しい光と共に辺り一帯が赤熱、灼熱に覆われた。
範囲内の全ての砂が赤く溶け、蒸気を上げながらガラス質に固まっていく。
全てが済んだ後、シルフィの背後からノームが眼下の景色を見下ろして溜息を吐いた。
辺りは完全にガラスに覆われ、ウンディーネの姿は跡形も残っていない。
「相変わらず容赦がないな」
「本気の遊びが一番楽しいからね」
痩せ細った肢体に纏ったぼろきれが風に揺れる。
地面の焼け跡を見下ろして、シルフィは楽し気に笑った。
「なんだ? 何が面白い?」
訝し気なノームの問いに、シルフィは目の端の涙を拭いながら、ガラス質の地面を指して言った。
「逃げられた! あの辺りの焼け方だけ少し不完全でしょ? ウンディーネは水を司る魔物だからね、こう……水になって砂の間を通り抜けて、一気に地下深くに潜って行ったみたいだね!」
シルフィの太陽レンズで焼けるのは精々が地下一メートルくらいだ。
それ以上深くまで潜られてしまうと、流石に熱が届かない。
「ウンディーネ……!」
眉間に血管を浮かばせながらノームは歯軋りする。
その横でシルフィは笑い転げ、楽しそうに青空に手を伸ばした。
骨に皮が張り付いただけのようなその白い手に、太陽を掴んで。
「これから魔王ネメスと勇者シアンが私たちの計画を邪魔しに来る。そうなったら三陣営での総力戦だ。これは、負けられないね……」
全ては風が決める。
そして、シルフィは風を司る魔物だ。
「昔ある詩人が言った。"花は散る。散ることの美しさを湛えながら"とね。私たちも美しく散ろう。この、燃えていく世界と一緒に……」
風は花を散らし、より強く炎を燃え上がらせる。




