さようなら、また会う日まで
ずっと不思議に思っていた。
世界は一枚の地図の中にある。
青く燃える一枚の地図の中に、魔族がいて、人族がいて、それ以外の生き物たちが暮らしている。
限られた領土の中で、失われていく領域の中で、互いに互いを憎みあって、殺しあって……。
次第に狭くなっていく世界を奪い合っている。
「その先に、いったい何があると言うのですか……?」
魔族が人族を殺し、人族が魔族を殺す。
そうしてどちらか一方が死に絶えれば、この世界を覆う青き炎は消滅し、残された一方は生き永らえる。
ちいさくなった世界に。
屍の山の上に。
「それがあなたたちの望む世界ですか?」
失ったものは、決してもとには戻らない。
「世界を焼く炎を消すために、あなたたちは必死になって血をかけ続けている。バケツいっぱいに誰かの血を汲んで、それを炎にかけて消そうとしている。だけど、それじゃダメなんです……」
だって、それじゃあ何のために青き炎に抗っているのか、分からないから……。
「この世界は残酷です。ろくでもない、地獄のようなルールを課せられた蟲毒です。殺さないと生きられない。そんな世界です」
だけどそんな世界の中で私たちは生まれ、出会い、語り合い、笑って、互いのことを大切に思ってきたはずだ。
こんなろくでもない世界の中でも、誰にだって死んでほしくない人の一人や二人くらいいる。
その人に死んで欲しくないから、青き炎に抗うのだろう……?
「炎を消すために殺した誰かも、きっと他の誰かの"死んで欲しくない人"だったんです……」
守るために殺している。
それが今のこの世界の人々が、魔物がやっていることの本質だ。
命ひとつを守るために、命ひとつを犠牲にしている。
まるで、自分たちで自分たちを焼いているようだ。
呆然と見上げる人々の顔を、魔王ネメスは見渡した。
そのうちの何人かは見たことのある顔だ。
彼らも、魔王ちゃんにとっては"死んで欲しくない誰か"だ。
「だから……もう、やめにしませんか?」
これ以上は無益だ。
焼かれる前に自分たちで間引いているようでは、結局どちらも同じだ。
だから……ここに終戦協定を申し込みたいと思う。
「これ以上、領域戦争による死者を出したくないのです。それは人族も同じ思いのはず。そもそも、この戦争は思想信条を元にするものではありません。生き残りたい、ただそれだけのための戦争なのです。だったら、互いに武器を捨てて手を取り合いましょう!!」
ネメスは直接人々に語りかける。
今まで国王への和平交渉を進めるために様々な策を練ってきた。
しかしその多くは何の芽も結ぶことなく、裏で握り潰されてきた。
それなら、ここにいるパルパ半島の人々に知らせればいい。
「青き炎を食い止めるのです。私たちの本当の敵を倒すために、人族のみなさんの力を貸して下さい!!」
民衆への呼びかけは、直接的には無力だ。
法も軍隊も、それを担うのは国であり王である。
だけど、この呼びかけが波紋を生み、国王の元へと届けばいい。
人々がこの呼びかけに呼応さえしてくれれば……
「ま……魔族風情が! それらしいことを言いやがって!!」
人々の沈黙を破ったのは、一人の男の、震えた声だった。
それからぽつりぽつりとテトの市民は声を上げ始める。
「そうは言っても、青き炎は止められないわけじゃない……?」
「そもそも私は誰も殺してないわよ! 一緒にしないで!」
パルパ半島の人々は口々に思ったことを口にしていき、その波紋は街中に広がっていく。
やがて民衆の言葉は明確な罵詈雑言へと変わっていき、大きな波のように、一つになって空に浮かぶ魔族の王へと向けられた。
「俺たちを騙そうってわけだろ!! そうはいかねえぞクソ野郎!!」
「魔族となんか手を組めるか!!」
「世界を救いたいならまずお前が死ね!!」
人々の言葉を前に、魔王ちゃんは奥歯を噛み締める。
刹那、テトの街で爆発が起きた。
人々は悲鳴と共に逃げ惑い、魔王ちゃんはその爆心地にいつもの顔を見付ける。
「見つけたぞ、魔王ネメス!!!!」
「今の……今の爆発は、なんでやったの……?」
「貴様を殺すためだ」
勇者シアンは拳を握り締め、聖剣がギリギリと軋みを上げる。
その姿を見下ろし、ネメスは眉根を寄せた。
「今ので何人か死んだよ」
「それがどうした? お前さえ死ねばこれ以上死なずに済む」
ネメスはシアンを睨み付ける。
今まで見たこともない魔王の表情にシアンは一瞬怯んだが、気を持ち直し真っ直ぐにネメスを見据えた。
「……"それがどうした"って言ったの?」
「ああ、言ったが。それがどうした?」
ネメスは歯を食いしばり、魔力を全身に巡らせる。
「領域戦争で魔族を殺すならまだ分かるよ。仕方ないよね。生き残るためなんだもん……」
だけど、これは違う。
これは死ななくてもよかったはずの死だ。
今死んだ人たちにも、きっと大切な人がいたはずだ。
「貴様にとって命の価値はその程度か。勇者シアン」
刹那、シアンの繰り出した炎が魔王ネメスを襲った。
その炎を打ち破り、突撃してきた勇者の聖剣を素手で止める。
魔王ネメス、レベル×××――
あり得ない。
目の前で起きた全ての出来事に勇者シアンは目を見開いた。
「どういう理屈で何が起きているんだって思ってる……? それくらいの疑問を、さっきの自分の行いにも抱いて欲しかったよ……」
ネメスはギリギリと聖剣を握り、手のひらから血の雫を滴らせ、シアンの顔を覗く。
赤く輝く瞳を前に、勇者シアンは息を飲んだ。
「お生憎様。私は自分の手の内は信頼してる味方にも明かさないタチなの。だから、私の本気を見るのは今回が初めてでしょう?」
「お前……まさか……」
「ま……魔王様頑張ってぇーっ!!!!」
背後の声にシアンは思わず振り返った。
一人の少女が猫を抱きかかえ叫んでいる。
彼女の姿に、ネメスは目を見開く。
「あの時の……」
冒険者ギルドに来ていた、迷子猫の依頼を出していた女の子だ。
「私……魔王様が依頼を受けてくれた時、凄く嬉しかった。だから私は魔王様を応援する!! 私は冒険者になりたいって思ってたけど、いま、違うって分かった。私は冒険者じゃなくて、魔王様みたいな人になりたい!!」
「こ、こらなんてこと言うの……!!」
母親が止めるのを聞かず、女の子は叫ぶ。
「離しておかあさん!! こんなの間違ってる!! 魔王様は私のために頑張ってくれた!! だから私は魔王様の味方をするの!!」
その隣で、二人の男が一緒に声を上げた。
「勇者シアン、てめえ俺たちの街を傷付けやがって!! 今すぐに剣を納めねえと俺が許さねえぞ!!」
「損害賠償を求める」
同じ依頼を受けたマッチョと甲冑の男。
それから別の方角から複数の声が聞こえてくる。
「あ、あんた臨時料理長だよな!? 俺、あんたのエビチリパスタ食ったぞ!! 一週間もずっと来るのを待って、滅茶苦茶美味しかった!!」
「俺は料理長が最初に来た時の客だ!! 料理長の作ったニシンバゲットサンドの味……今でも舌が覚えてるぜ!!」
男たちの声に、街中がどよめき立つ。
「臨時料理長ってまさかあの伝説の店の……!?」
「魔王とか勇者とか俺は知らねえ!! 俺にとってはあんたは臨時料理長だ!! それ以上でもそれ以下でもねえ!!! 頑張れ臨時料理長!!! また俺に旨いメシを食わせてくれぇ!!!」
一部の人々が魔王ネメスへと声援を送り始め、街が混沌に包まれ始める。
「貴様魔王の言葉を真に受けるのか!!」
「知ったこっちゃねえ!! 臨時料理長が悪い奴じゃねえってことは俺たちが一番よく分かってんだ!!」
「あの子は私の命の恩人だ!! 笑顔も可愛いし、一緒に働いていて最高に楽しかった……。店を育ててくれた仲間を無下には出来ん!!!」
男たちの殴り合いに店長が参戦し、その近くではアクセサリー屋から一人の女性が顔を覗かせている。
「あの時、一緒にアクセサリーを選んだ子ですよね……? あなたの付けてる真珠の髪飾り、私がオマケしたものと同じだわ……」
アクセサリー屋の女性はあの時のことを思い出し、確信したような瞳でネメスを見据える。
「私も、あなたが悪い子じゃないってよく知ってるわ。あんなに真剣に仲直りのためのプレゼントを選ぶ子に……私は酷いこと言いたくない! あなたが本当に魔王ネメスなのか私には分からないけど、だけど……頑張って……!」
街中から上がる応援に魔王ネメスは困惑する。
今まで、魔族であることを明かして人族に好意的な言葉を掛けられたことは一度もなかった。
魔王ネメスともあれば、それは人類の憎悪の対象だ。
それが、今はこれだけの人たちが自分のことを応援してくれている。
もちろん街の全員というわけにはいかない。
それでも、これは魔王ちゃんにとって大きな一歩だ。
「ありがとう……」
魔王ちゃんは一言そう呟き、シアンへと視線を移した。
「勇者ちゃん、これ以上はやめたほうがいいよ」
シアンは聖剣を引き抜き、さらにネメスに斬りかかる。
刹那、シアンとネメスの間を剣が走った。
宙を浮かぶ15本の刀剣類がシアンを追撃し、勇者はそのままネメスから距離を取った。
「カンナ……」
「ごめんねシアン~!! でも引き際は弁えたほうがいいかもよ~?」
カンナは教会の時計塔の上に立ち、周囲の人々を見渡す。
街の人々は勇者シアンへのブーイングと魔王ネメスへの声援を上げている。
もちろん、全ての市民ではない。むしろそういった人々は全体から見れば少数派だ。
しかし無視できる数でないことも確か。
これ以上の戦闘でテトの街に被害を出せば魔王派の民衆が余計に勢いづくかもしれない。
シアンはネメスを睨み、聖剣を下ろす。
「ねえ、魔王ネメス~! 今日は面白いもの見させてくれてありがとね~!! 教会の転移盤が目的なんだよね? 転移するまでの間、私が時間を稼いであげてもいいよ~!!」
カンナと呼ばれたその少女の言葉に、ネメスは何も言わず教会へと降り立った。
得体の知れない雰囲気を纏った少女だが、危害を与えてくる様子はない。
「……ありがとう」
「お礼はいいよ!! むしろこっちがありがとうねっ!!」
カンナはニタニタと笑い、魔王ネメスが教会に入って行くのを見送る。
シアンはカンナを見据え、問う。
「カンナ、これはどういうつもりだ……?」
「どうもこうも、魔王ネメスの目的はこのテリトリーで用意した戦力の一部を、次のテリトリーに持ち越すことらしいからね。それをお手伝いしてあげただけだよ~?」
「お前にしては殊勝なことをするじゃないか。いつから魔族の側についた……?」
「アハハ!! それは誤解だよシアン!! ……こうでもしないとシアンと戦える真っ当な機会なんてないでしょ~?」
それからカンナビスは剣を掲げ、民衆に呼びかける。
「皆さん、安心してください。私の名は剣鬼カンナビス!! 先代剣聖ニトロの元で剣を学び、勇者シアンと共に戦ってきた勇者パーティの一人です!! 魔王ネメスを倒すことについては皆さん思うところは色々にあるでしょう。しかし!! ここで戦うことで被害が出るくらいなら……」
剣をシアンへと向け、ニマニマと笑う。
「私が被害を食い止めます!!」
民衆はカンナビスを持ち上げ始める。
シアンは彼女を睨み、剣を納めた。
「明日の新聞の見出しはこうだね!! "街を守った英雄カンナビス! 勇者シアンとは敵対か!?"」
「……全てが上手くいくとは思うなよ」
シアンは透視スキルを利用し、教会の中に巨大な穴があるのを見付けた。
ネメスはサキュバスと銀翼竜と共に島から運んできた大量の木箱を転移盤に山積みにしていく。
これらは全て、魔王ちゃんがアサルトバンカーを利用して夜通しで地下迷宮を往復して運んだ島の魔物たちだ。
全てとはいかないが、銀翼竜と二体で運んで、かなりの量を教会の真下まで持ち込むことが出来た。
「魔王ちゃんー、いくらなんでも隠し事が多すぎるよー」
「でも上手く行ったでしょ?」
「ま、そうなんだけどねー」
サキュバスは最後の箱を転移盤に積み上げると、銀翼竜とゴーストを転移盤に乗るように促した。
かなり強度的に怪しい重量だがギリギリ全員で乗れそうだ。
「魔王ちゃん、次の行き先くらいは教えてくれるよねー?」
「えへへ、それもひーみつ!!」
「そういうところだよ魔王ちゃん」
転移盤が起動し、二人は光の風に包まれる。
これでこのパルパ半島ともお別れだ。
「なんか、ちょっとだけ寂しいねー」
「そう思えるくらい、この街が好きになれたんだよ」
それを聞いてサキュバスはふっと微笑んだ。
思えばここに来てから色々なことがあった。
魚雷ザメに爆破され、銀翼竜と戦い、メチルと出会い、店では給仕の仕事をした。
魔王ちゃんとも以前より仲良くなれた気がする。
「大変だったけど、楽しかったなー。魔王ちゃんはー?」
その問いに、魔王ちゃんはにこりと笑った。
「うん、すっごく!!」
だから、次の街ではもっともっと、いい思い出が作れますように!!
魔王ちゃんは魔王だ。
誰よりもこの世界を愛していて、すこし変なところもあるけれど、愛嬌たっぷりの笑顔で人族とだって仲良くなれる。
少し泣き虫で臆病だけど、そんなところもチャームポイント。
そして、いずれ世界を救う最強の魔物――
それが魔王ちゃんこと、魔族の王ネメスなのだ。




