魔王ちゃん、ヒスる
「王手」
「……これ以上は逃げ切れないかー。投了だよー、さすがは魔王ちゃん。相変わらず将棋強いねー」
「えへへ、こういうゲームって楽しいよね! 次はこっちの囲碁とかどうかな? 同じ極東の国の遊びなんだけど!」
「いいねー。で、魔王ちゃんー」
「ん? なにかなサキュバスちゃん?」
「言いたくないんだけどさー……こんなことしてる場合ー?」
サキュバスの言葉に、魔王ちゃんの笑顔は一瞬で凍った。
瞳の輝きは失われ、心底つまらなそうに口角が下がる。
魔王ちゃんは首を傾げ、焦点の合わさらない瞳でサキュバスを見つめている。
「サキュバスちゃん、こんなことしてる場合って……どういうことかな? 私は今日も明日も明後日も、昨日や一昨日と同じように毎日楽しく過ごす予定だけど?」
「目を覚まして魔王ちゃんー!! 勇者シアンがすぐそこまで来てるんだよー!! 夜が明けたら戦いになるんだよー!?」
魔王ちゃんの肩を揺さぶるが、彼女は魂の抜けた人形のようにヘラヘラと笑っている。
「サキュバスちゃん寝ぼけてるのかなぁ? 私、勇者ちゃんなんて人知らないよ?」
「目を覚まして魔王ちゃん!!」
サキュバスがそう叫んだ瞬間、魔王ちゃんは地面を殴りつけた。
轟音と共にクレーターができ、部屋の隅でこちらを見守っていた銀翼竜とゴーストがびくりと肩を揺らす。
サキュバスは一瞬何が起きたのか分からなかったが、ふーふーと息を荒げながら奥歯を噛んでいる魔王ちゃんの姿に、ビクビクと怯えながら、彼女の顔を覗き込んだ。
「っ……ま、魔王ちゃん……? どうしたの……?」
「……どうしたのって何?」
「ぇ、だって今凄い怒って……」
魔王ちゃんは何も言わない。
ただ息を荒げて歯軋りしているだけだ。
「でも魔王ちゃん……勇者ちゃんはすぐそこまで来てるんだよ? 何か対応策を考えないと……」
「うるっっっっっさあいなぁああ!!!! 分かってる!!!! 分かってるってのぉ!!! そんなことは、とおおおおおおっっっくに理解してるよ!?!?!? なに!? だから何゛!゛?゛ サキュバスちゃんは私にどうして欲しいの!?!? ねえ、何!? はああああ、少しくらいゆっくり考えさせてよ!!!! 今!!! 目前に!!! 明白な死が差し迫ってるんだよ!!!!」
今まで聞いたことも無いような声で喚き散らす魔王ちゃんに、サキュバスは身体がこわばり何も言えず、ただ彼女を見つめることしか出来ない。
「勇者ちゃんが怖いってことは私が一番分かってるんだよ!!! 容赦ないからねあの子!!! 本当に!!! 痛いこととか苦しいこととか沢山してくるし!!!! てかサキュバスちゃんに勇者ちゃんの何が分かるの!?!? 会ったことも無いくせに!!!!」
「魔王ちゃん落ち着いて……」
「私は落ち着いてるよッッッ!!! 何度も何度も聖剣で殺されて痛くて怖くてたまらなくて、それでも落ち着いて魔王やってるでしょう!?!? これ以上どう落ち着けって゛の゛!゛?゛!゛?゛」
鬼気迫る魔王ちゃんの叫びに、サキュバスは何も言えず、震えながら魔王ちゃんのことを見つめている。
魔王ちゃんは頭を抱え絶叫する。
「本当に勘弁してよぉおお!!! 私こんなに頑張ってるんだよ!?!? 分からない!? サキュバスちゃんには分からないかぁ~~~!!! そうかそうか、サキュバスちゃんには私がこんなに頑張って、一からキュピス諸島に戦力整えてるのが全部全部全部全部!!! 遊びに見えるんだねっ!!!! 私が何もやってないように見えるんだねっ!!!!!! ほんっっっとうに嫌になるよ!!!」
「っ…………」
「あ~あ!!! もう嫌!!!! なんで私ばっかり……サキュバスちゃんは分かってくれると思ってたのにッッッ!!!!!」
サキュバスの瞳が潤み、ぽろぽろと雫がこぼれ出す。
ぼろぼろと涙の粒を落とす彼女の姿をみて、魔王ちゃんは荒い息を整え、ふと我に返った。
「ぁ……あ、ごめんサキュバスちゃん! 私……そんな、サキュバスちゃんを責めるつもりで言ったわけじゃなくて……」
ネメスはどうしていいのか分からず、サキュバスの前であわあわしている。
サキュバスは声も出せず、ただ魔王ちゃんのことを見て泣いている。
「違うのサキュバスちゃん……私、勇者ちゃんが怖くて正気を失ってて、取り乱しちゃって……。サキュバスちゃんに酷いこと言っちゃった……。ごめんなさい……私、最低だ……」
俯き、さっきまでの自分の醜態を思い出す。
サキュバスちゃんの言っていたことは至極真っ当だ。
勇者シアンが来たという事実は喚いたところで何も変わらない。
それなら何らかの策を講じるしかないだろう。
それなのに、さっきまでの自分はどうだ?
喚いて暴れて叫んで、挙句友達に酷いことを言って泣かせた。
最低だ。
「私、魔王失格だね……」
サキュバスの前で、魔王ちゃんは自分の愚かさを呪った。
自分の心の弱さが惨めでたまらない。
そんな風に思っていると、サキュバスは涙を拭い、小さな声を出した。
「……うそ」
ネメスが顔を上げると、目の端を真っ赤にしたサキュバスが、無理したような顔で笑っている。
「あの日のお返しだよ、魔王ちゃん! 噓泣き作戦大成功ー!!」
そう言って、サキュバスは魔王ちゃんの手をぎゅっと握る。
「さっきのはねー、魔王ちゃんを冷静にさせるための、サキュバスちゃんきっての一大作戦だったのだー! まんまと引っかかったね、魔王ちゃんー?」
「え、でもサキュバスちゃん本当に泣いて……」
「ふふふー私の演技力にさすがの魔王ちゃんも困惑しているみたいだねー?」
魔王ちゃんは彼女の言葉に本当に困惑する。
さっきまで、サキュバスは明らかに本当に泣いていた。
今の彼女は、それを何とか誤魔化して気丈に振る舞っている。
嘘泣きなんて嘘だ。
「サキュバスちゃん、嘘泣きって」
そう言いかけて、魔王ちゃんの胸にサキュバスが顔をうずめてきた。
ぎゅっと服を掴んで顔を隠したサキュバスは、小さな声で呟く。
「嘘泣きってことにして。魔王ちゃん。そうしてくれたら、さっきの言葉は全部許すから……」
それを聞いて、ネメスは俯く。
サキュバスは自分の全てを受け入れると誓ってくれたのだ。
それなのに、当の自分があんなことを言っていては約束を破ったも同然だ。
それなのに、彼女は自分を許してくれると言っている。
魔王ちゃんはサキュバスちゃんを抱き締め、頭を撫でた。
「サキュバスちゃん、ありがとう……。私、勇者ちゃんとの戦いについて、ちゃんと考えるよ。時間は残り少ないけど……やれること全部やる。死ぬとしても、次に繋がる死に方をしないとね」
そう言って微笑み、サキュバスと顔を合わせる。
勇者シアンを倒すことが二人の目的ではない。
二人が叶えたい未来は、そのずっと先にあることだ。
そのためなら命だって投げ出す必要がある。
痛くても、怖くても、耐えなきゃならない。
魔王ちゃんの進む道は文字通り茨の道だ。
嫌になることもあるし、さっきみたいに取り乱すことだってある。
だけど、目的だけは見失ってはいけない。
常に最善を尽くすのみ。
「だって、それが魔王の仕事だからね」
ネメスの言葉に、サキュバスは頷く。
魔王軍幹部序列一位……。
それは魔王ちゃんを一番近くで見守る者の立ち位置だ。
だから、魔王ちゃんの選択をサキュバスは信じる。
「うん……。期待してるよ、魔王ちゃん!」




