勇者ちゃん、パルパ半島に到着する
光の風が舞い、部屋の内装が変わる。
転移は無事に完了したらしい。
「勇者シアン様……これはこれは突然の御来訪ではありませんか……」
「ああ、急用なんだ。無断で転移盤を起動して済まなかったな。今日の転移回数は?」
「支障ありませんが……。それにしてもどうしてこちらへ? 何か悪い知らせでも?」
「いいや、ちょっと観光にでも」
神父の質問をあしらいながら協会を出る。
パルパ半島、テトの街……
向こうに見えるキュピス諸島はここと隣接した黒のテリトリーだ。
ここに魔王ネメスがいるとすれば、恐らくはあの島のどれかが拠点になっていると見てまず間違いはない。
「出立は明日だな」
見上げた夜空には星が瞬いている。
魔族は闇の中に溶け込むことが出来る。
シアンは魔族の位置を感覚で感じ取ることが出来るが、大量の魔族が同時に動けば雑音で魔王ネメスを見逃す可能性が高い。
確実に殺すためには明日の午前中に奇襲をかけるのが望ましい。
最悪の状況を考慮に入れて、朝方は避け、正午に実行に移す。
朝はまだ人々の眠りが覚めきっていない。
魔族が襲来し避難する必要が出てくる可能性を考慮に入れれば、まず昼時で間違いないだろう。
「シアン様、明日ここで何かあるのですか?」
「何でもない、心配しないでくれ。転移盤のことは悪かった」
教会の中から追ってきた神父を退け、そのままテトの街の宿屋へと向かう。
本当なら転移盤の使用は事前に通達を入れるのがこの国での習わしだ。
転移盤は勇者、国王、貴族、剣聖、宮廷仕えの騎士たちといった特権階級のみが扱える移動アイテムだ。
教会にある転移盤には隣接する町にある他の転移盤へと瞬間移動を行う特殊な術式が組み込まれており、これを連続的に使用することで世界中のあらゆる場所へと転移することが出来る。
しかし、例外もある。
転移盤には日に三回しか使用出来ないという制限があるのだ。
だから他の誰かが利用していたりすると、その地点の境界で足が止まってしまう。
国内の貴族階級の人々が皆教会に無秩序に足を運べば、必要な時に転移が出来なくなってしまう。
だから、本来なら事前の通達が必要というわけだ。
シアンは宿へと到着するとチェックインを済ませて部屋へと入った。
広々とした部屋のど真ん中にあるベッドに腰を下ろし、聖剣を鞘から抜き出す。
魔王を葬るのに必要な聖剣・レーゼンアグニ。
しかし、魔王ネメスはこんなものなど無くとも殺害出来る。
それなら何故この剣は存在しているのか。
この剣の性質はシアンの鑑定を受け付けない。
全てが隠匿情報の塊なのだ。
いつ、どこで、誰が、どうやって、この剣を生み出したのかは誰にも分からない。
ただ一つ分かることは、この剣が本物の聖剣であるということだけ。
この世界に、ステータスの全てが隠匿情報とされている物体はレーゼンアグニ以外に存在しない。
故にこの剣は他の剣とは明らかに違う。
魔王を殺すのにこれが必要といわれる所以がそこにあるのかは知らないが……
「まあいい。魔王ネメスを殺すのにこれが必要と言われている以上は、これで殺すのが正解だ」
言い伝えというものは、徐々に風化していくものだ。
肝心な部分が伝わらず抜け落ちていくということもあるだろう。
とにかく、シアンはレーゼンアグニで魔王ネメスを殺していればいい。
言い伝え通りに。
「楽しみだ……魔王ネメス、また殺しに行くね……。くく、ふふふ……あはははは!!!」
勇者シアンは窓の向こうのキュピス諸島を眺め、ネメスのことを思い出す。
あの泣き顔がまた見られると思うと明日のことが楽しみでたまらない。
シアンはレーゼンアグニを抱きかかえてベッドに倒れ込む。
魔王ネメスの血を存分に吸った剣。
それを大事に抱きかかえ、シアンは虚空に手を伸ばす。
「待っててねネメス……今回も楽しく遊んであげるから」




