メチル、先代剣聖に弟子入りする
朝。
メチルは教会の転移盤を利用して、パルパ半島の隣のテリトリー、"フィクタナ市"へとやって来た。
昨日は王宮会議やシアンとのやり取りで疲れてしまい、あの後は何も出来ず、ただ宿で横になっていた。
正直、メチルの目論見が上手く行ったかは微妙なところだ。
シアンの意識をシルフィへと向けさせ、死々繰計画を破綻させる。
同時にシアンの気が魔王ちゃんから逸れている間はキュピス諸島の戦力を整えられるし、白のテリトリーにどれだけのハト派がいるのか調べる時間も稼ぐことが出来る。
ただ、カンナはシアンの勘は鋭いと言っていた。
不本意ではあるがカンナの言うことは無視出来ない。
パルパ半島での一件も含め、彼女の勘は当たりすぎる。
「もしも、あの二人が僕の敵になるとしたら……」
その時、あの二人と上手く戦えるだろうか?
シアンはともかくとして、カンナビスにはレベルの上では勝っている。
しかし勝敗はステータスだけで決まるわけではない。
彼女の勘や運動能力、剣技や即応性はメチルの比ではない。
悔しいけれど、接近戦に持ち込まれたらまともに戦える自信がない。
メチルが今日このフィクタナ市へとやって来た理由がそれだ。
目の前に立つ豪邸の門をくぐると、備え付けられていた呼び鈴が揺れた。
軽い金属の音が風に乗って辺りへ響き、屋敷から一人の老人が姿を見せた。
「おお、メチルじゃないか! どうした、こんなところへ来るなんて。どういう風の吹き回しだ?」
老人は胸元まで伸びた白髭に禿げ頭、腰は曲がっていて、一見するとひ弱そうな印象だ。
しかし、あの穏やかな瞳は、目の前に立つ者の髪の毛一本の動きまで正確に予測する。
耳は暗闇の中で音の反響から周囲の状況を瞬時に把握し、暗闇に溶け込んだ魔族の居場所を真昼と同じように把握できる。
そしてあの体は担った刀剣類を自在に操り、岩や鉄を紙のようにいとも簡単に切断する。
先代剣聖ニトロ――
それがこの白髭ハゲ頭の正体だ。
「ニトロ爺、お久しぶりです。ここへは大事なお願いがあって足を運ばせて頂きました。突然の御無礼をお許しください」
「そう畏まるな。お前さんはワシの孫娘のようなものじゃからな! まあいい、上がってくれ。何か甘いものでも出そう。おぉ~いメイド! プリンか何か持って来てくれんか? メチルが来ておるのじゃが!!」
「大丈夫ですよニトロ爺、ごちそうになっては悪いです」
「いいんじゃいいんじゃ。好きじゃろう。プリン?」
「好きですけど……」
ニトロの後について客間へと上がってきたメチルは、奥の席へと通された。
メイドの運んできた紅茶とプリンを前に、メチルは少しだけ緊張する。
ニトロとは小さい頃からの顔なじみだ。
故郷が隣の村だったということもあるし、勇者パーティへと参加すると決まった時には短い間だが近接戦の稽古を付けられた。
あの時は近接戦に興味がなく、周りの勧めで何とはなしに稽古を受けていたので、最低限の護身術くらいしか身につかなかった。
「いやぁ懐かしいのぉ……! あの小さかったメチルがこんなに立派な魔導士になって! もっとも、近接戦の才能は皆無じゃったがな!」
ガハハと笑う老人にメチルは苦笑いを浮かべながらプリンを口にする。
「お恥ずかしい限りです。剣聖の稽古を受けながら、習得したのは護身術だけ。どうやら才能は魔法のほうに極振りしてしまったようで……」
「それはそうじゃ! 全属性魔法使いは国内ではお前さんだけじゃからな、正面対決すればワシでも敵わんかもしれんからのぉ」
「そ、そんなことないです! 僕なんてまだまだ未熟で……!」
ニトロの言葉にメチルは慌てて両手を振って否定した。
「先代剣聖を相手に勝てるなどとは……」
「それくらいの気概は持っていそうなものじゃがな」
ニトロの言葉に、メチルは何も言えなくなった。
もちろん、この老人の言葉の通りだ。
人類最強の魔導士であるメチルは他の誰にも負けるつもりはない。
相手は先代剣聖……剣を持つ者である限り、距離を離され続ければどうしようもない。
距離を開け、各種魔法で遠距離砲撃して足場を破壊しつつ、隙が生まれるのを待ち、トドメの魔法を放つ。
あとはその場その場で状況を読んで動けば不利にはならないはずだ。
しかし、それが簡単に通用すると思っているならマヌケもいいところだ。
相手は相手で対魔導士戦術くらい弁えているし、先代剣聖ともなれば状況そのものをひっくり返す可能性も無きにしも非ず。
だからメチルはここへ来たのだ。
頭を下げ、瞼を閉じる。
声に芯を通して。
「僕に近接戦を教えてください」
「ふぉ……?」
老人は顎髭を撫でながら、メチルの申し出を聞いている。
「確かに、僕は自分のことを強いと思っています。人類最強の魔法使いだと自負しています。だけど、それだけでは足りないと実感したんです。この世界には強大な存在が多すぎる。そいつらとまともにやり合おうと思ったら、遠距離支援に特化していてはとても敵わない」
「勇者シアンとカンナビスが前線におるではないか」
「二人に頼っている間は僕はずっと二流だ」
顔を上げたメチルに、ニトロは赤い瞳で真っ直ぐに見据える。
そして、これ以上ないほどにぴかぴかの笑顔でニカっと笑う。
「ええぞええぞ! そんなにワシに教えて欲しいのか! メチルぅ~お前は本当に可愛い奴じゃのぅ!!」
「あ、いいんですね……! ありがとうございます!!」
以前から優しいお爺さんだとは思っていたが、こういうお願い事をしたら、流石に武道者にありがちなキツめの叱責とかが飛んでくると思っていた。
しかし、その心配もどうやら杞憂だったらしい。
「ワシが教えられることならなんだって教えるぞ!! お前は孫娘のようなものじゃからな!! 張り切ってきたわい!!」
どうやら、この先代剣聖は性根からこんな感じらしい。




