魔王ちゃん、サキュバスちゃんとデートする
「はぁあー、もう完全にくたくただよぉ―」
「サキュバスちゃんすごい頑張ってたもんね。はい、あーん」
魔王ちゃんの差し出してきたスプーンを咥え、バニラのアイスを口内で溶かす。
あれから数時間に渡って二人は店での仕事に勤しんでいた。
魔王ちゃんは大量の料理を作り、サキュバスは皿を運んだり洗ったり。
労働は確かに疲れるけど、その分、給料の入った包みを受け取った際の喜びはひとしおだ。
町は既に宵闇に溶けこみつつあり、夕陽の残滓が東の空に僅かなオレンジ色を残しつつ、その役割を夜空のお月様へと譲ろうとしている。
二人はカフェで夕食を済ませ、デザートのパフェを食べながら、ガラス越しに夜の町を眺めている。
仕事終わりで足早に帰宅する人がいれば、ここからが稼ぎ時の飲み屋が開いたり……街の雰囲気も昼と夜とでは全く違う。
魔石灯に照らされた中央通りを眺めながら、魔王ちゃんはパフェに飾られた苺を口へと運ぶ。
「魔王ちゃんー、私もう限界だよぉー」
テーブルに突っ伏し情けない声で弱音を上げているサキュバスちゃんに、魔王ちゃんは苦笑を浮かべた。
「あはは……気にしなくても、私たちは日雇いだからね。明日もお仕事とかそういうことはないよ。それに無理してお金稼ぐ必要も、もう無いからね」
テイマー市場は下級の魔物しか取り扱っていない。
あそこはあくまでも駆け出しテイマーのためのマーケットであって、それ以上のテイマーたちは自分の力で魔物を手懐けてしまうので、あのような市場を必要としないのだ。
今のキュピス諸島の戦力からして、あそこで得られるものはこれ以上何もないだろう。
「魔王ちゃんー、もうお金稼ぐ必要ないのに、なんでこんなことするのー? もっと陣地形成のほうに時間をかけたほうがいいと思うんだけどー?」
「近道だけじゃ得られないことも沢山あるんだよ。私はサキュバスちゃんに、この街のことをもっともっと沢山知って欲しいの」
「うーん、私、人の記憶を渡れるから、この街のことは魔王ちゃん以上に詳しいつもりなんだけど……」
「自分で経験して、直接ふれあって、お話して……そうやって紡いでいくものもあると私は思うんだよね」
サキュバスちゃんは魔王ちゃんの言うことがよく分からなかった。
バニラアイスを舐め、外の景色を眺める。
魔石でジャグリングをする大道芸人、絡んできた酔っ払いを魔法でコケさせる冒険者、飲み屋の宣伝をする海賊コスの看板娘……。
宵の街には酔わせる雰囲気がある。
夜闇が人の心を惑わせるのか、それとも星や月や魔石灯の明かりが浮かれさせているのか。
(人間かぁ……)
サキュバスは基本的に白も黒も興味が無い。
自分以外の魔族のことを知ろうと思わないし、それは人間に対しても同じだ。
そんな時間があるならふかふかなベッドで寝ていたい。
そのほうが幸せだ。
サキュバスが情報収集をしているのは、あくまでそれが仕事だからだ。
魔王ちゃんが必要としているからやっているだけで、別段興味があるわけでもない。
だから、詳しいだけで、思い入れもない。
(魔王ちゃんが見ている世界と、私が見ている世界って……同じなのかなー?)
魔王ちゃんはこの世界を愛している。
魔族も人族もみんなひっくるめて、全部愛している。
料理が好きで、ものづくり全般もよくやっている。
ここに来た最初の頃は手際よくいかだを作ったり、銛で魚を突いたりもしていた。
今でも釣りをしたり素潜りをしたり、魔王ちゃんはいつも楽しそうだ。
魔王ちゃんにはサキュバスのような便利な情報収集能力はない。
だから、あれらの知識は全て自らの経験を糧としたものだ。
苦労して、工夫して、どうにか身に付けてきた数多の技術……。
(魔王ちゃんは実際に触れて手に入れてきた……私はちがう……)
そんなことを考えていると、聞き慣れない女の声が聞こえてきた。
「あ、あの時の……」
「アクセサリー屋のお姉さん! 久しぶりですね!!」
サキュバスは表通りから店内へと視線を戻す。
おしゃれな格好の女性が、魔王ちゃんとこちらへ、ニコニコと笑顔を向けている。
「例のお友達ですね? その髪飾り、この子がうーんと悩んで選んでいたものなんですよ?」
「ど、どうもー」
「サキュバスちゃん、このお姉さんがサキュバスちゃんへのプレゼント選び手伝ってくれたんだよ! 私の真珠の髪飾りもオマケしてくれて、すっごく優しいの!」
「そんな褒めても何も出ないわよぉ? それにしても、その髪飾り本当に似合ってるわ。仲直りも出来たみたいでよかったですね!」
「でへへ~このプレゼント渡してからすっごく距離が縮まって~!」
「まお……ネメ……この状況、なんて呼べばいんだぁー? とにかく、人前でそういうのやめてー!」
照れるサキュバスと、身をくねくねさせながら惚気るネメス。
それを微笑ましく笑うアクセサリー屋のお姉さん。
ネメスはしばらくお姉さんと談笑すると、いい時間になってきたのでお会計を済ませ、サキュバスと一緒にカフェを出た。
「魔王ちゃんー! ああいうのは恥ずかしいよー!」
「えへへ~照れてるサキュバスちゃんも可愛いよっ!」
「ぐぎぎー」
魔王ちゃんの肩をポコポコと殴りながら、サキュバスは彼女の言っていたことの意味を少しだけ理解出来た気がした。
(そっか……魔王ちゃんはこの街で色々な人とお話して、働いて、仲良くなって、街のみんなの中に溶け込んでいるんだ……)
サキュバスは人の夢を渡り歩く。
この辺りのことは何でも知っているし、その人の人生も全部覗き見れる。
だけど、それはあくまで部外者の立場でしかない。
見ているだけで表舞台には立っていない。
実質的に、この街にサキュバスはいない。
逆に、魔王ちゃんは確かにこの街にいる。
魔王ちゃんとこの街の人たちは、同じ街に一緒に暮らす「仲間」なのだ。
だけど、サキュバスは違う。
その観点から見れば、サキュバスは今までこの街で「仲間外れ」だった。
だけど……
昼間の仕事を思い出す。
多くの人の元へと料理を運び、皆の笑顔に囲まれて、へとへとになって店長から給料をもらった。
このお店でそのお給料を使ってご飯を食べた。
アクセサリー屋で働いているお姉さんと声を交わした。
今、サキュバスは確かにこの街にいる。
そう、今日を以ってサキュバスは初めてこの街の「仲間」になったのだ。
そのことに気付いて、サキュバスは魔王ちゃんのしてくれていたことに気付いた。
(魔王ちゃんは今日、私をこの街に連れ出そうとしてくれてたんだ……)
魔王ちゃんはサキュバスの手を握り、にこりと笑い、そのままゆっくりと駆けだした。
「さ、帰ろ。サキュバスちゃん!」
彼女に手を曳かれ、サキュバスは微笑む。
(敵わないな、魔王ちゃんには……)
サキュバスは彼女と一緒に夜の街を走る。
魔王ちゃんは一見すると何も考えていないように見える。
だけど、彼女の近くにいると、段々と、その行動の全てに意味があるんじゃないかと思えてくる。
サキュバスは魔王ちゃんのことを宵街のようだと思う。
宵の街には酔わせる雰囲気がある。
夜闇が人の心を惑わせるのか、それとも星や月や魔石灯の明かりが浮かれさせているのか。
彼女を前にした自分はどちらだろう。
惑わされているのか、浮かれさせられているのか。
ただ一つ言えることは、魔王ちゃん自身が酔っているということ。
実現不可能な夢に酔った、狂気の魔王。
その夢を一緒に見た者は、メチルやサキュバスも皆同様に、魔王ちゃんのように酔ってしまうのかもしれない。
この宵街を見下ろす月は、異国の言語ではルナと呼ぶらしい。
ルナティックやルナシーのように、月は狂気の象徴だ。
だけど月は綺麗だ。
自分の手を曳いてくれる彼女のことも、同じように思う。
「魔王ちゃん、今日はありがとうねー?」
「えへへ、サキュバスちゃんが楽しんでくれたならよかったよ!!」
彼女に手を曳かれ、狂気の月の下を走る。
今は、それだけでも何故か嬉しく感じられる。




