二章エピローグ
メチルは白のテリトリーに帰った。
彼女は約束をしてくれた。
勇者シアンとその仲間カンナビスには、この魔王城の存在を伝えないと。
人族である彼女が魔王ネメスと手を組むということは、それ相応の覚悟を必要とする行為だ。
今はただ、その彼女の覚悟に敬意を示そうと思う。
サキュバスはそう思い、隣に佇む、羊のような黒い巻き角を持つ少女を流し見た。
彼女の視線の先、銀翼竜が夕焼けの赤い光を受けて瞬いているのが見える。
ウンディーネをパルパ半島へと返してきた帰りだ。
彼女は彼女で、シルフィとノームたちの計画を探るため、別のテリトリーを目指して旅をするらしい。
死々繰計画は世界中に展開されている。
一つでも多くのダンジョンを見つけ出し、その計画を阻止しなければならない。
彼女が担うしがらみもまた、ネメスやメチル同様に厄介なものだ。
ウンディーネが無事に帰ってきて、有益な情報を手に入れてくれれば幸いだ。
そして魔王ちゃんこと、魔族の王ネメス。
サキュバスはカンナビスとの闘いのあとで、彼女の落とした小包を拾っていた。
まだ中身は開封していないが、添えられた手紙の宛名を見れば、これがどういう意図で用意されたものなのかくらいは察しが付く。
「魔王ちゃん、今回は死ななかったんだね」
サキュバスの言葉にビクリと肩を揺らす黒髪の少女。
その赤い瞳が、少し怯えた様子でこちらへと向けられる。
「う、うん……。サキュバスちゃん、私自分なりに考えたんだ。サキュバスちゃんがなんで怒っていたのか……」
ネメスの言葉に、サキュバスは黙って頷いた。
今はただ、彼女の出した回答を聞こう。
そして、それがたとえ間違っていたとしても、受け入れようと思う。
彼女は人間の友達を作ったのだ。
最初に見た時には少し嫉妬のような感情が胸をよぎったけれど、それもまた、二人の関係の中で生まれた大切な感情のひとつだ。
魔王ちゃんが頑張って踏み出した一歩を否定するのは野暮だろう。
少なくとも、人族と手を結ぶなんて自分には難しすぎて出来ない。
勇者シアンの仲間ともなれば尚更だ。
それを実際にやってのけた魔王ちゃんの言葉は、たとえ間違っているように見えたとしても、正解の可能性を秘めているから。
ネメスはゆっくりと語り出す。
「迷宮ダンジョンでメチルちゃんは一度死んだ……。敵は私たちより20以上も高いレベルを有していて、私たちは魔法を封じられていた。はっきり言って、二人がかりでもあの不利は覆らないと思った。私の体内魔力を全て費やして、メチルちゃんだけでも助けようと思った」
だけど、とネメスは続ける。
「それをしたのはメチルちゃんだった。自分の体内魔力を全て注ぎ込んで、自分の痛いのを全部我慢して、ギリギリの綱渡りで敵を倒して、刺し違えた。あの時、私は苦しかった。頭の中が空っぽになったみたいになって……心臓が凍り付いたような気がした。サキュバスちゃんも、きっとあの時この感覚を味わっていたんだって、やっと分かった……」
ネメスの解にサキュバスは何も言わず、ただ、ありのままの彼女の言葉を受け止める。
ネメスはすっと息を整えると、続きを紡いでいく。
「メチルちゃんが生き返るのは分かってた。破壊神ちゃんに呼びかければ、きっと残りの権能をメチルちゃんに使ってくれるって信じてたから。だけど気持ち悪くて仕方が無かった。頭が痛くて吐き気がした。たとえ生き返れる命でも……友達が死ぬって、痛い目に遭うって……こんなに嫌な気持ちになるんだってようやく理解出来た」
魔王ちゃんはそう言ってこちらを見つめる。
夕陽が赤い瞳を照らし出し、宝石のように輝いている。
その中心にある漆黒の瞳孔の奥に、確かな覚悟を宿して。
「でもね、サキュバスちゃん。やっぱり私は間違ってないよ。サキュバスちゃんに嫌な思いをさせたのは謝る。だけど、私はサキュバスちゃんのただの友達ではいられない。私は魔王。魔族の王ネメスなんだ。だから……」
サキュバスちゃんにも、同じ覚悟を持って欲しい。
そう言って魔王ちゃんは右の拳を突き出してきた。
「クソ女上等だよ。それを受け入れて。サキュバスちゃん。私の全てを。魔王軍幹部序列一位の夢魔・サキュバスとして。私の死と私の願いと、私の想いの全てをサキュバスちゃんに共有して欲しい」
それを聞いて、サキュバスは思わず息を呑んだ。
正直、謝ってくるものだと思っていた。
メチルちゃんが死んで嫌だった。
サキュバスちゃんも同じ思いをしていたんだね。
だからこれからは死なないようにするよ。
そう言ってくると思っていた。
だけど、違った。
「……舐めてたよ、魔王ちゃん」
思わず口端が上がる。
目の前の彼女の狂い具合にニヤけてしまう。
そうだ、狂っているのだ。
泣き虫で回りくどくて理想主義者で、どうしようもない頑固者。
だけど、これ以上の魔王適任者はこの世界のどこにもいない。
この魔王、筋金入りだ。
だったら、こちらも覚悟を決めるしかないだろう。
ネメスの拳に、サキュバスの拳がぶつかる。
「当然。私は夢魔・サキュバス……夢を司る悪魔だよ? 魔王ちゃんが馬鹿みたいな夢を見ている間は、どこまでだって相手してあげるよー」
ただし、死んだら怒るのは変わらないよー?
そう言って、サキュバスは笑う。
ただの友達ではいられない。
魔王ちゃんはそう言った。
それはそうだ。
最初からただの友達だなんて思ったことは一度もない。
「だって、私は魔王ちゃんの親友だからねー!」
勢いよく魔王ちゃんに抱きつく。
いつもとは逆の立場になり、魔王ちゃんは驚いているが、サキュバスはそんな魔王ちゃんに満面の笑みを見せた。
いままでも、これからも、ずっといつまでも。
サキュバスは魔王ちゃんのことが大好きだ。




