メチル、冥界に行く
見知らぬ空白にメチルは手を伸ばした。
「僕は確か死んで……」
また走馬灯とやらだろうか。
それにしては、この真っ白な何もない空間は味気なさすぎる。
子供の頃の記憶だろうか?
それにしても、こんな場所に行ったことがあればすぐにでも思い出すはずだが。
「あなたが魔王ちゃんのお友達ね」
倒れたままの彼女のもとに、錆び色の髪の少女が語り掛ける。
その瞳は氷河のように青く、冷たい。
背には大きな黒い翼、スカートからは血に濡れた無数の触手が蠢いているのが見える。
「……お前こそ魔王ネメスの知り合いか? いかにも魔族といった風貌じゃないか」
メチルの軽口に破壊神はフフッと笑う。
「あなた、人間のくせに私の姿を見ても怖がらないのね。私は破壊神。魔族の神にして黒のテリトリーの所有者。あなたの信奉する女神さまの敵対者とでも言えば分かりやすいかな?」
メチルはとくに反応せず、思ったままのことを返す。
「別に怖くはないさ。目の前に神がいるということは、僕は既に死んでいるというわけだ。これ以上何をされたって大した痛手ではないな。それより、なぜ僕は女神の前ではなく、破壊神の前で目覚めたんだ? 魔王と手を組んだせいで女神様に見捨てられたってわけなのか?」
「いいえ、あちらであなたの死は観測されていないわ。私は魔王ちゃん、女神は勇者シアンを通してしか世界を見ることが出来ない。シアンが近くにいないのだから、あとは言わなくても分かるでしょう?」
メチルは起き上がり、破壊神と相対する。
「それでお前には僕の死が感知出来たわけだ。で、なぜ僕をここに呼び出した? 魔族を殺してきた相手への復讐か何かか?」
目の前の魔法使いの言葉に、破壊神は肩を竦めた。
「別に呼んじゃいないわよ。ただ、魔王ちゃんがあなたの魂をここへ届けてきただけ。まあ、魔王ちゃんのことだから、おおよそ言いたいことは分かるけど」
破壊神はメチルを真っ直ぐに見据える。
「私たち神は三人まで誰かに権能を与えられる。女神はあなたとシアンとカンナビスに与えた。そして私は魔王ちゃんにだけ権能を与えている。なぜだか分かる?」
メチルは一瞬考え込んだが、大人しく答えを聞いたほうが早いと、首を横に振った。
「魔族ははじめから人族よりも強い。わざわざ権能の力なんて与えずとも、いずれこの地上界図を真っ黒に塗りつぶせる力を、始めから持っている」
破壊神は地上界図をメチルに差し出す。
地図の白黒模様はおおよそ半分。
今現在、人族と魔族は拮抗している状態だ。
「それなのに、なぜこの領域戦争が未だに終わらないか。それは魔王ちゃんがこの世界を愛しているから。この世界の全ての魔族に、全ての人族に、みな生きる権利があると本気で信じて疑わないから」
破壊神はその氷河のような瞳で、目の前の少女の瞳を覗き込む。
冷え切った瞳の奥に、鉄よりも固く凍った氷のような意志をきらめかせて。
「私は魔王ちゃんの夢に全てを賭けている。抗いようのないこの絶望の青い炎を、いつかきっと魔王ちゃんが消してくれると信じているから。私は今まで幾多の魔族たちを王にした。幾多の勇者と殺しあわせてきた。だけど、魔王ちゃんはそのどの魔王とも違う存在だから」
破壊神は両手を広げる。
その背後に無数の魔族の王の屍が見えた。
禍々しい、殺意の集合。
「これら全ての魔王の頂点に魔王ちゃんはいる。勇者の持つ聖剣レーゼンアグニ。あれは魔王を殺すために確実に必要な武具だ。魔王は何度でも蘇れる。だけど、レーゼンアグニはその魂と精神ごと破壊する、次元を超越した聖剣」
それを聞いて、メチルは目を見開いた。
「まさか……魔王ネメスは……」
破壊神の背後の魔王たちがメチルを睨む。
骸の群れたちが、レーゼンアグニという言葉に呻きを上げる。
「そうだよ、この子たちはみんなあの剣で、一撃のもとに葬られてきた……」
メチルは身震いした。
もし、それが本当なら……
「魔王ちゃんはね、この世界の歴史上で、最も魂の硬度が高い存在なんだよ」
それを聞いてメチルは理解した。
今まで、勇者シアンは素手でもネメスを殺すことが出来た。
それはシアンの圧倒的なレベルのもとに可能とされた特例だと思っていた。
違うのだ。
魔王はレーゼンアグニがなくても殺せる。
ただ、聖剣レーゼンアグニの力で殺さなければ復活するのだ。
だから、あの剣が必要だった。
「魔王ネメスは……歴史上最強の魔物……」
破壊神は背後の骸の幻影を消し、メチルに答える。
「この時代、女神は最強の勇者を用意してきた。黒のテリトリーを本気で攻め落とすために。だからこちらも最強のカードを切らせてもらった」
もっとも、あの子は優しいから勇者シアンのようにトントン拍子にはいかないけれど。
そう呟き、破壊神は空白に腰掛けた。
呆然とするメチルに対し、困ったような表情で言う。
「私は、あの子の願いを大切にしてくれる子に、この力を使ってほしい。サキュバスっていう子もいるんだけど、あの子はまず死なないからね。私が手を貸さずとも、魔王ちゃんを助けてくれるから」
「お前まさか、僕に権能を与える気なのか……?」
「心配しなくても、女神や勇者にはバレないわよ。鑑定出来ない隠匿情報があるのは知っているでしょう? そこにねじ込んでおくから。……悪い話じゃないでしょう?」
破壊神の言葉にメチルは一瞬慌てて断ろうとした。
しかし、よく考たら断る理由も特にない。
せっかく世界最強の魔法使いになって、この理不尽な青き炎と戦うと決めたところなのに、今の自分は死んでしまっている。
元の世界に帰れるなら帰りたい。
しかも都合よく加護まで手に入ると来たものだ。
「与えられた力に頼る気は無いが……貰えるものは貰っておく主義だ。それに、いざって時には必要かもしれない。カンナやシアンに邪魔される可能性はゼロじゃないからな」
「交渉、成立ね」
破壊神とメチルは互いに手を握った。
「魔王ちゃんの魂は固い。だけど、絶対に壊れない保証もない。本当は泣き虫で、戦うことが嫌いな子だから……仲良くしてあげてね」
「まあ、少しくらいなら……」
破壊神が地上界図にピンを刺すと、メチルの周囲に光の風が舞った。
メチルは冥界を後にする前に、少し気になったことを目の前の少女に問いかけてみることにした。
「お前、破壊神ってわりには悪い奴じゃなかったな。破壊神ってよりは慈悲の神って名乗ったほうが良いんじゃないのか? ……一応聞いておこう、興味本位でな。お前……一体何を破壊するんだ?」
その問いに、破壊神は優しく笑った。
「残酷な世界を」




