メチル、死に揺蕩う
「上手いじゃないかメチル! 偉いぞ~!! さすが僕の子だ!!」
「ほんとほんと!? 私、宮廷仕えの魔法使いになれるかな!?」
「当たり前だ! それどころか、世界最強の魔導士だって夢じゃない。なんたって僕の子だからな!! ハハハ!!」
頭をガシガシと撫でられ、巻いた茶髪の少女は嬉しそうに笑っている。
そんな光景を見て、メチルはふと辺りを見回した。
見渡す限りの畑に、馬と驢馬。
見慣れたボロ小屋のほうでは二人の子供たちが、目の前の二人の親子に手を振っている。
「これは……噂に聞く走馬灯とやらか。やれやれ、死というものは随分と悠長なものだな……」
メチルには、昔から物事を俯瞰して考える癖があった。
だから、この状況にも対して疑問は浮かばなかった。
走馬灯という現象を前にしても、宗教的な意味合いだとかオカルティズムな理由付けをしようとは思わない。
これは、死の間際に脳が見せている幻覚だ。
あまりの苦痛に、脳が分泌した脳内麻薬が見せる夢のようなもの。
「とはいえ、実際に体験してみると……確かに、これを神秘的なものに捉えたくなる気持ちは分からなくもないな」
「お父さん、お腹すいた!」
「よしよし、美味しいごはん作ってやるから待ってろよ!!」
「やったー! お父さんの作るごはん大好き!」
二人のやり取りにメチルは溜息をついた。
懐かしいやらツッコミどころが多いやら、それに昔の自分というものは、あまり直視していて気分のいいものではない。
馬鹿のようにぴかぴかの笑顔を見せる昔の自分に、メチルは目を逸らした。
「美味しいごはん、か……。具の無いスープと固くなったパン。そんなものに大喜びなんて、幼い頃の僕は何を基準に物を言っているんだか……」
家へと戻っていく二人に着いて、メチルは家の中へと入って行く。
昔住んでいた家だ。
今も小屋として残しているが、故郷の弟たちはその隣に建てた新しい家に住んでいる。
メチルは窓から今の家の位置を確認する。
この時はまだ空き地だったようだ。
それから幼いメチルと父と兄弟たちは食事をして皿を洗い、夜になって床に就いた。
メチルはそれを枕元に座って眺めている。
「故人が枕元に立つとは言うが、今の僕はどういう立ち位置なんだ? 死にかけか? それとも、もう死んでいるのか? でも本当に既に死んでいるのはお父さんのほうだし、なんだか変わった状況だ。夢枕に立つのはそちらのほうだろう」
「お父さん、寝る前に昔のお話聞かせて? お父さんが、最強の魔法使いだったころのお話」
「ああ、いいぞ! いくらでも話してやる!」
「やった! 私お父さんのお話大好き!」
「昔の僕、そのお話は嘘だったよ。もっとも、僕はまだお父さんのことは大好きだがな」
それから、メチルの父は架空の魔法使いの、存在しない武勇伝を語り始める。
それは幼い頃の……いや、今でも憧れている理想の魔法使いのお話。
どんな絶望もものともせず、どんな苦境も乗り越えて、知恵と勇気と圧倒的な魔力で次々と問題を解決していく。
とはいえ、彼の語る魔法使いの解決策は大体……
「それでそれで!? そのあとお父さんはどうしたの!?」
「それはなぁ……強力な魔法で敵を一撃でやっつけた!!」
「すごいすごい!!」
「馬鹿か……」
メチルは呆れつつも、父のほうを見て微笑んだ。
こんなお粗末なお話でも、今でもこのお話は、メチルの心の奥底に大切にしまってある宝物だ。
「最期にこれを聴けてよかった。そう思えば、この走馬灯とやらも悪くないな。脳内物質云々と言って否定してやるのも申し訳がない、礼のひとつでも言っておくべきかな。誰に言うべきかは分からないが」
「なあメチル、最強の魔法使いの一番の資質は何だと思う?」
「ええ……? うーん、最強の魔力!! 圧倒的なちから!! パワー!!」
そんなやり取りにメチルはフフっと笑う。
「まったく、昔の僕は……」
そう言って、メチルはふと真顔に戻った。
今の自分は、何をしているんだ……?
昔の自分の楽しかった記憶を見て、死の瀬戸際に立っている。
走馬灯を見てこれは脳内物質の見せる幻覚だと言って、それから父の話を聞いて、最期にこれを聴けたから満足だと。
本当にそうか?
穏やかな気持ちに呑み込まれて、本当に大切なことを忘れていないか。
死の間際で、脳に血が足りていない。
脳内麻薬とやらが思考力を奪っている。
そうだ、ここまで俯瞰すれば正しいものが見えてくるじゃないか。
頭の中で問いが浮かぶ。
本当にやるべきことがあるんじゃないのか?と……
メチルは父のほうに咄嗟に叫んだ。
「ま、待て!! その答えは僕が言う!! 僕は知っている!!」
父は微笑み、幼いメチルを撫でる。
その瞳は優しく、思いやりに満ち溢れ、それでいて真っ直ぐに透き通っている。
「それはな、」
「それは!!」
絶対に諦めないことだ!!!!
「死んで、たまるかぁああああああああ!!!!」
メチルは勢いよく立ち上がり壁に頭を打ち付けた。
何度も、何度も!!
「僕は諦めない!!! 起きろ!!! 死ぬな!!! 僕はまだ死ねない!!!」
額から血が噴き出る。
頭蓋骨にひびが入る。
構うものか!!
これは夢だ!!
ここで死のうが一向に未練はない。
だけど、現実で死ぬことだけは駄目だ!!
「うぉおぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛」
全力で額を打ち付け、それから気付く。
自分の肩に手が添えられていることに。
「行け、メチル」
顔を上げ、その笑顔を見て涙が溢れた。
「っ……! 行って、来ます……!!」
瞬間、メチルは全力で瞼を開いた。
ぼろぼろと涙がこぼれる。
体中が軋んでいる。腹が破れている。出血が激しい。肉が千切れている。内臓が飛び出ている。
「まだ死なない!! 治れ、僕の体!! 起きろ、僕の夢!!!」
メチルは全力で体内の魔力を循環させる。
飛び出たはらわたを無理やり押しこめ、その中央に魔力を凝縮する。
このダンジョン内でも、体内で発生させる術式に関しては阻害されないことは既に証明済みだ。
だったら、試さずに死ねるわけがない!!
「愛は血に、恵みは肉に、我らが女神の御前にて囁かん、彼の者を赦したまえ――」
術式を安定させるための長文詠唱。
念には念を込める。込められるだけ込める。
そして、メチルの肩に手が添えられる。
『行け、メチル』
その幻覚に、メチルは叫ぶ。
「ヒィイイイルッッッ!゛!゛!゛!゛」
術式が魔力を輪転する。
肉と肉が結びつき、全てのものがあるべき場所へと戻っていく。
緑色の暖かな魔力の奔流。
立ち上がり、叫ぶ。
何を叫んでいるのかは自分でも分からない。
だけど――
「僕は……僕は最強の魔法使いだ!!!!」
全身に魔力を漲らせ、彼女は立つ。
「お父さん……見ててね! 僕はまだ、そっちには行けないから!!」




