メチル、ダンジョンを進む
この迷宮ダンジョンは魔法の発動を阻害する効果を持っている。
その効果は魔王ネメスとて例外では無く、魔王ちゃんはいま、魔力放出と自己回復しか発動出来ない。
この二つが発動できるのは術式を結ばなくてもいい純粋な魔力変換によるものだからだ。
つまり、逆説的にこのダンジョンは"術式を結べなくする"という術理を備えていることが分かる。
術理とは自然界の法則を意図的に歪め、自らの望む法則で上書きする行為のことを指す。
たとえば、炎を出すには可燃物と酸素と熱が必要だ。
これが自然の法則。
術理はそれらすべてを無視して、魔力によって新たな理を発生させる。
掌の上に術理を結べば炎を放つ魔法になるし、空間に結べばダンジョンになる。
基本的に、すべての魔法はこの術理によって成り立っている。
銀翼竜の追尾炎や魔王ちゃんの破戒式、魔王城作成も例外ではない。
それでは術理を必要としない魔法もあるのか。
もちろん例外はある。
ただし、それは自然の摂理に反しないものに限られる。
たとえば魔力放出。
これは体内に貯めた魔力をそのままの形で放出しているに過ぎない。
自己回復。
出来る魔物は少ないが、これも生物が体内の魔力を用いて、最初から備わった代謝機能で自然治癒をしているに過ぎない。
術理を必要とせず、それゆえ魔の"法"とは言えない。
故に上記のふたつは魔法とは呼ばない。
ただし、人間が回復する場合には、これは魔法と呼ぶ。
人間の自然治癒能力では斬られた部分を即座に治すことは出来ない。
術理を結び、斬られた肉を元に戻す。
これは自然の理から外れるため、魔法である。
そういうわけで、メチルは今、攻撃が出来なければ回復も出来ないという最悪の状況にいるわけだ。
「あ、ツノねずみ」
魔王ちゃんの呟きに肩をびくりとさせ、少し後ろに下がる。
「どうしたの? あれくらいなら魔法使いちゃんでも倒せると思うけど……」
「……当たり前だ。ただ、今はそういう気分じゃないだけで……」
メチルのステータスは魔力全振りだ。
足りない部分は魔法で強化し、基本的には遠距離からの砲撃で片を付ける。
しかし今は頼れるものは自らの貧弱な肉体のみ。
しかも怪我をしても治せないときたものだ。
少しの傷が命取りになるこの状況下で、慣れない近接戦闘を強いられる。
たとえ相手がツノねずみだろうが、この状況のメチルからすればかなりの脅威だ。
そうこうしているうちに、魔王ちゃんはツノねずみを避けてそのまま暗闇の中へと進んでいく。
「あ……ま、待てよぉ!! お前ぇ!! この暗い中はぐれたらどうするんだよ!! 二度と合流出来ないかもしれないだろぉ!?」
「あ、そうか……魔法使いちゃんは暗いところが見えないから、私も光の範囲内にいないとダメなんだね。ごめんね……? 私、あまり人族と一緒に歩くことってないから、そこらへんよく分からなくて……」
魔王ちゃんはメチルの手をぎゅっと握った。
「はぐれないように手、握ろっか」
メチルは一瞬驚いて振り払いそうになったが、何も言わずそのまま一緒に歩き始めた。
魔王と手を握るなんて無警戒にもほどがある。
しかしどちらにせよ今襲われたら逃げ切れる自信がない。
それなら、別に握ろうが握らなかろうがどちらにせよ変わりはない。
はぐれずにコイツの力を利用して身を護れると思えばいい。
「お前……魔法使いでは呼びにくいだろ。僕の名前はメチルだ。呼びたければ勝手に呼べ……」
「メチル! メチルちゃんだね!? やったー!! お名前教えてくれてありがとう!! メチル! メチル!」
ネメスはぱあっと笑顔になり、手を握ったままぴょんぴょんと跳ねる。
メチルはその様子を眉根を寄せて観察している。
(コイツ、本当に魔王なのか……?)
見た限り魔物であることには間違いない。
頭のツノは作り物ではないし、身体能力も化け物染みている。
なにより、鑑定の結果"魔王ネメス"と表示されたわけだから、その事実に疑いようはない。
しかし、この振る舞いは……
「魔王というよりはお子様だな」
「酷い!?」
魔王ちゃんは唐突な暴言にびっくりしたが、またすぐに微笑んだ。
最初は固かったメチルの表情が、今では少し柔らかくなったように感じたから。
(この子とは仲良くなれそうかも……!)




