魔王ちゃん、ボコられる
暗闇の底、魔導士メチルは魔王ちゃんを杖で乱打している。
ぜえぜえと息を切らしながら、勢いよく何度も振り下ろされる杖に、魔王ちゃんはただ蹲って泣きじゃくることしか出来ない。
「オラ!! 死ね!! 死ね!!! 死ね!!!!」
「痛い痛い痛い痛い!!! やめて! 痛い!! 痛いから!!」
かれこれ十分以上こんな状態が続き、いい加減メチルは酸素が足りなくなり眩暈がしてきている。
もともと運動をすることよりも家で本を読んでいることのほうが好きだったし、なんなら剣士ではなく魔導士になったのも、前線で暴れなくても済むからという理由を含んでいる。
メチルは古今東西のありとあらゆる罵詈雑言を吐きつけながら、魔王ネメスをひたすら殴打し続ける。
「やめて! ひどいよ! サキュバスちゃんたすけてえええ!!!」
「ぜえ……はあ……! 魔王が!! 助けを!! 呼ぶなあッ!!! 僕たちは今までこんな情けない奴に……っ!!!」
メチルは泣きじゃくる魔王ちゃんをひたすら殴る。殴って殴って殴り続ける。
だけど、残念なことに魔王ネメスの体力は一向に減る様子を見せない。
十分以上殴り続け、頭上に表示されたHPゲージは未だ1割も減っていない。
ネメスの素の防御力と、メチルの筋力の無さが相乗効果を生み出し、"かなり殴っているものの、生命に危険が及ぶほどのダメージは入っていない"という不思議な状況を生み出しているのだ。
「ぜえ……はあ……。もう、無理……」
メチルはふらふらとその場にぶっ倒れた。
インドア派が十分以上全力で何かを殴り続けると大抵はこうなる。
そもそもなぜ魔導士である彼女が魔王を物理で殴っているのか。
この世には物理で戦う魔法使いもいるにはいるが、メチルは後方からの魔法支援を主とした、"完全遠距離特化型"の魔法使いだ。
そんな彼女がなぜ攻撃手段に殴打を選択したのか。
その理由は単純明快。
単純に魔法が使えないからだ。
十分前、二人が落ちた穴の先には地下迷宮型のダンジョンがあった。
しかも、この地下迷宮は魔法の発動を阻害する機能を持っているらしい。
なぜ地上に落とし穴があって、こんなところへと落ちてしまったのかは分からない。
だが、そんなことはどうでもいい。
今問題なのは、一緒に落ちた相手が魔王ネメスだということだ。
メチルは魔法以外の攻撃手段を持っていない。
そうなると必然的にメチルの攻撃手段は杖による殴打しか残されていないということになる。
この何も見えない真っ暗闇の中でも、女神の加護によってステータス鑑定だけはいつも通りに機能している。
魔王ネメスの姿そのものは見えずとも、表示の少し下の部分を殴っていれば、なんとか頭か肩には当たる。
「酷い……そんなにたくさん殴らなくてもいいじゃん……」
シクシクとすすり泣く声に、メチルは不思議に思う。
自分は今まさに、全ての体力を使い切って地面に倒れてしまった。
魔王としては今が千載一遇の好機ではないのか?
そのまま殴り殺せばいいではないか。
今まで殴られ続けていたのは、種族としての圧倒的なステータスの差を自覚させ、相手に絶望を植え付けるための演技のはず。
魔王としての圧倒的な力の前に絶望するメチルの顔を見るために。
だとしたら……いや、そうでなくとも、もうこの人生は終わりだ。
防御魔法も使えない魔導士が、魔王の直接攻撃に耐えられるはずがない。
「……故郷に残してきた弟たちに、もう一度会いたかったな」
メチルはふとそんなことを口走っていた。
メチルが勇者シアンと共に冒険をするのは、故郷の弟たちに仕送りを送るためだった。
親はなく、その日の食費にも困る毎日。
ボロ小屋で姉弟三人で寄り添い合って暖を取っていた貧しい日々。
そんな中で、メチルは必死に魔導士としての勉強を続けてきた。
才能があるか無いかなんて、関係ない。
そうするしか道が無かった。
国に仕えることで高給取りになって、弟たちにお腹一杯美味しいものを食べさせてあげたい。
だけど、それも今日ここまでだ。
今までに稼いだ額で、弟たちもあと数年は豊かに暮らせることだろう。
その間に、同じように勉強して、稼げるようになればいい。
メチルはそんなことを考えながら、真っ暗闇を静かに見つめていた。
「もう一度って……なんで? もう会えないの……?」
暗闇の中、こちらへと問う声がする。
魔王のその言葉に、メチルは奥歯を噛んだ。
邪悪――。
目の前にいるこの魔物は、底知れない邪悪の塊だ。
「会えないの、だと? ふざけるなよ……僕は確かにここでお前に殺される。だけど、僕の故郷の弟たちだけは絶対にやらせない。いや……僕にはもう何も出来ないけど……でも、きっとシアンとカンナがそんなことはさせない。お前に、僕の弟たちは殺させない……ッ!」
ネメスを睨むメチル。
天国で合わせてやろう。
今この魔王はそうとしか取れない言葉を口にした。
今コイツを魔法でぶっ飛ばせないことが何よりも歯痒い。
何年も苦しい修行を続けてきた末に迎える最期がこれか。
「頑張って……きたのに……。っ……」
情けない。
血まみれになって、泥の中を這いずって、食うものにも困って、ぼろきれに身を包み、何年も何年も魔法を勉強してきて…………その結果が魔法を使えない結界内に閉じ込められて殴り殺される。
最悪じゃないか。
今までの努力は、一体なんのための努力だったのか。
それを思い、メチルはぼろぼろと涙をこぼす。
「……」
それを見て、ネメスは何も言わずに黙っていた。
ただ静かに彼女のことを見つめ続け、それから手のひらに小さな魔力球を生成した。
魔法は発動出来ないが、魔力そのものを放出することは出来る。
それを光エネルギーに変えれば即席の松明くらいにはなる。
「暗いから怖くなって、考えることが悪い方向に行っちゃったのかな」
ネメスはその明かりを渡して、彼女の隣に座る。
「人族は私たち魔族と違って、暗いところでは何も見えないって聞いたことがある。ごめんね……すぐに明かりを出せなくて。あなたも怖かったんだよね……?」
ネメスは彼女の前に灯りを置き、それからその柔らかい髪を撫でた。
灯りに照らされ琥珀のように輝く前髪。
「私も怖いことがあると取り乱しちゃうことはよくあるの。痛いのは嫌だし、怖いと頭の中が真っ白になっちゃって、なにも出来なくなる。だけど、それは悪いことじゃないんだよ。だって、みんなそうだと思うから……」
魔王ちゃんは、目の前で泣いている一人の魔導士に微笑みかける。
「心配しなくても大丈夫。私は魔王だから。あなたのことも、しっかり守るよ。だから安心して」
一緒にここを出よう?
柔らかく微笑み、手を差し伸べるネメス。
彼女の表情と優しい声音に、メチルは何故だか安心した。
昔、同じような言葉を、同じような声音で聞いた気がする。
その時、あの人もこんな表情をしていたっけ……。
メチルはそんなことを思いだし、疲れからか、薄らいでいく意識の揺らぎに身を委ねた。
(そうか……この声、怖い夢を見たときにあやしてくれた、おかあさんの声だ……)
ネメスは寝息を立てるメチルを膝に寝かしつけ、それから髪を撫でた。
きっとこの子は疲れていたのだろう。
色々なことに。
「頑張るのは大変だもんね……。いいんだよ、今はゆっくり休んで。それからのことは、後で一緒に考えようね」




