魔王ちゃん、冥界に行く
絶叫、跳び起きると共に真っ白な世界が視界の中へと飛び込んでくる。
荒い息のまま辺りを見回すがこの世界には何もない。
一面の空白世界。
ただ一つ、目の前に立つ異形の少女を除いて。
氷河のように冷たい瞳に、生気を感じられない白い肌。
漆黒の翼を背に、錆び色のショートボブを揺らめかせ、ロングスカートの隙間からは血に濡れた無数の触手が蠢いている。
彼女は心底残念そうな瞳でネメスを見下ろしている。
「魔王ちゃん、また死んだんだね……」
彼女は失望混じりの溜息と共にそう呟いた。
彼女の呟きには失望以外にも僅かながらの怒りと呆れが含まれている。
彼女との長年の付き合いがあるネメスには分かるが、彼女はネメスに対して怒るだとか悲しむだとか、そういった感情はもう見せてくれない。
完全に見放しているし、失望しきっている。
それなのに彼女がネメスとこうして会っているのは、魔王と破壊神の契約があるからだ。
魔王は地上界を支配し魔族を繁栄させる。
対して破壊神は魔王に権能を与えることで地上を支配するに足る力を提供する。
契約の効力は魔王の魂が完全消滅するまでのあいだ有効であり、そして未だ魔王ちゃんの魂は殺されきっていない。
魔王はこの世界にただひとりしか存在できず、
それ故、新しい魔王の誕生もあり得ない。
契約に保護された魔王の魂は破壊神の手で自ら破壊することは不可能であり、よって彼女は魔王ネメスのお陰で万策尽き果てた状況にある。
「破壊神ちゃん……! これは違うの! 今回はミノタウロスを三体も用意して」
「あーあ……もういいよ。もういいからどっか行って」
「破壊神ちゃんごめんね……。次こそは私頑張るから……」
申し訳なさげに縮こまる魔王の姿に、破壊神は背を向けた。
「あなたを魔王に選んで本当に失敗だった。最初の頃はもっと凄い魔物だと思ってたのに……」
「それは……」
「いいからどっか行きなよ」
魔王ネメスは破壊神から手渡された地上界図を受け取り、ごめんねと呟く。
破壊神は何も言わずに空白の中へと消えていき、この場に残ったのはネメスと一枚の地図だけとなった。
――地上界図
それは人類と魔族の暮らす有限の世界の写し絵。
半分が黒く、もう半分が白い。
この白黒模様が魔族と人族それぞれのテリトリーを表している。
地図に記された土地のみが実在する土地であり、そしてこの地図は常に青い炎を纏っており、この炎が地図そのものを焼いている。
徐々に徐々に淵のほうから焼けていき、やがてはこの地図そのものがなくなるのだろう。
その時が世界終焉の時だ。
魔族が崇める破壊神と人族が信仰する女神、両者の目的はまったくもって同一。
それは世界の終焉に抗うこと。
青き炎を止めるためには地図を白黒のどちらか一色に染めなければならない。
そして、地図を一色に染めるということは、魔族と人族のどちらかが一匹残らず滅びることと同義である。
「でも私は、どっちか片方しか生き残れない世界なんてやだよ……」
魔王ネメスは燃える地上界図を開き、次の復帰地点を探していく。
前回の魔王城の位置から出来るだけ離れた位置かつ、様々な条件を鑑みて南の海上テリトリーに目を付けた。
選択した海テリトリーの中には小さな島々が点在しており、この中に魔王城を建築すればそう簡単には見つけられない。隠れて戦力を整えるための時間稼ぎにはなるだろう。
勇者を倒すにしても、世界の終焉を食い止める方法を探すにしても、戦力を整える時間は欠かせない。
「次こそは……次こそは世界の終焉を止める方法を見つけるんだ。人間の王様と和平を結んで、一緒にその方法を見つける。そうしたら、破壊神ちゃんも女神ちゃんも喧嘩しなくて済む。戦争もしなくて済む。だれも悲しまなくていいんだ……。それに話し合えばきっと」
地上界図にピンを刺すと共に、魔王ネメスの周囲に光の風が舞う。
「勇者ちゃんもきっと分かってくれるはずだから」