私たちの話をしよう その二
その問いに魔王ちゃんは眉を顰めた。
したいことも何も、自分はここから出るつもりは一切ない。
この玉座で悠久の時を、ただ何もせずに静かにまどろみ続けるだけだ。
「何の話? 私、ここから出ないって言ってるんだけど」
「もしも出られたらの話だよー」
「もしもなんてない。私は罪を司る悪魔……私はここにいたほうがいいの。私が元の世界に戻っていいことなんて一つもない。これっぽちも無い。……あんなに努力してやっと手に入れた平和を壊したくないの。分かるでしょ?」
魔王ちゃんの問いかけにサキュバスは俯き、それから話題を変えることにした。
否定の言葉はいくらでも浮かぶ。
だけど、今はもっと試したいことがいっぱいある。
向き合い方は、真っ正面からだけじゃないから。
「じゃあ、昔の想い出話をしようよー。それならいいでしょ? 私だってーせっかくここまで来たんだからー、それくらいは魔王ちゃんと話したいなー?」
「……」
魔王ちゃんは眉根を寄せたまま、何も言わず視線を下に泳がせる。
咄嗟に否定の言葉を用意しようとしたが、何も浮かばなかったようだ。
魔王ちゃんは一見すると感情的に見える。
しかし根っこの部分は徹底的な理性主義だ。
意味もなく感情任せに否定することは出来ない。
サキュバスは知っている
相手がどんな心の持ち主なのかを。
何を聞いてくれて、何を聞き入れてくれないのかを。
「魔王ちゃん、覚えてるー? キュピス諸島で銀翼竜と戦った時のことー。魔王ちゃんが作ったいかだが魚雷サメに轟沈されたりー、ゴーストと一緒にお魚食べたりー、あの時は賑やかで楽しかったよねー」
「……」
「パルパ半島では-、一緒に猫を追いかけたよねー。メチルとも友達になったしー、色々あったなー。魔王ちゃんがバイトで貯めたお金で髪飾りを買ってくれてー、私、すっごく嬉しかったんだー!」
サキュバスはいつも通りの口調で優しく魔王ちゃんに話しかけ続ける。
魔王ちゃんはサキュバスの狙いを見極めるように赤い瞳で彼女のことを睨んでいる。
猛禽類のような、決して油断しない瞳。
魔王ちゃんは大切なことを全て忘れてしまっている。
友達と一緒に楽しく笑って過ごすこと……。
どんなときでも、魔王ちゃんはその笑顔を絶やさなかった。
それなのに、今の魔王ちゃんは全然笑ってない。
でも、今はそれでいい。
サキュバスは魔王ちゃんの偽りの笑顔が見たいわけじゃない。
心からの、本心からの笑顔が見たいのだ。
だから、安易に笑顔になって欲しいとは思わない。
サキュバスはゆっくりと、今までの出来事を振り返っていく。
「それからそれからー、勇者シアンと戦ったよねー? 色々大変だったけど、やっぱり魔王ちゃんは凄いなーって思ったのー。ネヴィリオでは魔王ちゃんのチャイナドレス姿がすっごく似合ってたしー、タジン鍋も美味しかった-! あの頃は凄く忙しかったけどー、ウンディーネとも協力して-、結果的に勇者シアンとも仲直りして-、魔王ちゃん本当に凄かった-!」
サキュバスはこれまでのことを思い出し、思わず泣き出しそうになる。
だけど、涙をこらえて魔王ちゃんの顔を見つめた。
赤く透き通った瞳を真っ直ぐに見据え、サキュバスはその奥にある魔王ちゃんの本心に語りかける。
「魔王ちゃんは、今までで何が一番楽しかったー?」
その問いに、魔王ちゃんの肩が僅かに揺れる。
今まで一方的に話しかけられていたのを、今度はこちらに話すよう促してきた。
魔王ちゃんは黙って俯き、沈黙が空間を支配する。
サキュバスは再度話題を変えることにした。
「魔王ちゃん。私ねー、魔王ちゃんが作ってたお料理たくさん覚えたのー。ニシンバゲットサンドもー、鱈のトマトソースグリルもー、魔王ちゃんの特製エビピラフもー。それに、自分でも色々研究してー、オリジナルのお料理も沢山作れるようになったんだー!」
「……」
「あとねあとねー? 魔王ちゃんが作ってたアサルトバンカー。あれも自力で再現したりしてー、すっごく大変だったけどー、もの作りって凄く楽しいんだねー! 魔王ちゃん、私、自分で作ってみて初めて分かったのー」
話していて、魔王ちゃんの俯く顔から、唇を噛んでいるのが見えた。
彼女はあの世界を確かに愛していた。
料理やもの作り、人とのおしゃべり、魔王ちゃんはあの世界で楽しいものを見つけて極めることが大の得意だった。
努力することが大好きな子だった。
だけど、この暗闇には何も無い。
魔王ちゃんが好きだったものは何ひとつない。
「私ねー、記憶の消えたシルフィたちとー、もう一度友達になったのー。ここに来られたのはー、みんなの協力のおかげー! サキュバスちゃんも-、罪魔教の教祖としてー、人望を極めまくってしまったのだー!」
魔王ちゃんは奥歯を噛み、目を細める。
その瞼の端には僅かな涙が見え隠れしている。
「みんな、また友達になれたんだよー? でもー、私は魔王ちゃんも一緒がいいなー?」
「無理だよ……」
ここまで来てやっとネメスは口を開いてくれた。
サキュバスは彼女の目の前で、優しい声で問うた。
「なんで無理なの-?」
「言わなくても分かるでしょ……?」
「ううん。全然分からない。私は魔王ちゃんが戻ってきたら大歓迎だよ-?」
それを聞いて、魔王ちゃんは泣き出しそうな顔で答えた。
「私がいるとみんなが不幸になるからだよぉっ!!」
そう言った瞬間、乾いた音が暗闇に響いた。
ネメスはひりひりと傷む頬にふれ、呆然とサキュバスを見上げる。
サキュバスは歯を食い縛り、零れそうな涙を必死にこらえて魔王ちゃんを睨んでいる。
「サキュバスちゃん……?」
「いい加減にしてよ……」
彼女の震える声に、魔王ちゃんは頬に触れながら、何も言えず、ただ彼女の次の言葉を待った。
「魔王ちゃんはこのままお別れでいいの……? 喧嘩して、酷いことして、遠ざけあって、そうやってお互いに傷付けあって、それで本当に後悔しないの……?」
「それは……」
「魔王ちゃんは酷いよ。魔王ちゃんはみんなから一番大事なものを奪ったんだ。みんな、あの世界で苦しみながらも一生懸命生きてたんだ!! そのことがなんで分からないの!! 私も、シルフィも、アズサも、ウンディーネも、ノームも、シューニャも、シアンも、カンナもメチルも、みんな、忘れたくないことが沢山あったの!! その中でも一番忘れたくなかったものが!! それがッ!!!」
サキュバスは目の前のろくでなしを指さして叫んだ。
「お前なんだよ!! 魔王ネメスッ!!!!!」




