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デウス・エクス・ソムニア

 暗闇の中、魔力の波動が放たれるのを感じた。


 微かな振動が壁や椅子を伝いサキュバスの身体へと伝わってくる。

 魔力流動が内から外へと流れ出し、やがて外から内へと流れ込む。


 デウス・エクス・ソムニアの放った青き炎が、一瞬にしてこの世界の全ての魔力を、自らの内に格納したのだ。

 最終破戒式は、確実に動作した。


「さようなら、みんな。また会える……絶対に……!」


 室内の温度が上がり、壁の隅々に至るまで幾何学的な青い紋様が浮き出てくる。


 この槍はリスタート計画の限定版だ。

 魔王ちゃんと違い、魂の核の強度を保てないサキュバスが、死せずして冥界へと向かうために造り上げた擬似的な魂の殻……。


 世界の魔力を還元し、皆の記憶を真我乖離(ヴァルキヤ)で夢の世界に格納し、事象の地平線を突破し魔王ちゃんへと辿り着くための最終破戒式。


 シルフィ、女神、破壊神の知恵と知識を集合し、魔王ちゃんのアイデアを改良したこの世界で最後の魔法……。


 サキュバスは激しく揺れる槍の中で、その魔法の加速を感じていた。

 もはやそこに物質はない。時間や空間の概念もないため、必然的に加速という概念すら存在しない。

 しかし、それでもサキュバスには加速が感じられた。


 槍は無と混沌と光と闇とを貫いて、ガラスのような何かに激突した。

 透明な何かにヒビが入り、槍の後端から青き炎が噴出する。


 室内の紋様が赤く輝きを放ち、強烈な振動に頭を抱え、サキュバスはひたすら耐える。

 この槍の一枚の壁、そのたった一枚の術式が、事象と異常との境界線だ。


 壁に亀裂が走り、魔力が漏出する。

 ガラスのヒビがビシビシと軋み、槍がさらに炎を吹き出す。


 悲鳴のような何かが、歌のような何かが外の世界から聞こえてくる。

 それはこの世界そのものと、そこに住む人々の集合無意識との戦いなのかもしれない。


 槍が悲鳴を上げ、ガラスが歌を歌う。


「行けるよ! だって、ここには……」


 サキュバスは自らの胸に手を当て、それから、目の前の壁から現れたレバーを掴んだ。

 そのレバーを強く握り、壁の向こうにある透明なガラスを見上げて叫んだ。


「みんながいるからッ!!!」


 全力でレバーを引き下ろす。


 刹那、槍の後部が爆炎を上げた。

 限界を超えた、世界そのものを燃料にした青き炎が、瞬時にしてその槍を異次元の存在へと昇華する。


 槍はガラスに深々と食い込み、そのヒビを無理矢理に押し広げる。

 この魔法は神秘を食い殺す知恵と努力の化身だ。


「うおあぁあああああああああッッッッ!!!!!!!!」


 そして、無限遠の彼方までヒビが走った。

 次の瞬間、ガラスが割れ、槍はその向こう、漆黒の空間へと突入した。


 強烈な衝撃と共に火花を散らしながら槍は地面に激突し、爆発し、粉々になりながら暗闇の中を転がっていく。

 いくつもの爆炎が音も無く虚無の中を転がり続け、やがて黒焦げになった槍の断片はその運動を停止した。


 サキュバスはなんとか槍の残骸から這い出すと、目の前に聳える一枚の扉を見上げた。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()……。


「……っ」


 サキュバスは粉々になったデウス・エクス・ソムニアを振り返り、ぐっと拳を握る。


 やれるだけのことはやった。


 たった一夜で聖剣レーゼンアグニを解析し、その術式を無理矢理この槍に刻印した。

 試験発動も計算すらもしていない、ぶっつけ本番の一発勝負。

 それでも、ここまで辿り着くことは出来たのだ。


 この片道切符を、みんなが作った1パーセントの道を、絶対に無駄にはしない。


「行こう……」


 サキュバスは手を伸ばし、重い扉を開く。

 拳を強く握り、背を真っ直ぐに伸ばし、強い瞳で歩んでいく。


 かつて、彼女は特別な魔物ではなかった。

 夢の中を自由に行き来出来るだけの、ただの高位魔族の一人だった。


 だけど、今の彼女を見て、この魔物を"ただの高位魔族"と考える者は誰一人いないだろう。


 それはひとえに、彼女がこの世界で誰よりも長い時間努力してきたからだ。

 剣の腕を磨き、体術を極め、苦手だった料理を克服し、柄にもないリーダーを務め、友達の大切さを知り、仲間と共にひとつの魔法を完成させた。


 それが彼女を理解することに繋がるなんて最初のうちは考えもしなかった。

 だけど……


 サキュバスは黒のローブを脱ぎ捨て、目の前の"彼女"に、ニタニタとしながら「ぴーす」と指を突き出した。

 ローブは風の無い漆黒の中をはためきながら飛んでいく。


 果たして、この挨拶はいつぶりだろうか。


「魔王ちゃんおひさー」


 玉座の上、閉じていた彼女の瞼が僅かに開き、その赤い瞳に、見慣れた、だけれどとても懐かしい悪魔の姿がハッキリと映る。


 背中に申し訳程度の小さな黒い翼を生やし、ピンクの垂れ目に、同じくピンクの髪を肩の辺りで切り揃えた上級悪魔。


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『Mephisto-Walzer』

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