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最終破戒式

 罪魔教と王立騎士団の最初の、そして、恐らく最後の話し合いの席から帰ってきたサキュバスは、事の成り行きを罪魔教のみんなに説明した。


 それはとても満足のいく内容ではなかったものの、たった一度の話し合いで手に入れうる条件としては最上のものだと、そこにいる誰もが納得した。


 今から出来ることはそれほどない。

 シューニャとアズサがレーゼンアグニの術式を解き、シルフィがその術式とサキュバスの書いた術式を結合し、その完成度を上げていく。


 現在の術式の完成度は、おおよそ70パーセントと言ったところだ。

 残りの30パーセントの欠落を如何に埋めるか、時間との闘いだ。


「自分では何も出来ないって、こんなに不安なんだねー……」


 サキュバスは三人の作業を見詰めながら呟く。

 聖剣レーゼンアグニは魔王ネメスと同様、真我乖離(ヴァルキヤ)の神秘を上回る存在だ。

 それ故、その術式や記憶を正確に夢のなかに持ち込むことが出来ない。


 もしそれが出来れば時間という制約を無視出来たのだが、ここに来てサキュバスの魔法は何の役にも立ちはしない。


「もっと、私が魔法を勉強しておけば……」


 そう言う彼女に、アズサが呟く。


「それは驕りだよ、サキュバス……。君の悪いところは一人で何でも抱え込むところだ。私も人のことは言えないがね。でも、分かるんだよ。君の今の立場は、昔の私によく似ているから。だから、今は私たちを信じて欲しい。私たちだって、信じてここで待っていたんだ」


 アズサの力強い言葉に、サキュバスは胸元で手をぎゅっと握った。


 信じて待つことが一番怖くて、一番難しいことだとサキュバスは思う。

 それは魔王ちゃんですら、出来なかったことなのだから。


 宵の空の闇は深まり、月が傾き、星が泳ぐ。


 サキュバスは倒木に腰を下ろし、シルフィの持っていた本を少し読み、スープを作ってシルフィたちに食べさせ、それから不安を掻き消すために忙しなく歩いたり、座ったり、寝たり、眠れなかったりした。


「こんなに眠れないのは人生で初めてだよー……」


 紫紺のそらに瞬く星たち。

 その輝きは遠い過去のものだとどこかで聞いた。

 昔のものが今も輝きを放ち、こうして自分たちを照らしてくれている。


 何も出来ない自分を、休むこと無く安らかな星明かりが照らし続ける。

 それは、約束によく似ている気がする。


 サキュバスはどんな暗闇の中でも、魔王ちゃんとの約束を頼りにここまで歩いてきた。

 サキュバスにとって、魔王ちゃんとした一番最初のあの約束が、彼女の行き先を示す星だった。


 その星が、今、人生と命と全ての努力を受けて、最大の輝きを放とうとしている。


 星は流れ、月が踊り、夜がさらに朝へと近付いていく。

 白い光が地平線から射し込みつつある。


 剣が喉元へと突き付けられるかのような、そんな白い光の中で、一際輝く暁を見る。


 あの星はなぜあれだけの明るさの中で、輝いているのか。

 それは夜の終わり際、闇が明け、より大きな光が訪れることを歓喜しているからだろうか。


 遂に、太陽が昇る。


 シルフィたちは不眠不休で術式を書き続けた。

 あと一分、あと一秒……夜が明けないでとこれほどまでに祈ったのは、たぶん、ここにいる全員にとって、これが初めてのことだった。


 太陽の光が焼け焦げた草原に射し込む。

 王立騎士団たちは束の間の停戦の幕を引き剥がすかのように、それぞれが馬の背に跨がった。


 白い朝靄が、土の城壁と騎兵の軍勢の間に掛っている。

 レースのカーテンのようなそれが、いまここで裂かれ、再び戦いが始まろうとしている。


 しかし、そこにいる誰もがそれを望んでいなかった。

 戦いたくないのに、戦うのは何故だろう。


 お互いに話し合い、もっと理解を深めれば、こんな事はしなくてもいいのではないのか。

 だけど、その解を得るにはまだ時は熟し切っていないらしい。


 この世界はまだ未熟なのだ。

 野蛮と言ってもいいかもしれない。


 戦いに戦いを重ね、そうして、いつか平和な世の中に……


 そんなことを、魔王ちゃんは願っていた。


「だけど、私は魔王ちゃんとは違う。もっと欲張りなんだ……」


 戦の火蓋が切られ、騎兵たちの馬が駆け始める。

 焼け野原を眼下に見下ろし、槍と剣が朝靄を裂きながら進む。


「すぐにでも結果が欲しい……」


 魔法が輝き、矢が空を切って飛来する。


「だから、見ていて、魔王ちゃん……!!」


 その矢を斬り裂き、半ばで折れたレイピアを天高く翳す。

 そして、そこにいた全員が空を見上げた。


 それは槍。

 黄金色に輝く槍が天を貫きサキュバスの目の前に突き刺さる。

 地面が割れ、衝撃波が騎兵たちの進軍を留める。


「サキュバス! 術式を持ってきた……!」


 アズサから巻物を受け取ると、それを広げ破戒式によって槍の表層へと刻印する。


「完成度は……?」


 サキュバスの問いに、シルフィが答える。


「残りの1パーセントを除けば」


「完璧だね」


 残りの1パーセントは奇跡のことだ。

 つまり、完成度なんて関係ない。

 動くか動かないか。

 ただそれだけだ。


 そして、サキュバスは皆を信じている。

 みんなで作る、これからの1パーセントを信じている!!


「これが、本当の最終破戒式!!」


 完成した槍を見上げ、サキュバスは全ての"友達"のほうへと振り返った。


 ここまで大変なことが沢山あった。

 出来ないと思ったことを、それでもと歯を食い縛って、どうにかしてきた。

 色々な人と触れあい、その人のことを考え、自分に足りないものを確認した。


 だから、サキュバスは魔王ちゃんと色々なことを話したい。

 今まで知らなかったこと、分からなかったこと、考えもしなかったこと。

 今のサキュバスには、魔王ちゃんに話したいことが沢山あるのだ。


「みんな、本当にありがとう! 私と一緒に頑張ってくれて! 私と一緒に歩んでくれて! 私と一緒にここまで来てくれて! 女神ちゃん……この術式に愛を感じるって言ってくれたよね?」


 サキュバスの問いにアズサは頷く。


「この術式には、今はもっと沢山の愛が刻まれてる! 私だけじゃない、みんなの愛が!!」


 罪魔教の全員がそれに頷き、サキュバスに笑いかける。


「行ってらっしゃい!」


「魔王ちゃんをお願い!」


「行ってこい!」


「お前なら出来る!」


「信じて待ってる!」


 それぞれが思い思いの声を上げた。

 それに応え、サキュバスは今までで一番綺麗な笑顔を皆に向けた。


 そして、サキュバスはその槍に触れる。

 術式が発動し、何も無かった表層が割れ、扉が開く。

 彼女はその扉の内部へと入り込み、最終破戒式の起動を行う。


 扉が閉まり、暗闇の中、サキュバスは瞼を閉じて壁に触れる。

 自分は一人じゃない。皆の温もりがここにはある。


「行くよ……魔王ちゃん!」


 この世界のルールを壊す魔法。

 それを魔王ちゃんは"破戒式"と呼んだ。


 魔王ちゃんですら壊せなかったものを……最後のルールをぶち破ってやろう。

 このみんなで作った最終破戒式、真我乖離(デウス・エク)・大団円(ス・ソムニア)で。

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『Mephisto-Walzer』

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