魔王ちゃんと銀翼竜と炎 その三
追尾炎の隙間を縫い、ネメスは駆ける。
正面、左右から襲い来る炎をレイピアで裂き、銀翼竜の懐へと飛び込む。
無音にして無色。
漂白された凪の草原。
時計の針の壊れた世界。
そう錯覚するかのような刹那の中の刹那。
見つめ合う一対の瞳の奥、渦巻く魔力の旋風の渦中、秒針の刻む一秒の隙間……その深淵に銀翼竜は、確かに、目の前の魔物に"魔王"の片鱗を垣間見た。
瞬時に世界は動きだし、刃と羽が弾き合う。
けたたましい金属音が反響し、鼓膜から脳を強烈に刺激する。
不愉快な残響。
高圧電流による強烈な痛み。
銀翼竜は涎を撒き散らしながら一歩退き、そこここに灼熱の渦を発生させる。
「魔王ちゃん!」
視界がぐるんと回り、直後、自分が地面に押し倒されたことに気付く。
先程まで立っていた空間が渦に飲まれている。ネメスはサキュバスを抱き起こし真っ直ぐに銀翼竜を見据えた。
「ありがとうサキュバスちゃん、今のは本当にヤバかったかも……」
「復活直後で勘が戻ってないんだから、無理しちゃ駄目だよー」
ネメスは焦げついた表皮を払い、焼かれた腕を回復する。
魔王ネメス、レベル14――
どうやら、今回復に使った魔力ぶんで15あったレベルが一つ減ってしまったらしい。
「魔王ちゃん、あの竜を鎮めるのはちょっと難しいよー。怒り狂ってどうしようもないしー。早めに倒さないと怪我しちゃうよー」
「大丈夫だよ、サキュバスちゃん……。主を失いコントロールを失ったドラゴン。確かに敵としては凶悪だよね。だけど、あの子は敵じゃないから」
ネメスの言葉にサキュバスは肩を竦める。
「どうやら私の魔王様は、無謀と無鉄砲を掛け合わせた命知らずの天才みたいだねー。ま、そういうとこまで含めて好きなんだけど」
「え、好き……? 今サキュバスちゃん私のこと好きって言った!?」
ネメスは顔を耳まで真っ赤にしてサキュバスへと視線を向ける。
対してサキュバスは銀翼竜を見据えたままの真顔。
「んー? 言ってないよー? 魔王ちゃん、自意識過剰過ぎてとうとう幻聴まで聴こえるようになったかー。私は悲しいよ……。よよよ……」
「嘘! 絶対に言ったもん! 言ったったら言った!!」
直後、銀翼竜のブレス。
サキュバスはネメスを抱いて倒れ込み紙一重で回避する。
「魔王ちゃん……? よそ見してると危ないよー?」
「ぅ、うん……。サキュバスちゃん……ちょっと顔近いよ……」
「はいはい、そういうのいいから……」
立ち上がり、空気の読めないドラゴンに対峙する。
「で、あの怒れる暴君を鎮める方法が魔王ちゃんの頭の中にはあるのかなー? 私にはちょーっと無理なんだけど、そこらへん、ちゃんと考えてるんだよねー? 考えてなかったら怒るからねー?」
サキュバスの問いに、魔王ちゃんは舌を出してウィンクする。
「もちろん考えてないよっ! サキュバスちゃんが頑張ってくれるって信じてるからっ!!」
「はぁ゛あ゛ぁ゛あ゛~~~~っ!!!! コイツの臣下本当にやめよーっと!!!!」
「嘘だよ嘘!! ちょっと茶目っ気があったほうが可愛いって昔聞いたことがあったから!!!」
「時と状況を考えようよ!! まあ、解決案があるならいいけども。で、その策で私は何をすればいいのー?」
サキュバスが問うと、ネメスはレイピアを地面に突き立てた。
「ううん、もう終わってるの」
直後、空間が制止した。
サキュバスも銀翼竜も、一歩たりとも動くことが出来ない。
制止した時の中で、ネメスだけがコツコツと靴を鳴らして歩いている。
「さっきまで銀翼竜さんが吐いてた術式、私はただ斬っていたわけじゃないんだよ。あれはね、斬ったフリをして、私の配下においていたの。上位の術式だともう少しだけ時間がかかるんだけど、ね」
サキュバスは動けず、声も出せない。
ただ、目を見開いて彼女の言葉を聞いていることしか今の二人には出来ないのだ。
「よそ見していたわけじゃないんだよ。話し込んでたわけでもないの。ただ、あの子の術式を利用して準備をしていたの。敵を騙すなら味方から……って、よく言うでしょう? ま、この子は敵ではないんだけど」
ネメスの言葉にサキュバスは背筋が凍るような感覚を覚える。
ネメスは銀翼竜を撫でながら微笑む。
「演技じゃないよ。本当に怖かったもん。サキュバスちゃんが痛い思いしないか、銀翼竜さんが怪我をしないか。それに、ちゃんと準備が整うのかも……。でもしっかりやれたよ! よかったよかった!」
何も言えない二人の間でネメスはくるくると舞う。
「まずは動きを止めるとこが目標だった。そうしないとゆっくりと仕上げが出来ないからね~! そういうわけで、これが仕上げです!」
空間の中央に、指で魔方陣を描く。
その中央から、魔力の脈動が溢れ、さらに一つ大きな魔方陣へと広がっていく。
「そうそう、さっきの術式を弄って、地面を焼いてこれを作ってたの。制止の魔方陣。それを今ちょっと弄って、このダンジョンそのものを上書きする魔方陣に変える」
それを聞いて、サキュバスは理解した。
魔王ちゃんは、このダンジョンを魔王城にするつもりなんだと。
銀翼竜が暴れる理由は、ダンジョンの主が死に、時間の経過と共に制御が弱まってしまったことに起因する。
であれば、このダンジョンの性質を書き換え、自らのものとすることにより銀翼竜のコントロールを回復することも可能なはず――。
しかしそれは――
「というわけで、私の中にあった計画はこれで成功!」
ダンジョンはレベル15以上の魔物しか生成出来ない。
それは、ダンジョンの術式生成にレベル14相当の魔力を必要とするからだ。
つまり、現状レベル14の魔王ちゃんは……
「魔王ちゃん!」
体内魔力の全てを放出して、この世から消滅する。
「サキュバスちゃん、さっき私のことを命知らずの天才って言ってたけど、それが魔王の最低条件だよ。自らの計画のためなら命だって捨てられる。その覚悟がない魔物に王は務まらない」
魔王ちゃんはにこりと微笑み、そのまま空間の中に魔力となって消えていった。
制止の術式が溶け、建築された魔王城により、銀翼竜のコントロールは安定化した。
「こんな自虐的なやり方……私は嫌いだよ……」
サキュバスは地に手をつき、歯軋りする。
「魔王ちゃんがいいって言っても私は嫌だ……。自分だけ死んで、自分だけ痛みを抱えて、それが格好いいとでも思っているの……!? それを間近で見る私の気持ちはどうなるの……!?」
ギリリと土を掴む。
「魔王ちゃん……次こそは、死なせないから……。魔王ちゃんが嫌だって言っても。私は、魔王ちゃんが傷付くのを見たくないから……」




