交渉の席で
白旗。
それは停戦交渉や降伏等の、非交戦状態を要求するものであり、軍隊同士での意思疎通の手段として用いられるものだ。
サキュバスは白い布を木の棒に括り付け、それを掲げながら土の城門を出た。
両手にはそれぞれアズサとシルフィ、ノームとウンディーネが伴っている。
そのまま戦場跡を歩いて行き、敵がそれを目視で確認し、こちらと同様に白い旗を上げるのを確認した。
サキュバスはそのまま進んでいき、敵から旗信号で合図が行われるのを確認した。
「こちらに来ていいのは三人だけだと言っているね」
「……」
誰に頼むか逡巡しているサキュバスに、ノームとウンディーネが手を上げた。
シルフィ、シューニャ、アズサの三人はレーゼンアグニの解析に必要な人材だ。
もしもの時があれば、彼女たちだけはレーゼンアグニを持って逃げる必要がある。
サキュバスはノームとウンディーネを伴って進み、シルフィとアズサの二人は城門の向こうへと戻る。
シューニャはそこに残り、三人の帰りを待つことにした。
サキュバスは敵陣へと歩を進める。
休んでいた騎士たちはみな立ち上がり、槍や剣を手にこちらに睨みを利かせている。
しかし、サキュバスは怖がらず堂々と進む。
もう身体の震えは収まっている。それに、彼女は夢を携えてここまで来たのだ。
「よくここまで来れたな」
「停戦交渉に応えてもらえたので」
「レーゼンアグニを返して貰おうか。それと、貴様の身柄も拘束させてもらう」
ラジウムの言葉にノームとウンディーネが身構える。
しかしそこに騎士団長のシアンが割って入ってきた。
「国王様、まずはこの者たちの話を聞いてからにしてみては如何でしょうか? 我々はまだ罪魔教の目的を把握していません」
シアンの言葉にラジウムは暫し沈黙し、それからサキュバスのほうに話をするよう顎で促す。
「ありがとうございます。それでは、まず私たち罪魔教は……」
それから、サキュバスは自分の知り得る全ての情報をシアンとラジウムに開示した。
魔王ちゃんについて、前の世界について、世界をやり直すための術式を再現していることについて、そのためにレーゼンアグニの解析が必要なことについて。
自分たちの身の上や、それぞれの想い、それら全てを隠すことなくその場で打ち明けた。
シアンとメチルは信じられないといった様子で互いの顔を見合わせ、しかしそれが事実であるかもしれないという可能性を払拭することも出来ず、思い思いの表情でサキュバスの話を聞いた。
王立騎士団のメンバーの中には到底そんな話は信じられないと野次を飛ばすものもいた。
それに睨みを利かせるノームをウンディーネが抑え、サキュバスは頭を下げ、その場にいる全員にお願いした。
「レーゼンアグニを、少しの間でいいのでお貸しください……。この場で、ほんの数時間でいいのです。それから聖剣はお返しします。それまで、私をここで人質として頂いて構いません……」
サキュバスの申し入れに、シアンはラジウムのほうへと目を向ける。
メチルは何も言わず、ただ時折サキュバスとウンディーネのほうを見ては気まずそうに目を逸らしている。
「世界をやり直す術式と言ったな」
ラジウムは目を細め、顎の髭を撫でながら言った。
「危険過ぎる術式だ。一歩間違えば世界が滅びる可能性がある。それに、それだけの強力な術式をテロリストに与えるわけにはいかん。貴殿の言うように、本当に平和利用されるとも分からんからの。むしろ武器として使用されれば秩序が乱れかねん。よって、私はその申し入れを聞き入れるわけにはいかんわけだが」
それを聞き、シアンは何かを訴えるような目でラジウムを見詰める。
サキュバスは自らの胸を押さえ、彼に懇願する。
「そこをなんとか、お願いします……! 私たちは、ただ私たちが恩を返すべき相手に……魔王ちゃんに会いたいだけなんです……」
「そのためだけに危険を冒せというのか? この世界の人類の全てに? まったく馬鹿げた話だ。そもそもそんな話を――」
ラジウムは言葉を切り、それから背後から自分の首元へと刃物を向ける、その白く細い腕に溜息を吐いた。
「カンナビス! 貴様!!!」
騎士たちがラジウムに刃を向ける少女に怒声を上げ、手に持つ武器を強く握る。
それを見て、カンナはふっと笑った。
「国王様も冷たいなぁ! こんなに誠心誠意お願いしてるんだから、ちょっとくらい聞き入れてあげてもいいんじゃな~い?」
騎士の一人が彼女に掴みかかろうとするのを、シアンが止める。
団長の命令に騎士たちは困惑しつつも、迂闊に手を出せば国王の命が危険であることもあり、大人しく剣を下げる。
「馬鹿なことを……仮に奴らの言うことが事実だとして、それを実際に試し、失敗しない保証がどこにある? 私は国王だ。民草を守る義務がある。分かったらその短剣を降ろせ、カンナビス……」
「保証? それなら私の勘でどうかな~? 私、これから先すごく面白いことが起きる気がしてるの! それに……」
カンナはサキュバスのほうを見てニッと白い歯を見せた。
「私、そんなに強い奴がいるなら実際に会ってみたいな~!」
カンナの言葉に騎士たちの間に動揺が走る。
しかし、その中でシアンとメチルは互いに顔を見合わせ頷いた。
二人はラジウムの前まで歩んでいくと、そこに傅き、ラジウムに頭を下げた。
「カンナ、ありがとう。もう剣を降ろしてくれ……私の顔色を伺って、わざわざそんな危険を冒してくれたんだろう?」
「……別に、私はそんな気が利くような剣士じゃないけどね~! でも、本当にいいの?」
「これは……本来は信念で通すべき話なんだ。私は武力で語りたくない……」
「ふ~ん……じゃあ、シアンのしたいようにしようか」
カンナはそう言って短剣を放し、騎士たちに拘束され取り押さえられる。
シアンは頭を下げたまま、ラジウムに懇願する。
「私たちからもお願いします。そこにいる魔族の言葉……私にはとても嘘偽りだとは思えないのです。実感として、幾度となく剣を切り結ぶ度に、この身体を構成する全てのものが、思い出せ!思い出せ!と叫び立てるのです。恐らく、いや、確実に……私の命に賭けて断言します! 彼女は嘘を吐いていない!!」
「ぼ、僕も……シアンの言うことに賛成、です……」
シアンとメチルを見下ろし、ラジウムは瞼をそっと下ろした。
「国王としてその言葉を受け入れるわけにはいかない……。しかし、その者の言うことに嘘があるとも私は思っておらんよ」
ラジウムは玉座を立ち、そこにある馬の中で最も速い一頭を騎士たちに連れて来させた。
「重要な用件を思い出した。私は城へと戻る。敵襲が無い限りは、夜明けまで待機しろ」
国王は馬に跨がり、一同を見下ろした。
シアンとメチルは息を呑み、信じられないと言った様子でラジウムのことを見上げる
「陽が昇り次第、敵が降伏していなければ突撃せよ。……それまでの間は好きにさせておけ」
そうとだけ言うと、ラジウムは従者を連れて月明かりのほうを、自らの城のほうを向き、それから振り返りサキュバスの、罪魔教の土の城壁を見上げて言った。
「彼らは信じて着いて来た。仮に妄言でも、希望というものは安易に口に出しておくものだ。心が強くなる……。上に立つ者の苦悩は私も知っているつもりだ。貴殿の覚悟、信念、誠意……その者たちに示せ」
ラジウムは手綱を引き、一気に馬を走らせる。
その背を呆然と見詰め、それからサキュバスは拳を握った。
彼もまた、魔王と対峙した敵国のリーダーなのだ。
だからこそ、自我を殺し、王としての務めに生きなければならない。
これは、彼なりの最大限の譲歩だ。
日の出までの数時間、罪魔教は王立騎士団たちとの間に事実上の停戦協定を結ぶことに成功した。
それはあまりにも不安定で短い間の停戦だった。
しかし、停戦は停戦だ。
それがどれだけ短くても、1パーセントに賭ける意味はあったのだ。
この、僅か二千人に及ばない小さな戦争にもたらされた、これまた小さな小さな停戦。
魔王ちゃんの目指したものには遠く及ばないけれど、それでも、これは大きな一歩だから……。
サキュバスはシアンとメチル、そしてカンナに対して感謝した。
「ありがとう。シアン、メチル、カンナ……」
「礼はいい。私は私の信じたことをするまでだ」
「僕は……お前の言ったことは何一つ覚えてない。でも、もしお前の言ったことが本当なら……裏切りたくなかった……。ただ、それだけだ……」
「ま、そういうことだから急ぎなよ! 夜が明けたらまた戦争だからさ!」
三人に頭を下げ、サキュバスとノームとウンディーネはシューニャの元へ合流した。
それは奇跡と呼ぶにはあまりにも現実的で、それほど綺麗なものでは無かったけれど……たぶん、一人一人が起こせる奇跡はこんな程度のものでしかあり得ないのだと思う。
だからこそ、もっと大きな奇跡のために、力を合わせる必要がある。
「最後の数時間……泣いても笑っても、これが最後のチャンスだよ……」




