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1パーセント

 弓が爆ぜた。

 無数の矢と魔法が夕焼け空に血飛沫を上げる。


 死者を出さずに戦う。

 これだけの大軍勢同士の戦いで本当にそんなことが出来るなどと誰も信じてはいない。

 だけれど、それは信念の問題なのだ。


 弓をつがえる信徒たちは、可能な限り敵の手脚に狙いを付ける。

 しかし死ぬときは死ぬ。食い止められなければ自分たちが死ぬ。

 だからこそ、苦しいのだ。

 だからこそ、残酷なのだ。

 だからこそ、戦いたくないのだ。


 それでもここで退くわけには行かない。

 ここにいる罪魔教の信徒たちは元々パルパ半島に住んでいた者達が過半数を占めている。


 サキュバスが見せられる記憶にも限界がある。

 この世界に持ってこられなかった記憶のほうが多いくらいだ。

 だけど、この掠れたインクで書き残されたたった一行のメモのような記憶に、みんなは命を賭けてここまで来てくれた。


 そのメモは殆ど読めない字で書かれていた。

 だけど、みんなはそこに愛の字を読み取った。


 血飛沫の中に四つの人影が駆ける。


 それを見てサキュバスは目を細め、それからウンディーネとノームと共に城壁を飛び降りた。


 剣聖ニトロ、勇者シアン、魔導士メチル、剣鬼カンナビス。

 かつてそう呼ばれていた彼らも、前の世界では仲間だったはずなのだ。

 しかしサキュバスたちはもう一度、彼女らと剣を交えなければならない。


 それがこの世界の逃れきれない在り方(ざんこく)だからだ。


「次元斬――!」

真我乖離(ヴァルキヤ)ッ!!」


 割れる空間を紙一重で避け、サキュバスは剣聖へと飛びかかる。

 斬撃を斬撃で斬り、襲い来る魔法を斬って捨て、赤い世界の中を縦横無尽に駆け回る。


 ノームとウンディーネは一対一の戦いにしか対応し切れない。

 サキュバスが二人のカバーに入り、相手四人を不殺で無力化しなければならない。


 背後から襲い来る騎兵を蹴落とし、横っ腹を狙って放たれた誰かの魔法を回避する。

 今回ばかりは四対三という分かりやすい構図では戦えない。これは大群の中での戦いだ。


「はぁ……! はぁ……っ!」


 サキュバスは敢えて深めに深呼吸する。

 体内に酸素を過剰に取り入れ、全身の筋肉に少しでも多く燃えるものが届くように。


 シアンの剣をレイピアで受け、メチルの魔法を斬り裂き、カンナビスの剣を逸らし、ニトロの斬撃を回避する。

 ノームが横槍を入れ、ウンディーネが妨害を図る。信徒たちの矢と魔法が辺り一帯を薙ぎ払い、敵の騎兵の魔法が城壁を徐々に削り取っていく。


 地平線の太陽はその姿を隠しつつあり、世界は僅かな光の中に血と肉片を散らしながら闇の中へと溶けていく。

 しかし、その闇の中でさえ輝く信念は決して消えず、絶えず瞬き続ける。


 月明かりが、星が、きらきらと彼らを照らしている。


 この世界の、ほんの二千人程度の、一握りの者たちの戦い。

 それは領域戦争と比べれば取るに足らないほど小さな小競り合いだ。


「それでも……ッ!!!」


 サキュバスの剣がニトロの腕を斬り飛ばし、メチルの魔法がサキュバスのレイピアを真っ二つに折った。


「私は!!!」


 ニトロを蹴飛ばし、カンナビスの刃がサキュバスの大腿骨を貫く。

 大量の出血に歯を食い縛り、痛みを無理矢理無視してシアンのほうへと跳んだ。


「魔王ちゃんに会うんだぁああああああ!!!」


 雪崩の如き剣撃。

 その刃は折れ刀身は半分ほどしかない。

 魔王ちゃんが作ってくれたレイピアなら、きっとまだ折れていなかった。


「うぉぁああああああああ!!!!!!!!!!」


「ぐ――がッ!!!」


 シアンの剣を弾き、すれ違い様にその右腕を切り落とす。

 同時にノームの放った土壁がカンナビスとメチルを弾き飛ばし、両陣は一瞬の混乱のなか、よろめきながら立ち上がる。


 時間が止まったような感覚があった。

 騎兵と教徒たちは相変わらず戦っている。


 しかし、サキュバスとシアンたちは互いの顔を見合わせ、何も言わずに、ただ荒い息を整えつつ互いの得物を構えている。


「動きが急によくなったねー……」


「……」


 サキュバスの言葉にシアンは何も言わない。


 真我乖離(ヴァルキヤ)以外の要因で、前世の記憶が蘇ることはあり得ない。

 しかし、身体が動きを思い出すことまでは否定出来ない。


 サキュバスがシアンの腕を斬り裂いたあの瞬間、彼女はシアンの首元を狙っていた。

 このままでは、殺す気で行かなければ自分が殺されると思ったからだ。


 シアンはサキュバスを見据え、左手で剣を構える。


「お前は一体何なんだ……お前と戦っていると頭が割れそうになる……まるで、友達と戦っているような、そんな気分になってくる……。そんなはずはないのに!! そんなわけがないのに!!!」


 シアンが叫び、メチルとカンナが顔を見合わせる。

 ニトロも、黙ってノームのほうを見た。


「……私たちは、なんで戦っているんでしょうか?」


 ふと、ウンディーネがそんなことを呟いた。


「だって、あなたたちはまだ……なぜ私たちがレーゼンアグニを奪ったのかを聞いていない……。私たちも、話していない……。私たちはお互いのことを何も分からずに戦っています……」


 ウンディーネはそう言って、辺りを見回す。

 騎兵と教徒の弓が飛び交い、魔法が輝いている。


 剣で命を落とした者、弓矢で命を落とした者、魔法で命を落とした者、落馬し命を落とした者、投石で命を落とした者……。

 無数の命が、闇の中へと落ちていく……。


「これは、繰り返しです。サキュバスさんの言っていることが本当なら、これはもう一度、同じ事を繰り返しています!! この世界に青き炎はありません!! 私たちを虐げるものは何も無い!! 世界は、本当は優しいはずなんです!!!」


 何かが込み上げてくる。

 サキュバスはそれが何かを知っている。

 だけど、こうするより他に方法は無かった。


 話をして、レーゼンアグニに触れることが出来たのか?

 そんな説得をしに行って、宝物庫へと入ることが許されたのか?

 ただの一魔族の分際で、国に申し入れが出来たのか?

 聖剣を解析することが出来たのか?

 みんなを信用させることが出来たのか?


 全部……否定することは出来ない。


 99パーセント無理だということは分かる。

 だけど、残りの1パーセントが残っている。


 その1パーセントを拾う努力を一度でもしたのか……?


「弓を降ろせ……。攻撃をやめろ!!」


 その瞬間、彼女はそう口走っていた。


「お願いします……。戦いを、止めましょう……」


 サキュバスは頭を下げていた。

 無防備な首筋がシアンたちの前に晒される。


 斬ろうと思えば誰でも斬れた。

 だけど、誰もそれをしなかった。


 それが、今まで試さなかった"1パーセント"だった。


「全軍……一時撤退!! 体勢を立て直し再度攻撃を試みる!!!」


 そう叫び、シアンは騎兵軍を退がらせた。


「勘違いするな……。お前の願いを聞き入れたわけじゃない……」


 そう言って、四人は騎兵たちに続き、草原の向こうへと退いていく。

 戦いは止まった。

 しかし、この先で何があるのか誰も分からない。


「サキュバスさん……」


 ウンディーネの横を通り過ぎ、サキュバスは城壁の向こうへと戻る。

 大腿骨を貫いていた刃を引き抜き傷を治し、額に手を当て、目を細める。


「これか……魔王ちゃんがやっていたことは……」

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『Mephisto-Walzer』

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