時を惜しめと、乙女たちに告ぐ その五
逃げた先は開けた草原だった。
背後には森があり、逃げ込めば時間稼ぎにはなるだろうが、火を付けられれば炙り出されることになる。
何よりも今回の作戦の肝はレーゼンアグニの解析であり、これを持っている限り、国は総力をかけて罪魔教を迫害するに決まっている。
可能な限り死傷者を出さずに目的を達するには、下手な時間稼ぎをするよりも今、ここでケリを付けたほうが確実なのだ。
水平線の向こうから敵の軍勢がやって来る。
大丈夫、大した数では無い。
敵も奇襲の混乱から立て直したばかりで、戦力の全てを動員出来たわけではない。
武器庫は予め爆破しておいたし、軍内部の指令が上手く行き渡らないように城の階段や廊下も全て破壊した。
時間が経てば、いずれさらに多数の軍勢がこちらへと向かってくるに違いない。
罪魔教のどの地下宮殿がバレていて、どこがバレていないのかも分からない。
だから、今はアズサ、シューニャ、シルフィの三人を信じて奴らの足止めをする。
「魔王軍総員! 突撃に備えよ!!」
ノームが大地を隆起させ即席の城壁を造り上げる。
ウンディーネは地下水を沸き上がらせ、それを上空へと持ち上げ巨大なレンズを形作る。
レンズによって収束した太陽の光が草原に火を付け、敵の進軍を食い止める。
火の手はノームの城壁によってこちらへは燃え広がらない。
シルフィが援護の風を吹かせ、火の手は更に勢いを増す。
まるで海岸の波のように広大な横一列の炎の壁が、第一の城壁となりサキュバスたちを護る。
この炎が燃え尽きるまで、敵は動く事が出来ない。逆を言えば、この炎が燃え尽きた時が戦の始まりだ。
草原は徐々に焼けた炭色へと変わっていき、陽は傾き世界の全てが赤く、暗く染まり始める。
暗闇とオレンジ色の中で両軍は互いに睨みを利かせる。
罪魔教の戦力は総員約200騎ほどだ。
対して敵軍の戦力はおそらく1500騎ほどか。
多く見積もっても2000はいないはずだ。
地の利はこちらにあるとはいえ、この人数差は流石に分が悪い。
「サキュバス、もうじき火の手が弱まる。戦が始まるが……」
「可能な限り死人は出さない方針-。ちゃんと忘れないでね-?」
サキュバスの言葉にノームとウンディーネは顔を見合わせる。
罪魔教は世界各地で様々な事件を起こす悪質なカルト教団だ。
しかし、不思議なことにその事件によって死者が出たことは未だかつて一度も無い。
それは不思議でも偶然でも奇跡でもなく、全てはこの罪魔教の教祖が不殺を徹底していからだ。
二人はそのことを改めて確認すると、ゆっくりと頷いた。
「正直、あなたのことはまだ信用し切れていません……。でも、その命令だけは絶対に守ります」
「命令じゃなくてお願いだよー!」
上目遣いでそう言うサキュバスにノームとウンディーネは苦笑いする。
魔王ちゃんがなぜこういうことをしていたのか今ならよく分かる。
人に命令するのは、何というか少し違うのだ。
各々の信じる心によって正しいと思ったことをして欲しい。
リーダー失格かもしれないが、サキュバスの本心はそんなものだった。
だから、裏切られたって構わない。
その時は、自分の力で何とかする。
それに、サキュバスは皆を信じている。
みんなにも、自分を信じて欲しい。
そんな気持ちを表明しようとすると、どうしても茶目っ気を出してしまうのだ。
おどけたほうが親近感が湧く。魔王ちゃんの時もそうだった。
「こうしてみると、女神の気持ちも、少しは分かるなー……」
夕焼けが深まり、空に紫紺と赤のグラデーションを映える。
火の手が弱まり、敵の騎兵が駆けた。
蹴り上げられた燃える草が火の粉となって舞い上がる、黄昏時。
幻想的なその景色に馬の蹄の音が鳴り響き、幾つもの魔法の光が弾け飛んだ。
シルフィたちの解析はまだ終わらない。
「総員!!! 死ぬな!!! 殺すな!!! 生きろ!!!!」
柄にもない怒声を張り上げ、サキュバスは自らの軍に弓を引かせる。
戦いは好きじゃない。本当ならいつも眠っていたい。
だけど、今は出来ない。
暗闇と輝きの世界で、夢を目指し声を張り上げる。
見ていて魔王ちゃん、たぶん、これは魔王ちゃんの望まない"過酷"だと思うけど。
「乗り越えろ!! 今この瞬間の"残酷"を!!!」




