穏やかな昼下がり、大騒動の幕開け
あれから一ヶ月。
シアンは王都アルカディアの喫茶店で、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
窓ガラスから射し込む陽光が暖かく、平穏極まりない日常の景色。
子供たちが木の枝でチャンバラをする姿を見ながら、シアンは淹れたてのコーヒーをちょびちょびと啜る。
この喫茶店のコーヒーはいい豆を使っている。
舌触りは滑らかで雑味がなく、ブラックで飲んでも微かに甘いような感じがする。
「やっほー、シアン~!」
そう言って背後から抱きついてくるのは、いつもの見慣れた赤髪だ。
その横には眉根を寄せて迷惑そうに溜息を吐く茶髪の姿もある。
「カンナとメチル……珍しいな、お前たちが非番の日に一緒だなんて。デートか?」
「そそ! メチルがどうしても私と一緒に遊びたいっていうからさ!!」
「くだらない冗談はよせ、僕とカンナはすぐそこで偶然出くわしただけだ。それより、シアンも偶然だね。休日に一人で喫茶店なんて……もしかして誰かと待ち合わせだったり?」
メチルの仕返しにふっと微笑み、二人に対面の席に座るように促す。
「それこそ冗談だな。王立騎士団の団長が恋やら愛やらにうつつを抜かしているようでは面子が立たないだろう? いや……言われて見ればこれは恋煩いと言ってもいいのかもしれないな」
ウェイターに注文をしていたメチルが思わず「はぁ!?」と叫びながら立ち上がり、カンナがきらきらと目を輝かせる。
「な、なななな何言ってるんだシアン!! こ、こここ恋煩い!? え、え、ぇ……誰? 誰なんだ、相手は……」
「ははぁ~ん? シアンも案外そういうとこあるんだね~? メチルも凄く興味津々みたいだし、私たちだけにこっそり教えてくれたりしないかな~?」
耳まで顔を赤くしながら慣れない恋話をしようとするメチルと、その横でニヤニヤとシアンに質問を突き付けるカンナ。
それを前にしてシアンはニッと笑い、ブラックのコーヒーを飲み干して言った。
「罪魔教教祖、眠り姫だ」
その回答にメチルは店中に響くような大きな溜息を漏らし、カンナは窓の外の子供へと視線を移す。
「はっ、どうせそんなとこだろうと思ったよ。そうだよそうだよ、シアンあれからずぅ~~~っとアイツの剣技の再現ばっかりだもん。鍛錬鍛錬鍛錬アンド鍛錬……。コイツはそういう奴だよ。あ~あ、期待した僕が馬鹿だった……」
「シアンが変なこと言い出すから、まさかと思って私も一瞬だけ期待しちゃったけど、これは心底つまんないなー」
メチルとカンナの反応に苦笑いを浮かべ、シアンは追加のコーヒーを注文する。
メチルは運ばれてきたパンケーキを、カンナはパフェを頬張りながらシアンの話す言葉をどうでも良さそうに聞き流す。
「アイツの剣技は凄まじかった……。まさに、歴代の剣聖を全て束ねて一本の剣に落とし込んだかのような超絶技巧……。極限まで研ぎ澄まされた鋭敏な感覚と、一分の隙も無い流麗な剣捌き。あれだけの剣技を放つのに、一体どのような訓練を積んだのか非常に興味深い。敵ながら、心の底から天晴れだ」
楽しそうにそう言うシアンは、コーヒーを運んできたウェイターに礼を言い、それからそのカップの中を覗き、軽い溜息とともに続ける。
「ただ、残念なことにアイツは犯罪者だ。罪魔教……世界各地に信者を作り、怪しげな地下教会の建設や、人攫いを行う悪質なカルト教団……。その教祖が、なぜあれだけの剣技を……一体奴は何が目的であのような教団を作り上げたんだ……?」
「気が触れてるんだろ。この世界が出来る前に、もう一つ別の世界があったとか、そんなことばかり言ってるような教団だ。あまりに胡散臭くて、僕はシアンみたいにはなれないね」
シロップのたっぷりかかったパンケーキを口に含み、メチルは幸せそうに、落ちそうな頬に手を当てる。
「メチル、お前は今たしかダイエット中……」
「うるさいなあ!!」
「それよりさー、ここ最近、罪魔教の噂がいつにもまして多い気がしない? それも、世界各地で怪しげな活動が活発な感じで」
カンナの呟きにシアンとメチルはうーむと考え込む。
「そういえば新聞の記事にも連日似たようなものが載ってるな……いつもの怪しいミサだと思って読み飛ばしていたけど……」
「別に人様の迷惑にならなければ、どんな集会をしていようが構わないが……。私たちの目的はあくまで罪魔教の教祖を人攫いの容疑で逮捕することだ。それ以外のことは、別に大したことではない」
「でもこの前教会を爆破したりしてなかった?」
「あれは酷かったねー。奇跡的に怪我人は出なかったみたいだけど!」
「奇跡的に、か……」
シアンはコーヒーを啜り、ぼんやりと罪魔教のことを考える。
「なんだか、懐かしい気がするんだよな……。昔、アイツと戦った気がするんだ……。そんなはずは無いんだが、なぜか心の片隅に、いつもアイツの剣が残っていて……」
そんなことを呟くシアンに、メチルは軽く同意する。
「シアンもなのか……。僕も、なぜかアイツの顔を見たときに胸の中に変な感じがしたんだ。あの感覚が何なのか分からないけど、でも考えすぎなんじゃないかな? アイツは世界的な宗教団体のリーダーなんだから、何かしら人の心理に呼びかけるような部分があっても何もおかしくはないだろう?」
メチルの答えは確かに納得のいくものだ。
相手は世界的な宗教団体の教祖で、たった数年で何千人もの信者を掻き集めたやり手なのだ。
たぶん、これはシアンたちの思い過ごしだ。
「でも、私は何か特別なものがある気がするな-。それこそ、世界を巻き込んだ大騒動の前兆、みたいな! 勘だけどね!!」
カンナのその言葉にシアンとメチルは苦い顔で見つめ合う。
カンナの勘は比較的よく当たる。
そんなカンナが、"世界を巻き込んだ大騒動"なんて単語を出すなんて、正直言えばぞっとしない。
「そうは言っても、世界的な大騒動なんて……」
「みんな!! 一大ニュースだぞ!! この号外を読んでくれ!!!」
メチルが言いかけたその瞬間、喫茶店の扉が勢いよく開き一人の男が新聞ばらまいた。
無造作に散った紙質の安い新聞を拾い、シアンたちは顔を突き合わせてその見出しを読んだ。
『聖剣レーゼンアグニ、国の宝物庫より奪取される!! 罪魔教の犯行か!?』
「「 な ん だ と ! ? ! ? 」」
シアンとメチルは悲鳴を上げ、カンナは面白そうに腹を抱えて笑い出す。
「本日正午、国の関係者の記者会見により、聖剣レーゼンアグニが国庫から奪取されたことが判明。罪魔教の教徒と思われる人物、計五名がアルカディア主城の宝物庫へと潜入し、警備の騎士数人を無力化し逃亡。幸いなことに重傷者はいないものの、国はこの事態を重く受け止め……」
「重いどころじゃないだろ!! この号外はいつ刷ったものだ!! なぜ私たちに連絡が来ていない!!」
シアンは新聞を持ってきた男の胸倉を掴んで前後に激しく揺すり、男は苦しそうに答える。
「アルカディア魔法出版社の最新号ですよ!! 印刷魔法で、つい数分前に!!」
「私たち今日は非番だしね~!」
「クソ!! 平和ボケにも程がある!! メチル、カンナ!! 話をすればなんとやらだ。罪魔教を狩りに行くぞ!!」
「はあ、仕方が無い……」
「今回の勘は当たるまでが最短だったね~!」




