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魔王なき魔王軍

 女神のその言葉にサキュバスは立ち上がり、部屋の扉のほうへと歩いて行く。

 そして、振り返らずに問うた。


「今日からあなたは罪魔教の……いや、魔王軍の幹部ということにするけど-、それでいいー?」


 シルフィはベッドから立ち上がり、彼女の隣に並び立つ。

 答えるまでもないと目で語り、それから、サキュバスは扉を開いた。


 視界に広がったのは、真っ暗な大広間だ。

 サキュバスが指を鳴らすと共に次々と松明が灯っていき、その奥には一本の槍が奉られている。


 二人は槍のほうへと歩いて行く。

 松明の横にはそれぞれ黒衣の人々が並び、松明の飴色の淡い光と漆黒の闇が混ざり合い、まるで宗教画のような荘厳な雰囲気を醸していた。


「随分と厳重な警備だな」


「これが最後の希望だからねー」


 アズサはサキュバスに連れられ、奉られている槍の前でその歩みを止めた。


 その槍は巨大だった。

 全長二十メートルはあろうかというほどの長大さで、黄金色に松明の光を照り返し、表層には何やら無数の呪文が刻印されている。


「これは……なるほど、随分と手間を掛けた術式だ。君が一から作ったのか?」


「うん。でも私の知識だけじゃここまでが限界だった。何しろ、失ったものが多すぎたからねー」


 アズサは槍を見上げ、それから刻まれた術式を紐解いていく。


 これは世界を滅ぼすための槍だ。

 地上に浄化の炎を巻き、その炎を以て、より高みへと目指すための術式だ。


「見たことの無い術式が多すぎる……。これだけの高位の魔術、一体どこで……。いや、違うな。あの夢……そうか、君は私の記憶から……しかし、それならなぜ私は術式を覚えていない?」


「まだ状況が掴み切れていないみたいだねー。いいよー、私が最初から解説してあげようー」


 頭を抱えるアズサに、サキュバスはえっへんと腕組みしながら胸を張る。

 それから、サキュバスは今まであったことを、まだ理解が完全ではないアズサに教え始めた。


 かつて魔王ちゃんという魔族の王がいたこと。

 彼女は優しくて思いやりのある子で、魔族でも人族でも関係無く友達になれる子だったということ。

 世界がかつて滅びかけていたということ。

 その世界を、みんなを救う為に魔王ちゃんが犠牲になったこと。

 そして、今ある世界は魔王ちゃんによって再構築された新世界であること……。


「私は魔王ちゃんを止めるために、冥界で魔王ちゃんと戦った。だけど、私には分の悪い戦いだった。結果的に私は負けた。だけど、ただ負けたわけじゃない。私は、魔王ちゃんを斬ったその瞬間に、魔王ちゃんが持つ魔力の中に……みんなの溶け合った集合無意識の中に真我乖離(ヴァルキヤ)を使って溶け込んだの」


 サキュバスは悔しげに、しかし、少しだけしてやったりと微笑み、目の前の黄金の槍を見上げて言う。


「青き炎で強制的に魔力に変換されたみんなとは違って、私は自分の術式で集合無意識に介入した。だから最後の瞬間まで自我を保ったままでいられた。魔王ちゃんが世界を再構築して、みんなの記憶を改竄するその瞬間にも、私は上手くやり過ごすことが出来た」


「そこで、君は世界の全ての記憶を見たわけだ」


 アズサの問いにサキュバスは頷く。


「だけど、全部は持ち込めなかった。私は荒れ狂う集合無意識の波の中で、ただ一つの希望を探して藻掻いてた。そして、奇跡的にその記憶を見つけることが出来た……」


 サキュバスがアズサの赤い瞳を見据える。


 女神(アズサ)はかつて、自らの術式によって青き炎を再現し、世界を焼き尽くそうと目論んでいた。

 その術式は、その知識は、あの時のサキュバスにとって唯一の希望だったのだ。


「なるほど、確かに魔王ネメスのリスタート計画……あれは私の保有していた術式を応用すれば、再現出来るかもしれないな……」


 結局魔王ちゃんがやったことは単純な三ステップだけなのだ。

 世界を魔力に還元し、冥界へと行き、そこで世界を再構築する。


 魔力への還元は青き炎があれば可能として、世界の再構築に関しては、魔王ちゃんは魔王城の建設方法を応用してこの世界を造り出した。全ての魔物は魔力さえ十分にあればダンジョンを造れる。これは魔王ちゃんだけの特権というわけではない。


「問題は、冥界へと向かう方法だけか……」


「それはいいんだけどー……。一番の問題はー、あなたの記憶から見つけられた術式がほんの半分だけってことなんだよねー……。あなたの記憶のもう半分は見つけられなかったー……」


 サキュバスの真我乖離(ヴァルキヤ)をもってしても、集合無意識に溶け込んだ記憶を全て集めきることは至難の業だった。


「出来なかったことは仕方が無いさ。次善の策を練ればいい」


 アズサは槍の術式を撫でた。

 その術式は構成においても量においても尋常のものではない。

 きっと長い時間をかけて少しずつ丁寧に刻み込んだものだ。


 しかし、完璧ではない。

 刻まれた式にはところどころに空白が目立ち、荒削りで上手く発動しそうにないことは一目見れば明らかだ。

 サキュバスの言うとおり、この術式の完成度は50パーセント程度でしかない。


「残りの50パーセントは私の知恵で埋めるとしよう。これだけヒントがあればある程度は再現出来るだろう」


 そこまで言って、アズサはサキュバスに問う。


「君のこの計画には何か名前はあるのか?」


「うーん……正直まだ決まってないなー。魔王ちゃんのリスタート計画に対抗する名前がいいんだけどー」


 その回答にアズサは不敵に微笑む。


再始動(リスタート)計画に対抗する作戦か……それなら、この作戦の名前は復讐(リヴェンジ)計画だ」


 アズサの提案にサキュバスは蠱惑的に笑う。


「いいねー、それ。私たちにピッタリかもー」


 二人は槍に背を向け、ここまで来た道を振り返る。


 彼女たちはかつて敵同士だった。

 一方は世界を救うことを望み、もう一方は世界を滅ぼすことを目論んだ。

 しかし、彼女達には共通点がある。


 大切な人を失い、その現実に抗うように藻掻き苦しみ戦って、最終的には魔王ネメスに敗北した。


 しかし、一度の敗北で諦めるような柔な魔物では決して無い。

 何度も何度も諦めずに挑戦し、戦ってきた魔物を彼女たちは知っている。


 魔王ちゃんという、かつて世界に抗い続けた存在を……。


「罪魔教……いや、新生魔王軍……復讐(リヴェンジ)だ」


 魔王なき魔王軍が、今再び動き出す。

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『Mephisto-Walzer』

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