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砂漠に吹く風

 無限に続くような、真っ白な砂漠。

 ジリジリと照りつける刺さるような日の光の下、アズサはゆっくりと顔を上げた。


 額から汗が伝い、頬から透明な雫が滴り落ちる。

 辺りを見回し、その見慣れた景色に眉根を寄せる。


「私、なんでこんなところに……」


 そこはネヴィリオの砂漠だった。

 いつもと変わらぬ砂景色、青い空に照りつける太陽。砂丘の向こうには街があって、その反対側にずっと進めば、アズサたちの住むいつもの村だ。


「はぁ……頭が……」


 アズサは立ち上がり、ぼんやりとする意識の中、村を目指して歩き出した。

 一歩踏みだし、その足が地面に触れたその瞬間、景色にノイズが走った。


 青と赤が混ざり合い、脳裏に嫌な感覚がざわめき立つ。

 耳障りな悲鳴と、どこかで聞いた誰かの声。


 見えるのは幻覚、聞こえるのは幻聴。

 だけど、それはリアルな質感を伴って、まるで現実かのようにアズサの感覚の全てをジャックする。


「何……何なの……?」


 突如、視界の隅に魔法の光が輝いた。

 振り返った先、青空に舞う真っ赤な血飛沫が網膜を灼く。


「ッ!?」


 ノイズが走り、アズサは頭を抱えて俯く。

 まるで脳内に膨大な量の情報が一斉に流れ込むかのような、頭痛と目眩。

 アズサは吐きそうになる喉もとを押さえ、地面の砂を掴んで、その頭痛に耐える。


 そして、突如としてその痛みは嘘のように消失した。


「治った……? 何だったの、一体……」


 自分の身体の異変を確かめるように頭をそっと触るが、アズサには何も分からない。

 そして地面から顔を上げた瞬間、彼女はそこに信じられない光景を見た。


 緑色の髪の少女が、その首を鉄剣で裂かれた。

 飛び散った血飛沫を前に、人々が恐怖の叫びを上げる。


「シル、フィ……?」


 間違いない。斬られたのはシルフィだ。

 そして、その光景に恐れ戦くのはアズサと一緒に暮らす村の人々。


「シルフィ!?」


 アズサは斬られた彼女の元へと一目散に駆け寄った。

 剣を持った男には目もくれず、彼女を抱き起こそうとする。

 しかし、伸ばしたその手は彼女を掴めず、まるで幽霊のようにすり抜けてしまう。


 アズサは何が起きているのか全く分からず、絶望に染まった顔を自らの手で覆った。

 目の奥が熱くなって、涙の粒がぼろぼろと零れ出す。


 何とかしてシルフィを助けたい。

 だけど、なぜだか分からないけれど……手がすり抜けて彼女に触れることが出来ない。


「どうして! どうしてどうしてどうしてッ!!! 私は、シルフィを助けたいだけなのに!!! なんで、こんなことになってるんですかッ!!!」


 次の瞬間、剣士の男が魔弾を斬り裂いた。

 全てが同時に動き出し、村人たちが走り、剣士とシルフィが取っ組み合う。


 その刹那、アズサの脳裏に再びノイズが走った。


「そうか……私は知っている……」


 シルフィの腕が発光し、剣士を巻き添えに爆炎を撒き散らす。


「だけど、なんで……こんな記憶はどこにもないはずなのに……」


 爆炎の中立ち上がり腕を再生した風魔と、剣を握り直す剣士の姿。

 その二つを見て、アズサは呆然と呟く。


「そうだ……。私、ここで大切なものをなくしたんだ……」


 血潮と風が舞い、剣と魔力が爆ぜ、歯軋りし、必死に戦う彼女の姿に、アズサは何も言わずただ拳を握った。

 そして、その最後の姿を脳裏に焼き付けようと凝視する。


「ここが、(女神)(シルフィ)になった場所だ……」


 そして、そんな大事なことすら今の自分は忘れていた。


「私はアズサじゃない」


 思い出すものは怒りだ。

 胸に滾るものは憎悪だ。

 凍てつくような悲嘆と、燃えるような焦燥感……。

 世界に置き去りにしてきたかつての自分の感情が、ふつふつと沸き上がる。


 苦しい。

 だけど、その苦しいことが愛おしい。


 アズサは胸に手を当て、過呼吸になりながらその戦いを見守る。


 熱くてたまらない。痛くてたまらない。苦しくてたまらない。

 逃げ出したくて、暴れたくて、辛くて泣いて、どうしようもなくって……。

 だけど、この気持ちを手放したくない。


「私はシルフィを失いたくなかった。もう一度だけ会いたかった……。ただ、それだけで……でも、それが出来ない世界だから、私は世界の終末を望んだんだ……。サキュバス、君なんだろう? この夢を見せているのは」


 アズサはそう呟き、顔を上げる。

 風が光り、彼女の最後の魔法が瞬く。


 その閃光に飲まれ、アズサの意識は遠のいていく。

 忘れたくないものが、夢の中に離れていく。


「忘れない……忘れて、たまるか……。私の、私たりえる理由を……」


 光に溶け、闇に溺れ、意識が現実へとまどろんでいく。


 夢の記憶というものは、持ち出せるものと持ち出せないものが存在する。

 アズサは手を突きだし、その手をぎゅっと握って、それから瞼を開いた。


「……忘れてない。確かに覚えている」


 ここは現実。

 そして、彼女は夢の中から確かなものを掴み出した。


 見知らぬ部屋の中、視界の隅に黒衣の少女がニヤニヤと笑いながらこちらのことを眺めている。


 桜色の髪に同じ色の瞳。髪には若葉色の髪飾りが葉桜のようなアクセントになり目を惹き、黒のローブの下にはところどころ隙間があり、その隙間から、彼女のあの露出の多い衣装が見え隠れしている。


「おはようー。長い夢を見ていたみたいだねー?」


 アズサはそれを見て、赤い瞳を真っ直ぐに向けてふっと笑う。


「暫くぶりだな、夢魔サキュバス……。君は心底諦めの悪い悪魔だ」


「そういうあなたこそー、私と同じくらいには未練たらたらみたいだけどー? あんな夢見ちゃってさ-?」


 お前が見せた夢だろう。とは言わず、天上を見上げて言った。


「当然だ」


 ベッドから起き上がり、それからサイドテーブルに置かれた書物を取ってぱらぱらとそのページを捲っていく。


「これは?」


「好きでしょ-。そういうの」


 アズサは本へと視線を落とし、それから、シルフィが気に入っていた例の一節を引用する。

 それは未来に希望を持っていた風の魔物が、全てに絶望していた天界の女神が、好きだったひとつの詩だ。


「"無い者にも掌の中に風があり、有る者には崩壊と不足しかない。ないかと思えば全てがあり、あるかと見れば全てがない"……」


 魔王ネメスは世界を滅ぼした。


 全ての生命には罪がある。

 それは原罪だ。


 人は、生命は、常に何かを殺して生きている。

 その罪の重さが、前の世界では既に限界を迎えていた。

 人が魔族を、魔族が人を殺し過ぎたのだ。


 魔王ネメスは、その罪の重さに耐えかねた世界中の全ての生命に、背負ってきたその罪を一度降ろす機会を与えた。

 世界と共に死に、その死をもって、全ての罪の清算をしたのだ。


 今その罪は、魔王ネメスと共にこの世界の外にある。


 彼女は罪を司る悪魔だ。

 かつて人々が背負っていた罪を、今は彼女一人が背負っている。


「そんな世界に一体何の意味がある?」


 有る者には全てがなく、無い者には全てがある。


 この世界は、一度全ての罪を払拭した。

 だが、そこに罪が無いと言えるのか?

 この世界の人々は、自分たちの身代わりに罪を背負った恩人を、綺麗さっぱり忘れているのに。


「どちらにせよ罪深いことだ」


 アズサは本のページを捲り、呟く。


「あろうがなかろうが、どちらにせよ結局は同じことだ。私は気に入らないよ。私もノームもシルフィも、確かに、今この世界にあって幸福だよ。もう二度と会えないと思っていたからね……。だけど、それはあくまで君からの施しに過ぎない。私はね、魔王ネメス……」


 アズサは空を仰ぎ、不敵に笑った。


「君の計画を破ってみせようと思う」


 アズサは彼女に救われた。

 一番大切な人にもう一度会えた。


 だから、この恩は必ず返す。


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『Mephisto-Walzer』

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