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ごめんね。ばいばい

 空白の世界。

 そこは何もないようで、全てがある場所。


 シルフィは、死の間際にこんな言葉を引用していた。


 "無い者にも掌の中に風があり、ある者には崩壊と不足しかない。ないかと思えばすべてがあり、あるかと見ればすべてがない"


 どれだけ充足しても、失うことを恐れればそれは不幸だ。

 どれだけ貧しくても、満ち足りているのならそれは幸福だ。


 人はどんな状況にあっても、自分の主観以上の幸福にも、不幸にもなり得ない。


 魔王ちゃんの主観は不幸で出来ている。

 それは罪魔として生まれたが故の性質であって、彼女自身が悪いわけでは全くない。

 彼女はむしろ自らのその境遇に立ち向かい、必死に幸せを追い求めてここまで来た。


 彼女の幸せは、みんなが幸せでいること。

 今まで関わった、優しかった人たち、友達になってくれた人たち、着いてきてくれた人たち……。

 その全てに感謝しているから、だからこそ、自分が彼らを不幸にすることを極度に恐れる。

 自分が消えて、皆が幸せならそれでいい。

 それ以上のことは、もはや求めてはいない。


 サキュバスの幸せは、魔王ちゃんが幸せでいること。

 それは諦めの上での、妥協した偽りの幸せでは無く、魔王ちゃんが本気で本心で、心からの笑顔を見せてくれること。

 そして、そんな彼女の笑顔をすぐ隣に座って見ながら、ちょっとからかいながら一緒に美味しいご飯でも食べられたら、言うことは何もない。

 それがサキュバスにとっての幸せの形だ。


 諦めの上での幸せと、妥協のない幸せ。

 そのどちらも幸せであることに変わりはない。

 前者はより現実的で、後者はより夢見がち。

 ただそれだけの違いでしかない。


「それでも私は夢を見るッ!!!」


 罪の魔法を斬り伏せ、夢の刃は彼女のすぐ喉元まで迫る。


「現実はそんなに甘くないよッ!!!」


 夢の刃を躱し、罪の魔法が激しく襲いかかる。


「どうして諦めるの!? 私の夢は魔王ちゃんがくれたものなんだよ!? 魔王ちゃんが! つまらなかった私の人生に、彩りを与えてくれた!! それなのに、なんで魔王ちゃんはそうやって自分を卑下して、大切なものを捨てて、夢を諦めるの!? 私はただ、魔王ちゃんに同じ夢を見て欲しいだけなのにッ!!!」


「それがどれだけ高望みなことなのか、サキュバスちゃんは分かってない……!!! 私がどれだけのものを背負ってきたのか、どれだけの理不尽と戦ってきたのかサキュバスちゃんは分かってくれない!!! それなのに、無責任なこと言わないでよ!!! 私は私に出来ることを全部やった!!! だから、ここで失敗するわけにはいかないのッ!!!」


 魔王ちゃんはサキュバスの言葉に、目の端に涙を浮かべる。

 彼女は何も分かってない。


(諦めてなんかないよ……ただ、一番いい落としどころが、これってだけで……。ここまで辿り着くのがどれだけ難しくて、過酷なのか、思い出しただけでも吐き気がするよ……。それでも、私はやったんだ。やり遂げたんだ!! それを、何も知らないサキュバスちゃんなんかに否定なんてされたくないッ!!!!)


 魔王ちゃんの猛攻にサキュバスは刃を翻し、左右の剣で巧みに防御しながら間合いを取って様子を見る。


 魔王ちゃんの言葉にサキュバスは奥歯を噛み絞める。

 彼女は何も分かってない。


(私はずっと一人だった。何も面白くなかった。世界の全てがどうでもよかった。それなのに、勝手に私の人生に土足で踏み込んできて、勝手に滅茶苦茶にして、楽しくして、面白くして、こんなとこまで頑張らせたのは魔王ちゃんでしょッ!!! 私は本来、こんなに頑張るタイプじゃないのに、魔王ちゃんのせいで、私はこんなところまで来ちゃったんだ……。だから……無責任なのは魔王ちゃんのほうだよ!! 私だけ本気にさせて……こんな最低な奴に、私の人生は滅茶苦茶にされたんだッ!!!!)


 間合いを掴んだサキュバスが剣を閃かせ、全ての魔法を回避しネメスの目の前へと迫る。


「ッ!!!!!!!!」


「はぁあああッ!!!!」


 ネメスが咄嗟に生成した聖剣を弾き、続く刃が彼女の髪を掠める。


「ッ! ――!!」


「破戒式!!!!」


 地面から表出したドリルの群れが発光し、サキュバスは即座に跳ねる。

 爆風が魔王を隠し、サキュバスはヴァルキヤで敵意の位置を探る。


 空中で発生した無数の雷撃を身を捻って回避し、サキュバスは着地地点から最速で魔王ちゃんへと斬りかかる。

 想定外のサキュバスの軌道に息を飲んだ魔王ちゃんは青き炎によって行く手を遮り、自分の想定していたルートへとサキュバスを誘い込む。

 しかし、乗らない。


「イライラするなぁ……。私の考えなら全部分かってますよ~みたいなその態度!! ほんっとうにイライラするよ!!!」


「そっちこそ、全部いいなりになると思って舐めてるその態度!!!! 私が優しいからって、好き放題やって、それで許されるとでも思ってるの!?」


 サキュバスは敢えてネメスの誘いに応じ、ネメスはその行動に気を奪われる。

 罠? ブラフ?

 このまま攻撃すれば、逆にサキュバスの誘いに乗ることになる?

 次の動きは? 予想されるサキュバスの反撃の軌道は?


「……ッ!!! これで!!!!」


 魔王ちゃんのでたらめな攻撃にサキュバスは咄嗟に身を捩り、地面に転がって体勢を立て直す。


「はぁ……はぁ……」


「…………くそ」


 魔王ちゃんは破戒式を周囲に現出させ、サキュバスは刀身の埃を拭う。


「この世界の戒律(ルール)は、魔王ちゃんが壊し尽くすんじゃないの……。それなのに、妥協点探るとか……本当にダサいよ……」


「命令に従うだけの人に言われたくない……」


「今こうして逆らってるでしょ!!」


「屁理屈ばっかり!!」


「それは魔王ちゃんのほうでしょ!? 私はいつも夢ばかり見てるよ!! 現実みて、ロジックで解決しようとするのはいつも魔王ちゃんのほうでしょ!? その悪い癖が、この肝心な時に最悪の形で表出してるから、私がこうして、わざわざ、こんな場所まで、来てあげてるんだよ!?」


「……ッ! 私はサキュバスちゃんを幸せにしようとしてるのに……」


「私の幸せを勝手に決めないで……。私は、魔王ちゃんがいないと嫌なの!!」


「依存気質のストーカー! こんなところまで来るとか信じられない……」


「な……魔王ちゃんこそ! メンヘラクソ女!! 病むなら病むで自分の部屋で病め! 世界を巻き込むな!!」


「病んでない! ちゃんと前向きに進んでるでしょ!?」


「前向いてないよ!! 斜に構えてるって言うんだよそういうの!!」


「ッ!! この――!!」


「……っ!!」


 魔王ちゃんは魔法を使わず直接聖剣で斬りかかる。

 その予想外の一撃にサキュバスは同様し、真正面からその刃と鍔競りあう。


「サキュバスちゃん……本当にいい加減にしてほしいよ。サキュバスちゃんは他の誰よりもよく分かってるでしょ? 私は全然明るくないし、元気じゃないし、本当はこんなに歪んでて卑屈で面倒臭い子だって……だったら、もういいじゃん……。はやく見捨てて、終わりにしてよ……!」


「……ッ!! なんでそこまで分かってて、肝心なところが分からないの……? そうだよ、私は魔王ちゃんが本当に面倒臭くて、どうしようもない子だって知ってる! それでもここまで着いて来たでしょ? 私はそんな駄目なところも含めて魔王ちゃんが好きなの……! どうしようもなく、説明が出来ないくらいに、好きなの!!」


 互いの剣を押し付け合い、ギリギリと軋む刃に歯軋りをする。


「最初にサキュバスちゃんに声かけたの、本当に失敗だったよ……。こんなとこまで邪魔されるなんて、思ってなかった……」


「私こそ、魔王ちゃんが声を掛けてこなかったらよかった……。こんなに手を焼いて、それでも気持ちが伝わらないなんて、本当に最悪……」


 刃が爆ぜ、互いの一撃が火花を散らす。

 魔法が光り、剣筋が冴え、一撃と一撃が互いを殺す。

 自らの思いをその一撃に乗せて、二人は殺しあう。


(サキュバスちゃんなんかに会わなければ……ッ!!!)


(魔王ちゃんなんかに会わなければ……ッ!!!!)


 こんな思い、しなくて済んだのに…………。


「はぁあああ!!!!!!!!!!」


「がぁあああッ!!!!!!!!!」


 サキュバスのレイピアが魔王ちゃんの腹を裂き、胸を抉り、首筋を貫く。

 魔王ちゃんの聖剣がサキュバスを貫き、そこに青き炎が揺らめいた。


「これで……終わりだ!!!!!!!!!!!」


 互いの刃をそのまま斬り抜き……

 魔王ちゃんの首筋から、鮮血が迸る。

 溢れ出た青き炎が、サキュバスを飲み込む。


 赤と青が爆ぜ、魔王ちゃんは地面に膝を着いた。

 身体中から吹き出る血を押さえ、聖剣を握り締め……。


「サキュバスちゃん、私も……好きだよ。だけど、今回ばかりは応えられない……」


 青き炎が焼失し、それから魔王ちゃんは血だらけのまま立ち上がる。

 ここにはありったけの魔力がある。回復するのは容易いことだ。


 だけど、どうしても、この傷を治す気にはなれなかった。


「サキュバスちゃんが付けたこの傷、せめてこれだけは、最期まで持って行ってあげるよ……。それで、許してほしい……」


 魔王ちゃんは赤く濡れた足跡を残しながら、真っ白な空白の中を進んでいく。

 風魔シルフィ、勇者シアン、夢魔サキュバス……。

 立ちはだかる敵は、全て片付けた。


「みんな、どうしてそこまでして止めようとしたのかな……」


 罪を司る、全ての生命の敵。

 それが自分だったはずなのに。


「私、思ったより、凄く、愛されてたんだね……」


 自分を消させないために、自分に挑んで来たみんなのことを想い……。


「これで、全部終わるから……」


 最後の魔法が、空白を引き裂いた。

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『Mephisto-Walzer』

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