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罪と風

「ここは……」


 魔王ネメスに連れられ、シルフィは見覚えのある土地へとやって来た。


 そこはかつて魔王ネメスが自らの居城とした土地。

 そして、人と魔を結び、この世界に対して宣戦布告を行った土地でもある。


「キュピス諸島……。なるほど、そういうことか……」


 シルフィは鬱蒼とした森林の中、魔王ネメスに続き、かつての魔王城へと辿り着く。


 魔王城は同時に二つ以上存在することが出来ない。

 現在、魔王ネメスの城はネヴィリオ近辺の砂漠の中にある。

 だからこの城は今では全ての魔力を失い廃墟となっている。


 二人はもぬけの殻となった廃城の中を進み、その最奥、かつて王の間とされた一室へと踏み込んだ。

 銀翼竜と戦い、剣の亡者を越え、勇者シアンを迎え撃ったこの城に、魔王ネメスは帰ってきた。


 懐かしい一室の壁を撫でながら、奥の座へと進む魔王ネメスの後ろ姿に、シルフィは問うた。


「君にとっては想い出深い場所だろうが……ここに戻って来た理由は感傷に浸るためではないのだろう?」


 シルフィの問いに、ネメスは赤い瞳をすっと向け、何も言わず玉座の前に立った。

 埃を被った椅子を触り、彼女はふっと微笑む。

 それに対しシルフィは続ける。


「私は長らく、君に見つからないように、細心の注意を払いつつ死々繰の研究を続けてきた。しかし君がこのキュピス諸島に降り立ったその時から、運命の歯車は狂い出した……。そうだな、ここキュピス諸島は魔力の潮流の激しい一帯だ。人族の目に付きにくく、しかも高位魔族が住むにも不便過ぎる。なにより……」


「ここは絶対に必要な場所だよね。私にも……シルフィちゃんにも……」


 ネメスの答えにシルフィは息を呑む。

 自らの予想が概ね的中していたから。


「この世界の残された土地全てを、"一つの魔法陣で"囲い込もうとすると、どうしても、絶対に通らなくてはならないポイントが幾つか発生する。魔力流動の向き、地形的な問題、どちらのテリトリーに分類されるか、向こう数年の間は青き炎に飲まれないか……その全ての条件をくぐり抜ける土地は必然的に……」


 赤く透き通った瞳がシルフィを見据え、濁りきった赤い瞳がネメスを見据える。

 シルフィは聖剣を撫で、魔王ネメスに問う。


「私は今の今まで、君の目的は青き炎を押し戻すことにあると思っていた。反転術式により青き炎を退け、再演術式によって消失した領域を再生する……君の持ついくつかの原始魔法を利用すれば、原理的にはそれも可能だろう? だが、どういうわけだか、君の行動はどうにもそこに繋がっているようには見えない。君の目的は何だ……? いや……そもそも……」


 シルフィは持っていた本をぎゅっと握りしめ、魔王ネメスを睨むように見据えて言った。


「君は、誰だ……? 一体何を司る魔物だ、君は……」


 風を司るシルフィ、

 大地を司るノーム、

 水を司るウンディーネ、

 夢を司るサキュバス……


 この世界における高位魔族には、それぞれが物質や事象(エレメント)を司っている。

 しかし、魔王ネメスが何を司る存在であるのかはシルフィもシアンも、サキュバスでさえも知りはしない。


 ネメスは玉座に腰を下ろし、にこりと笑った。


「私が司るエレメントは"罪"だよ。シルフィちゃん」


「罪だと……?」


 シルフィの問いに、ネメスは続ける。


「人族も魔族も、常に何かを食い物にして生きている……。食べるために家畜を殺して、毛皮や装飾のために狩りをして、農耕のために森を拓き、他人を蹴落として地位を手に入れ、敵を殺して仲間を守る……」


 魔王は玉座から、滔々と流れる小川の清流のように、自らの存在そのものについて淀みなく語っていく。


「みんな、ただ生きてるだけで、他の誰かを犠牲にしている。そういう残酷さが私たちの中に、誰にでも備わっている。誰かの笑顔の奥には、それ以上に多くの無数の嘆きや苦しみが影を潜めているんだよ……。私はそうした、生きているだけで蓄積していく、"罪"を司る魔物……。言い換えれば、それは"希望"であり、"進歩"であり、"生きることそのもの"とも言えるかもしれない……。それと同時に、"憎しみ"や"悲しみ"や"恐れ"でもある」


 だからこそ、魔王ネメスはそのすべてを体現する。


「聖剣レーゼンアグニ。人族の希望にして、魔族の絶望。多くの命を絶ち、悲しみを築き上げる"罪"とも言える存在。だからこそ、私はこの聖剣を自ら創ることが出来る。十分な魔力さえあればね」


「なるほど……魔力を罪に変換する機構。それが君の正体というわけだ」


「そうだね。でもあなただってそうでしょう? 魔力を風に変える機構。ウンディーネちゃんは水に、ノームは土に。私だって同じだよ」


「そうは思えない。君のそれはあまりにも重すぎる。まるで……」


 魔力さえあれば何だって出来ると言っているようなものだ。

 そう言い切る前にネメスは手を振ってシルフィを遮る。


「残念だけど、私はシルフィちゃんが思っているほど便利な機構(もの)じゃないよ。青き炎を完全に消し去ることも、聖剣を破壊することもできない。シルフィちゃんに渡したそれだって、機能を限定的に再現したレプリカにすぎない。あくまで、私は自分が持っている魔力量に応じた奇跡(つみ)を引き起こすだけ。そして、私が持てる魔力量も大した量じゃないんだよ。せいぜい、パルパ半島で勇者ちゃん相手に使ったくらいが限界値かな? それか、その剣を作るくらいがギリギリだね」


 聖剣を指さす魔王にシルフィは肩を竦めて言う。


「つまり、君はこの世界では紛れもなく最強の魔物だけれど、世界を救うにも、滅ぼすにも足る存在ではないというわけだ……。だからこそ策を弄して、自らを弱者と偽ることで計画を進める必要があった。そして、その計画の最後に私の力が必要というわけか」


「そういうことだね」


 魔王ネメスの解答をシルフィは鼻で笑い、聖剣レーゼンアグニを打ち捨てて答えた。


「なるほど、おかげで目が覚めたよ。魔王ネメス」


「……それはどういうことかな?」


 玉座に腰を掛けた魔族の王を見上げる。


 腰まで伸ばした黒い長髪に赤い瞳。

 羊のように巻いた角は煌々と黒く艶めき、白い柔肌と幼い顔立ちがその禍々しい角をより異質に引き立てている。


 罪を司る魔物、魔王ネメス。

 それを前にして、シルフィは自らの持っていた本から一節を引用して言う。


「"無い者にも()の中に風があり、在る者には崩壊と不足しかない。ないかと思えばすべてがあり、あるかと見ればすべてがない"」


 本を閉じ、無謀にも魔族の王を前にして、彼女は自らの身に風を纏う。


「私には何もない。大切な人を失った。その人が守ったものも失った。希望を失った。失った者を追ってここまで来た。絶望と憎悪に溺れ、炎に風を送り、この世の全てを道ずれにしようと考えた。今でもその考えに変わりはない」


 だからこそ……


「お前の甘言に乗って、危うく私の計画に泥を塗るところだった。私はあくまで、()()()()()()()()()()()この世界を葬りたい! なぜなら、()()()()()()()()()()()……! お前の計画の最後の1ピースとなって果てる? 冗談じゃない!! 私はそんなことのためにここまでやってきたわけじゃない……。たとえ、お前の提案に乗ればもう一度彼女に会えるとしても!!」


 突風が荒れ狂い、濁りきった赤い瞳が邪悪に歪む。


「この世界を終わらせるのに、私とシルフィ以外の不純物は……誰も必要ない!! ()()()()()()()!!」


 シルフィは、自らの掌にたったひとつ残された、すべてを感じ取る。


「無い者にも、()の中に風がある……」


 その風は、彼女が残してくれた風だ。


 風に重さはない。

 だけどこの風には、今まで二人が積み重ねてきたすべてがある。


「魔王ネメスッッッッッ!!!!!!!!!!」


 無い者は挑む。

 すべてを持つ者に。

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『Mephisto-Walzer』

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