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折れたレイピア

 翌朝。

 ネメス、サキュバス、ウンディーネはネヴィリオの町から北の方角へと向かっていた。


 蒼く澄んだ綺麗な空の下で、世界は煌々と青く燃えている。

 砂漠の砂は燃えた場所から消えていき、ネヴィリオの町も、徐々に徐々にその姿を消失していく。

 シルフィの術式が世界を滅ぼし尽くすまで、恐らくはあと一週間もかからないだろう。


 仮に世界を救えたとしても、失ったものは元には戻らない。


(私たちは……もう取り返しのつかないところまで来ちゃったんだ……)


 サキュバスは炎の中を歩き、終焉へと向かう世界の中で額の汗を拭った。


 息を切らせて砂丘を登るウンディーネに手を貸し、その砂の丘の頂上へと登り切る。

 眼下に見下ろす景色は、広漠とした一面の砂の中に埋もれた、微かな廃墟の群れだった。


 先に進んでいたネメスが術式を発動したのを見ると、二人はただ静かに息を飲む。


「ここが、女神ちゃんの住んでいた村……」


 風化した瓦礫の中に取り残された、僅かな生活の残り香……。

 それはもはや誰も知らない、誰も憶えていない、誰も必要としない、"想い出の死骸"。


 その死体を優しく撫で、墓守は姿を現す。


「思ったよりも遅かったな。魔王ネメス」


 触れれば割れそうなほどに白く細い四肢、柔らかく風に踊る柔らかい髪、この世の全てに絶望し濁りきった赤い瞳……。

 亡き人の身体にもたれて生きるしかなかった、たったひとり、生き残った最後の村人。


 風魔(女神)シルフィ。 

 

「君の配下には過去を覗き見る悪趣味な魔物がいたよね。どうせ私の過去が筒抜けだというのなら、最後に君に、この村を見せたいと思ってね……」


 シルフィは村の入り口まで歩いてくると、そこに薄汚れた椅子を置き、腰を下ろした。


「だから自分から居場所を明かしたの……?」


「世界は終わる。もう誰にも止められない。それなら、もう隠す必要もないだろう?」


 シルフィはふっと微笑み、ネメスは何も言わずにただ彼女の瞳を見据えている。


 昨夜、サキュバスの真我乖離(ヴァルキヤ)がシルフィの精神を捉えた。

 たった一瞬のことではあったけれど、サキュバスは彼女の居場所を把握し、今こうして彼女たちは相見えている。


「この村はシルフィが守った村だ。そして、彼女が死々繰を作った場所でもある」


 シルフィは本を開き、その開かれた頁に視線を落とした。


「ねえ、魔王ネメス……。私は君に問いたいよ。何故、君はそうまでして足掻くんだ? この世は地獄だろう? 生きていても辛いことばかりの世の中だ。それは君自身が、この世界で一番、痛いほどに知っているはずだ。どう足掻いても世界は終わる。何をしたって人と魔物は殺しあう。死んで生きてを繰り返して、君はどうしてこのクソみたいな世界のために戦うんだ?」


 シルフィはネメスを見上げ、歪んだ笑みで続ける。


「"人が己の持つ力を世界のために使うことは、何よりも美しい務めである"。かつては私もそう思っていたよ。だけど、それは違う。結局何をしたって仕方が無かったんだ。この世は"悪意"で出来ている。そうだろう? 魔王ネメス……」


「確かにそうだね」


 ネメスの言葉に、サキュバスとウンディーネは目を見開く。


 ネメスは今まで、この世界を救うために戦って来た。

 どれだけ苦しくても、明るく笑顔で、みんなが呆れながらも着いて来られるような「魔王ちゃん」として振る舞ってきた。


 だけど、今の彼女の言葉はそんな「魔王ちゃん」の言葉ではない。

 冷たく、悲しく、そして……


「まったくもって、女神ちゃんの言うとおりだよ……。はっきり言うよ。私もいい加減絶望してるよ。何をどうやったって酷いことは起きるし、痛いし苦しいし、正直散々だった……。なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのって、ずっとずっと思ってたよ」


 彼女の表情は、どこまでも真っ直ぐで、真剣だった。


「誰かが私の代わりをしてくれないかなっていつも思ってたよ。痛いのは嫌いだし、苦しいのも嫌だし、魔王なんかやめちゃえばこんな目に遭わずに済むのかなって、何度も思ったよ。だけど、私は私のやるべきことを知ってる。それは、"魔王"じゃなきゃ出来ないこと……」


 ネメスは手を前に突き出し、その掌に魔力を輪転させる。

 それはサキュバスたちが今までに見たどの術式とも違う……明らかに「この世のものではない」術式だった。


「最上位破戒式――術具解禁。我が呼びかけに応じよ――」




















 零全火天(レイゼンアグニ)























 刹那、ネメスの掌に集った魔力が、一振りの刃となって輝きを放った。

 それは聖剣。

 人類が魔王を殺すために必要とした究極の剣……。


 その剣を自ら生成した魔王の姿に、シルフィは思わず目を見開いた。


「嘘だ……何故そんなことが……あり得ない……!」


 魔王の手の内で輝く聖剣に、シルフィは呆然と彼女を見上げる。

 それに対しネメスは続けて言った。


「シルフィちゃんはこれが欲しいんだったよね?」


「……っ!」


「あげるよ。私の計画を手伝ってくれればね」


 ネメスの提案にシルフィの瞳は逡巡する。

 今レイゼンアグニを手に入れれば、術式の解析から生成まで考慮に含めても、何とかギリギリで、もう一度だけシルフィに出会えるかもしれない……。


 一度は諦めた悲願を目の前に吊され、シルフィは奥歯を噛む。


「条件は……なんだ? 何をすれば……」


「簡単だよ」


 刹那、ウンディーネはサキュバスに押され、そのまま砂丘を滑り落ちた。


 金属音が爆ぜ、サキュバスのスパークレイピアとネメスのレイゼンアグニがその刀身を削りあう。


「魔王ちゃん! なんで!?」


「ごめんね。サキュバスちゃん……邪魔だから退いてて」


 ネメスのレイゼンアグニがサキュバスのレイピアを叩き折り、立て続けに放たれた魔導波によってサキュバスは砂丘を転がり落ち、ウンディーネがそれを受け止める。

 二人が見上げた先、ネメスはシルフィに聖剣を授け……。


「首都アルカディアの地下にある死々繰……あれを発動して欲しいの」


「うそ……。嘘だよね……魔王ちゃん! そんなことしたら!!」


 無表情でこちらを見下ろす魔王を、サキュバスは涙目で見上げる。


「みんな死んじゃうよ! どうして……どうしてそんなことするの!? 魔王ちゃんはこの世界を救ってくれるんでしょ!? だって私、そのために……」


 シルフィが聖剣を受け取り、その瞬間、地下から強力な魔力の脈動が伝わってくる。

 青き炎が勢いを増し、地面を割って終末が噴き荒れる。


 シルフィの作っていた地下動脈の、最後の死々繰が発動したのだ。


「どうしてって……サキュバスちゃん、私は"魔王"だよ?」


 滅び行く世界の中、サキュバスは、シルフィと共にこの世の終わりを望む最悪の魔物を見上げ、胸を押さえて蹲った。


()()()()()()……それ意外に、何かやることってあるかな?」


 魔王ちゃんはにこりと笑い、それからシルフィと共にその場を後にする。


「酷いよ……なんで、こんな……」


 サキュバスは折れたレイピアを握り締め、目の前で起きている事象を否定する材料を必死になって探した。

 だけど、何も見つかりはしなかった。

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『Mephisto-Walzer』

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