時を惜しめと、乙女たちに告ぐ その一
「シルフィ! 畑への水やり終わりましたよ~!」
「ありがとう。ウンディーネ」
シルフィは読んでいた本を閉じ、そっと微笑み、走ってきたウンディーネの頭を撫でてやる。
ウンディーネは恥ずかしがりながらシルフィの手を払い、その様子を見ていた村人たちは笑い声を上げた。
「もう! 恥ずかしいことしないでください!」
「はは、悪かったね。……ウンディーネがいてくれるお陰で、今年の農作物の収穫量は昨年の倍以上にまで増えたよ。ノームも土を耕すのを手伝ってくれたし、これで今年の冬はみんなで越冬出来そうだ。ありがとう、ウンディーネ」
また撫でようとしてくるシルフィの手を払い、ウンディーネは問う。
「それで……計画のほうはどうなんですか? あの技術さえ実用化されれば、土地を選ばずに効率的な農作が出来るっていうあの……」
ウンディーネの問いにシルフィは少しだけ俯く。
「死々繰計画か。それが思ったよりも難航していてね……魔力流動を内向きに制御するための術式が中々完成しないんだ。役に立てなくて本当にすまない……」
死々繰計画――。
魔力の流動を制御することにより、一定の領域内に規定値以上の魔力を常駐させる技術だ。
この技術が完成すれば荒れ果てた砂漠でさえ豊かな草原となり、世界中の魔力を効率的に利用することで、より少ない土地で、より多くの人々に食物を提供することが出来るようになる。
ウンディーネは両手を振ってシルフィを励ます。
「い、いえ!! シルフィのしようとしていることは凄いです! 領域戦争で滅茶苦茶になってしまった世界で、苦しむ人々のために死々繰計画以上の希望はありません! それに言ってくれたじゃないですか! 食料問題さえ解決出来れば……仮にこの世界の領域が今の半分以下になったとしても、全員が生きたまま避難出来るって!」
「あはは……そう言ってくれるとありがたいよ……」
シルフィが青く澄んだ瞳でそう語っていると、ふと右目だけが赤く変色した。
『いつまでそうしてイチャイチャしている気ですか? これを間近で見せられるこっちの気にもなってほしいものですね……』
シルフィの口がそう語り、彼女は困ったように肩を竦めた。
「悪かったよ、女神さん」
『分かればいいんです分かれば。それに……死々繰で魔力循環系の制御さえ上手く出来れば、私だってこんな同居状態解消出来るんですから、シルフィさんはもっと頑張ってください! 自分の肉体がないことがどんなに不便なことだか分かってないでしょう!?』
「それは君も私も同じ状態なわけで、一つの身体を二人で使う苦労は充分過ぎるくらいに分かっているつもりだけど……」
一人二役で会話するシルフィを前に、ウンディーネはくすりと笑う。
「もうその状態になってから半年ですか」
「身体を貸すのも中々に難儀なものだよ。少し魔力を使っただけで不平不満を溢すんだから」
『だって魔力消費って疲れるじゃないですか! それに、私だって好きで魔族と一緒にいるわけじゃないんですからね!!』
「同居の身でよく言うよ……」
「シルフィが言いそうにないこと言うのは見ててちょっと面白いですけどね」
三人はひとしきり笑い、それから村のほうへと目を向けた。
緑溢れる豊かな畑には健康な野菜たちが今か今かと収穫の時を待っている。
少し横に作られた果樹園には、実もたわわな果物たちが鮮やかに実り甘い香りを放っている。
そしてそのすぐ先に広がるのは、一面の砂漠……。
「死々繰計画……未完成ですらこれだけの威力ですからね……」
半径150メートル。
この円形の植物プラントだけが、この村に住む人々の頼りの綱だ。
絶砂の孤島とでも表現すべきその小さな村の向こうには、オアシスを中心としたいくつかの村々が点在し、その全てがこことは違う人族の村だ。
そして、その先に見えるのは天まで届く青き炎……。
このままの速度であれば、あと十年ほどでこの食料プラントは消滅する。
それでもシルフィたちがより内側へと逃げようとしないのは、世界中で、同じような境遇の人々が外から内への大移動を理由に戦争をしているからだ。
より内側へ、より安全な場所へ、そうして内へ内へと進む中で、食料事情や人口過密を理由に、外の難民を受け入れようとしないテリトリーたちが存在する。
無制限に受け入れていれば、自分たちが飢えて死んでしまうからだ。
この領域戦争は魔族と人族との戦争という単純なものではないのだ。
外のヒトと、内のヒト……同種同士でさえ、未来を巡って殺戮の中にその身を投じなければ生きてはいけない。
この半径150メートルの小さな食料プラントも、今は村人の食料を賄うだけで精一杯だ。
だけど、このテリトリーに戦争はない。
それはシルフィの交わしたある"約束"のお陰だ。
10年以内に死々繰を完成させ、外側の人々をこの村に受け入れる準備を整える。
人族も魔族も関係無く、この先に住む全ての人々を全員助けるのだ。
食料さえ確保出来れば、後のことはどうとでもなる。
技術さえ完成すれば、世界中で再現が出来る。
そうして、少なくともこの領域戦争から、同種同士での戦争だけはなくせるはずなのだ。
それがシルフィが取り組む死々繰計画の全貌……。
「私は素敵だと思います。女神さんもそう思いませんか?」
女神は人族の神だ。
白のテリトリーを残すために、黒のテリトリーを滅ぼす存在。
だけど、この計画は人族にも役立つものだ。
シルフィはしばし手を組み考え込み、それから口を開いてこう言った。
『魔族は嫌いですけど……発想だけは褒めてやってもいいです……』
それを聞き、シルフィとウンディーネは顔を合せて微笑んだ。
「お気に召したようで嬉しいよ」
シルフィは青い炎を眺め呟く。
「"造物主が万物の形を作り出したとき、なぜ彼は閉じ込めたのだろう。滅亡と不足の中に……。せっかく美しい形を壊すのが分からない。もしまた美しくなかったら、それは一体誰の罪なのか"」
シルフィの悲しげな顔に、ウンディーネは小さく聞いた。
「それは、誰の言葉ですか?」
「昔の天才」
そう言って、シルフィは本を抱えたまま家のほうへと歩き出した。
夜がやってくる。
砂漠の夜は寒い。
農作物が枯れないように、今日も死々繰の調整をしなければならない。




