二つの戦い その四
天空が裂けた。
シルフィの太陽レンズは刹那にして解け、その大気の流動が勢いよく直下の水球を両断する。
この瞬間、全ての拮抗が崩れた。
「ノームッッッッッ!!!!!」
「ウンディーネちゃん!!!!」
太陽レンズと制止の魔法陣が消失し、二人の間にあった一切の牽制が失われる。
この一瞬が勝敗を決する分水嶺だと、そこにいた全員が即座にして悟る。
それぞれが各々の最善を発揮し敵将の首を討ちにいくコンマ数秒。
ウンディーネの水塊が崩壊し地上へと降り注ぐのを皮切りに、無数の必殺が繰り広げられた。
シルフィは突風により砂を撒き散らし、ネメス・ウンディーネの視界を奪う。
予備動作からその行動を先読みしていたネメスは下位魔導波により上空へと跳び視界を確保。
ノームの生成した砂腕がネメスへの追撃に走るが、ネメスの生成した火炎剣によりガラス化し破壊される。
舞い散るガラスの中、頭上のネメスに気を取られていたシルフィとノームは、すぐ目の前の相手に気付けずにいた。
それが、彼女たちの敗因。
「……ッ!! シルフィ……!!!」
振り返ったその刹那、突き出された刃。
シルフィを庇ったノームが右腕を裂かれ、続く斬撃を砂化した左手で絡め取る。
「降り注いだ水に紛れて砂中から奇襲を掛けたか……ウンディーネ!!」
しかし敵の刃は絡め取った。
全身を砂化すれば、どこを切られてもダメージは皆無。
「最初の一撃でトドメを刺していれば勝てたのだがな……惜しかったぞ。実に惜しかった!」
「私一人なら、そうでしたね……」
その呟きにノームはハッとする。
絡め取った刃から、水が身体に染みていく。
そして彼女の刺し込んだ刃は見覚えのある、あの夢魔の愛剣と同種のものだ。
地下迷宮でメチル用に改造した、一度の放電に全てを賭けた改造品。
「まさか……お前……!!!」
「水は電気をよく通します」
刹那、スパークレイピア改が爆ぜた。
一撃必殺の「改型」破戒式。
その電流が全身に染みた水を伝い、砂粒の一つ一つを高圧で焼く。
「ぁああああああああ゛あ゛あ゛!!!!!!」
あらゆる臓器、あらゆる細胞、存在する、触れ得る表面積の全てに対して、必殺の一撃が深々と突き刺さる。
地魔ノーム、レベル338――
ウンディーネは右手の崩壊していくレイピアを離し、身体の影から、隠していた左手をゆらりと見せる。
「やめろ……やめろやめろやめてくれぇ……ッ!!!」
煙を吐きながら、一度にレベル400以上を削られたノームは余りの恐怖に絶叫した。
そして、突き立てられた刃から電流が迸る。
染み渡った麗しい水分が残酷な高圧電流を含み、生命の全てを打ち砕いていく。
皮膚が、肉が、骨が、爪が、心臓が、脳が、全てが断末魔を上げて、発狂する。
ニューロンの繋がりが切断され、電気信号が破壊され、神経が焼き切れ……
地魔ノーム、レベル0――
「そんな……この俺が……まだ何も為し得ていない……のに……。まだ、俺の悲願は……!! まだ……!!」
魔力を失い崩壊していく身体。
それを必死に繋ぎ止めながら、ノームは苦しげに藻掻く。
「魔王ネメス……とうとう殺したな……! それも、自らの手ではなく、仲間の手を汚して!!」
「私は魔王。この領域戦争の全ての生き死にの責任を、全ての罪を担う存在。だから、あなたの命も無駄にはしない。私の目的のために……」
「口だけならどうとでも言える……! 畜生! 俺はまだ死にたくない!!」
そう叫ぶノームの横で、シルフィは呟く。
「私の落ち度だ」
激昂しネメスに注意を奪われたシルフィを守らなければノームは死なずに済んだ。
しかし、シルフィは最期までノームに謝罪の言葉は言わなかった。
この死の責任は、計画の首謀者であるシルフィの責任だ。
そして、ノームはシルフィを守るべき主君であると考えたから守った。
だから、シルフィはせめて主君として、謝罪よりも、忠僕への報償を与えるほうを選ぶ。
「ありがとう、ノーム」
ノームはその言葉に息を呑んだ。
そして、彼女の差し出した手を取った。
「君は死ぬんじゃない。風になって、還るんだ。その風を私が運ぶ。君の行きたいところまで。私たちの目指した場所へと」
崩れゆくノームは、それを聞き、安心したように微笑んだ。
「あとは任せたぞ……俺は先に、アイツの待つ場所に行く……。シルフィの、いる場所に……」
「ああ、そうしてくれ……」
ノームは完全に消滅し、その魔力は風になって砂漠の地平へと溶けていった。
シルフィは顔を上げ、ウンディーネのほうを見た。
覚悟は既に決めていたといった風貌で、ただ、何も言わずこちらを見据えている。
それから魔王ネメスへと視線を移す。
黒い髪が風邪に揺れ、赤い瞳が煌々と輝いている。
無策で挑むにはあまりにも無謀な相手だ。
シルフィは彼女の言葉に怒りに駆られ、正気を失い、早まった行動で仲間を失ったばかりだ。
この状況、魔王ネメスに勝てる要素はどこにもない。
太陽レンズは無効化され、純粋な魔力量でも敵わず、死々繰の魔物は魔力徴収の恐れがあるため迂闊に使えない。
八方塞がりだ。
だけど、今までの積み重ねは無駄じゃない。
「魔王ネメス……今回は私の負けだ。だが、私の本領は正面切っての戦闘ではないからね……」
その刹那、地響きが世界を覆い尽くす。
地面に亀裂が走り、淡い紫色の光が漏れ出てくる。
「レイゼンアグニが無いのが惜しいが……ノームを失った今、私にはこうするしか他に道は無い……」
異常な魔力の奔流にウンディーネは辺りを見回し、シルフィのほうへと叫ぶ。
「シルフィ……一体何をするつもりなの!? こんなの聞かされてない!!」
「そこの魔王と同じさ。言えば情報が漏れる可能性があるからね……」
シルフィは風に溶け、上空へと昇る。
それからネメスたちを眼下に見下ろし声高々に宣言した。
「私はこの世界の全てを焼き尽くす……! 悲しみも、苦しみも、別れも、死も病も争いも……全てをまとめて焼却する……!! そのために、この世の輪廻よ!! 全ての死々繰よ!!! このくだらない、残酷な世界を破壊せよッ!!」
青い炎が地を割って噴出する。
聖剣レーゼンアグニの原始魔法は、地上界図を焼く"青き炎"と同質のものだ。
この世界において、魔法とはルールに干渉するもの。
傷の状態を逆行させ元の状態へと治癒し、無から炎を出し、水を育む。
このどれも自然界では起きえない奇跡。
であれば、無から青き炎を生み出す魔法だって作り出せる筈……。
「魔王ちゃん……これ……」
怯えるウンディーネに、ネメスは答える。
「生贄だね……」
世界規模の強力な魔法陣……。
しかし、これだけの魔力を集めるのは並大抵のことじゃない。
「魔法陣に沿って魔力を効率的に配置するために、死々繰を使って魔力タンク代わりの魔物を作って配置していた……そういうことだね?」
「正解だ」
風魔の言葉に、ネメスは何も言わず、崩壊を始めたこの世界を見渡す。
あと一週間もすれば、きっとこの世界は完全に消滅することだろう。
シルフィを見上げ、魔王は語りかける。
「女神ちゃん……あなたがこの世界に絶望するのは分かる。だけど、私はみんなが幸せな世界を作りたいの。だから、あの炎を消して……」
「みんなが幸せな世界だと? ノームを殺しておいてよく言えたものだ。この世界は残酷で満ちあふれている。誰もが罪を背負い、誰もが互いに憎しみ合い、醜く争い、醜く殺しあうだけの世界だ。これをどうやって、みんなが幸せな世界にするんだ? 君はおとぎ話の話でもしているのか? 不可能なんだよ。どんな方法をとっても、この世界は既に憎悪に塗れすぎている。もう沢山殺して、誰もが悲しみを抱えている。もう遅いんだ……」
「だから、私はそれを変えたいの! 今は私だってその中にいる……。誰かを殺さないと生きて行けない世界の中に……。だけど、いつかそんな世界を終わらせたいの……! みんなが笑って暮らせるような世界じゃなきゃ、私は嫌なの!!」
「ダメだ、話にならない……。お前は本当に狂っている。幸せだとか、笑顔だとか、出来ないことを、さもいつかは達成出来るかのように嘯いて、希望だけ抱かせて、この絶望の中で無駄に生きさせ苦しませる。さすがは悪魔の王といったところか……」
「そうだよ。私は魔王だよ。だから、この世界を作った神様に反逆するの」
悪魔というのは人間を誘惑する生き物だ。
より快楽のあるほうへ、より苦痛のないほうへ。
楽しくて、ラクで、より利益のあるほうへと誘導する。
「だから、私を信じてついて来て……!! 絶対に後悔させない!! 私は絶対にみんなを幸せにする!! 一人残らず、全員!! みんなが笑顔で、凄く幸せで……そういう世界を作るためなら……」
ネメスはシルフィを見上げる。
「女神ちゃん……お願い。力を貸して……」
「甘言には惑わされない。滅びの中で、せいぜい足掻け……」
そういって、風魔は風に溶けて消えた。
それを見届けると、ネメスはその場に膝を突いた。
「魔王ちゃん……!?」
苦しそうに胸を押さえるネメスにウンディーネが駆け寄る。
荒い息を整え、ネメスは無理したような顔で微笑んだ。
「あはは……実は私、もう霊核が限界なんだ……」
「限界って……」
「次死んだら、生き返れない」
「そんな……」
心配するウンディーネをよそに、ネメスは立ち上がり、青い炎が吹き出る大地を眺める。
「私はもうそんなに長くない。だけど、この世界だけは……残されたみんなだけは、幸せにしてあげたいから……」
残酷でどこまでも救われない世界だけれど。
この世界も案外捨てたものじゃないことを魔王ちゃんは知っている。
「行こう、ウンディーネちゃん。約束を果たしに」
「約束って……誰との……?」
「もう……忘れちゃったの? キュピス諸島で一緒にしたでしょ?」
それを聞き、ウンディーネはあの時四人がした約束を思い出す。
たしか、あの時魔王ちゃんはこう言っていたはずだ。
『私たちは世界を救う!! 人族も魔族もみんなまとめて、全員笑顔で暮らせる世界を作るんだ!! 青き炎なんかに負けてたまるか!!』
そうだ、今目の前にあるのは、紛れもなくその青い炎なのだ。
ウンディーネはふっと笑い、魔王ちゃんにあの時の言葉で返す。
「青き炎を、私たちの心の炎で燃やし尽くすんでしたね!」
「そういうこと! さあ、そうと決まれば、サキュバスちゃんたちと合流しないとね!!」
「はい……!」
二人は青く焼けていく砂漠の上を、真っ直ぐに、覚悟を持った足取りで進んでいく。
この世界には悪意と憎悪が満ちあふれている。
滅びの絶望を押し付けられ、殺すことを強要され、苦しみと恐怖に怯えながら生きていく世界だ。
だけど、魔王ちゃんは笑顔で進む。
この地獄の中を、誰よりも明るい笑顔で。
その笑顔が、身近な人たちに伝染していくと信じているから。




