第二話
「お前には、遠縁の男爵家当主の養子になってもらう」
あの夜会から数日後、公爵家の屋敷に戻った私にお父様は顔も見ず言った。
「…男爵家、当主……」
「なんだ、不満か」
書類から目も離さないお父様。
不満かどうかなんてどうだっていいくせに。
「殿下との婚約は破棄、傷物でもう貰い手もない。ここまで育ててきたのに恩の一つも返せんとは、無一文で放り出しても良いくらいだ。だがそいつが今回の話を聞いて引き取りたいと言ってな。わざわざ金まで用意してきた。何がしたいのかよく分からんやつだが、真っ当な人間だと良いな」
えぇ、お父様の察している通り、そんな奇特な人物なんて、変態思考の持ち主でしょうね。
きっと平民で暮らした方が良いくらい。
殺されるのは嫌だなぁ。
けれど、人としての尊厳を奪われるのはもっと嫌だ。
「…多大なるご慈悲に感謝いたします」
「うむ。逃げるなどと考えるなよ。金を返さないといけなくなる」
わかっておりますとも。
公爵家とは名ばかりで、お父様が浪費したせいで借金までこさえていますものね。
最後くらい恩をお返しいたします。…といっても、食事と服くらいしか与えられず、愛情なんてまったくなかったけれど。
お父様に伝えられたその日の午後には迎えが来て、荷造りする間も無く、男爵家ーーヴィン・メンデル男爵の家へ向かう馬車へと乗せられた。
迎えの馬車へ乗ろうとすると、中から良い服を着た人が出てきたが、とてもじゃないが男爵家当主のような煌びやかさはなく、それに当主がわざわざ迎えに来ないだろうから執事さんかなと思いながらエスコートを受ける。
「アリア・ロトファールと申します」
「可愛らしいご令嬢だね、アリア嬢。私はヴィン・メンデルと申します」
「ーーー当主様!?」
思わず座った椅子からずり落ちる。
大丈夫かと慌てて当主様が寄ってくるがそれどころじゃない。
「え、うそ、だってお若い…」
「あぁ、はは、よく言われるんだ。お前は若く見えるって。これでも今年で三十二歳だよ?」
私は愕然とした。
ふわふわの茶色い髪に、優しそうに垂れた目尻。
どう見ても二十五歳くらいだ。
しかもなぜご当主様がわざわざ私を迎えに来るのか…。
ヴィン様から差し出された手に重ねると、その手にポタリと水滴が落ちてきた。
「辛かったね…」
苦しそうな声に思わず顔をあげる。
目に映った光景に思わず口がぽかんと開いた。
「あ、ごめんね…、私が泣いても仕方がないよね…。君の友人や、周りの人に話を聞いてね、もう悲しくて…」
ヴィン様はぼろぼろと涙を流していた。
大の男の人がこんな風に泣いているのを初めてみた私は固まってしまった。
なんで?この人は涙を流してくれているの?
もしかして、私のために泣いているの?
「私に引き取られても幸せになれるか分からないけれど、きっと幸せにしてみせるから…もう辛くないからね」
溢れる涙を拭いながら辛そうにそう言ったその人に、邪な気配は微塵もなく。
自分のために涙を流してくれる、
ただそれだけのことで、何もかもどうだっていいと思っていたはずの私は、すごく、救われた気がした。
最初と最後はシリアス?です