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岐路

作者: ユリア


「福島のおばあちゃんが入院して、おじいちゃんが一人でいるから様子を見てきて」


 大学が夏休みに入り、実家に帰省していた僕は、母に頼まれ、中学生の時以来、訪ねていなかった母方の実家を訪ねることにした。


 祖父は、公務員を定年退職後、生まれ故郷に近い現在の場所に土地と家を購入し、広い庭に庭石を置き、様々な種類の庭木を植えて手入れをし、庭の一角の小さい菜園で野菜を育て、一日の終わりに好きな晩酌を嗜む老後を送っていた。


 祖母は、朝決まった時間に起きる祖父に、お茶と自家製の三種類の梅漬けと新聞を出した後、朝食を出すことが一日の始まりであった。若い時から酒好きの祖父に苦労した時もあったが、椎間板ヘルニアや肺炎で何度か入院した祖父を支えてきた。祖母は、それまで一度も病気に罹ったこともなかったが、内臓の一部が癒着したということで初めて入院し、手術を受けていた。


 東北新幹線に乗り、福島に向かった。いくつものトンネルを抜けると、白と青でくっきりと描かれた夏空の下に遠方の山並みに続く緑が鮮やかな森と田園が広がり、浅瀬を流れる川の水は強い日差しを時折反射しキラキラと輝いた。田園の風景が急に街並みに変わって祖父の住む地方都市の駅に着くと、駅前の商店街は毎年恒例の夏祭りの準備をしており、駅前の道路に沿って祭りの飾りつけと様々な屋台が設営されてあった。駅からタクシーで30分ほどで祖父の家に着いた。迎えてくれた祖父の顔は少しやつれているようにも見えたが、久々の僕の訪問をとても喜んでくれた。


 祖父は、いわゆる亭主関白的なところがあり、家事は全て祖母に任せていたので、食事は僕が作るつもりでいたが、祖父の方から、「夕飯を作るから、待っていなさい」と言って台所に行くと、ポークステーキ風の炒めた豚肉とご飯を出してくれ、祖父は、自分の好きな酒の肴を出し、日本酒をちびりちびりと飲み始めた。


 祖母の前では、祖母との出会いなどの自分の過去のことは一切話すことがなかった祖父だったが、祖母が入院して一人で食事をしていると、昔のことが思い出され、「いい機会だから」と言って、僕に話してくれた。


 『岐路』

 

 祖父は、戦前に福島の農家の8人の子どもの末っ子として生まれ、家は大変に貧乏だった。小学校や中学校に通う男子は、足にゲートルを巻くのが校則で決められていたが、祖父は、新しいゲートルを買ってもらえず、父親の古い色がくすんだゲートルを巻いていた。担任の先生から、他の生徒と同じ色のゲートルにしなさいといつも注意されていた。

 

 祖父の家は、学校から遠く離れていて、通常の道を通って通学すると相当に時間が掛かるため、道のない野山を横切って通学していたが、天気によっては服が汚れる時もあり、担任の先生から度々注意されることもあった。担任の先生の家も学校から遠くに離れていたが、通常の道を自転車に乗って通っていたと、少し悔しそうな表情で僕に話してくれた。


 日本が欧米列国に宣戦布告をして第2次世界大戦が始まると、祖父のもとに召集令状が届き、祖父は新兵の訓練所に配属された。新兵の訓練所では、先輩の兵隊による虐めが待っていた。


 昼間の新兵の訓練を終えて宿舎で就寝すると、真夜中に祖父は先輩の兵隊達に叩き起こされた。バケツを手渡され、外にある用水桶から水を汲んで来いと命令された。祖父が外に出て、用水桶を見ると、季節が真冬で水は完全に凍っていた。祖父は、空のバケツを持って宿舎に戻ると、先輩の兵隊達に殴られた。これが毎晩のように繰り返された。ある夜、先輩の兵隊に命令されて、水を汲めないとわかっている用水桶の所に行くと、夜空に煌々とした月があり、急に故郷の母が思い出され、凍った用水桶の前で何時間も泣いたこともあった。


 日本の敗戦後に連合軍の捕虜となった祖父は、生き残った他の兵隊と共に東南アジアの捕虜収容所に収容され、欧米列国の東南アジア地域の開発のための使い捨ての労働力として各地に移送され、病気で亡くなる兵隊も少なくなかった。


 捕虜となった大勢の日本の兵隊を乗せた船が、次の労働地域に向かう途中の船上で、労働に使える者と労働に使えない者の選別が行われた。労働に使える者は、次の収容所に移送され、日本に帰れずに病気で亡くなる可能性が高くなる。この選別は、インド人の兵隊が監視する中で、日本人の軍医によって行われた。選別が祖父の番になって軍医の前に行くと、軍医は祖父の顔を注視した後、「テーベー(結核)」と大きい声を発した。監視していたインド人の兵隊は、それを聞くと「テーベー!」と言って一瞬後ずさりした。祖父は、その時結核ではなかったが、軍医の一言で日本に送られることが決定された。祖父は、その軍医の名前を今まで忘れることはなかった。


 祖父が乗った船が日本に近づくと、最初に見えたのが富士山だった。その姿が美しく、数年前に離れた日本にようやく帰れたと思ったが、船が港に入り、上陸すると富士山の美しさとは真逆の光景が広がっていた。街は一面が焼け野原で、街の人は焼け残ったものを組み立てたバラックに住んでいた。

 

 列車に乗れる所を探して焼け跡の中の道を歩いていると、道の直ぐ横にあったトタン板が押し上げられ、そのトタン板を屋根代わりにしていた穴の中から、顔が黒く煤けて髪がボサボサになった女性と2人の子どもが出てきた。その女性は、祖父の足元に跪くと、「兵隊さん、食べ物をください」と言った。

 祖父は、日本に帰れることが決まってから、故郷の母へのお土産にしようと、手に入った米を少しずつ使用していない靴下の中に貯めていた。それを女性に差し出すと奪うように穴の中に持ち去り、トタン板が閉じられた。


 数日後、祖父は福島の実家に帰ることができた。最初に会ったのは、家の外にいた祖父の母だったが、祖父は戦死したと伝えられていて、祖父の母は幽霊が現れたと思って非常に驚き、言葉が出て来なかったそうである。


 祖父は、その後公務員となり、隣の町の役場に偶々短期間だけ受付の仕事をしていた祖母を見初め、結婚を申し込んだ。



    ~~~


 翌日、祖父と一緒に祖母が入院している病院を訪ねた。

 婦人病棟の談話室で待っていると、寝巻きの上に半袖の半纏を羽織った祖母が笑顔で現れた。数日で退院できるそうである。


                了




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― 新着の感想 ―
[良い点] 描写に妥協がないので、盆休みという時期がわかります。夏と戦争というリアルが現代によく関連付けられている点。 [気になる点] 登場人物の細かな描写に妥協がある点。 [一言] 全体としてさわや…
2021/07/04 09:03 退会済み
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