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異世界から来た悪役令嬢は筋肉だけを信じてる

作者: moguta

右腕が、肩が、千切れるように痛い。土を掴む左手の爪がゆっくりはがれていく感触。


「奈々子!今助けてやるからな!」


お兄ちゃんは降りしきる雨の中、私の腕を必死に掴んで離すまいとしている。

私、このまま死ぬのかな。崖際につかまっていた私はふと下を見る。

そこはまるで恐ろしい化け物のように暗く静かな闇が広がっていた。

私は恐怖に耐えきれず、崖を掴んでいた左手を離してしまう。


「奈々子!!」


左手が滑った瞬間、落下していく身体。

私の腕をつかむお兄ちゃんの手が、手首へ向かって滑っていく。

お兄ちゃんは慌てて崖から身を乗り出すようにして私を持ち上げようとする。


「奈々子、俺の身体につかまるんだ!」

私はパニックになっていた。だから必死になってお兄ちゃんの差し出した手を掴んで、そしてーーーーー


「ーーーっお兄ちゃん!危ない!」


ゴロゴロと獣の唸り声のような恐ろしい地響きの音。

お兄ちゃんの下の崖が崩れて、それから私たちは暗闇に放り出される。


「大丈夫だ、俺が助けてやる、絶対に」


最期に効いたのは、私を抱きしめて落下するお兄ちゃんの優しい声だった。






「お兄ちゃん!!!」


はっとして目を覚ます。お兄ちゃんは?私は一体どうなったの?ここは一体ーーーーーと混乱していると


「お兄ちゃん、なんてまるで昔に戻ったみたいだね、ローゼリア。」


くすくすと笑う声にはっとする。冷え切った手の感覚が戻ってきて、冷や汗が引いていく。

そうだ、私は今はローゼリアなんだわ。


私、ローゼリアはいわゆる乙女ゲームに転生した悪役令嬢である。

わがまま放題で屋敷中の人間を困らせていた私は、その日も大好きなお兄様部屋でお話をしていた。

お兄様は病弱でベッドから起き上がれることもめったにないというのに、わがままなローゼリアはいつも兄の侍医の目を盗んで部屋を訪れてはお話をねだっていた。

そしていつものようにお話をしているうちに、お兄様のベッドのそばで居眠りしてしまった私は、夢の中で前世を思い出したのだった。


「ご、ごめんなさいお兄様。わたくし、少し動揺してましたわ。」

「おや、すごい汗じゃないか。怖い夢でも見たのかい?」


お兄様はベッドから身を乗り出して、私の額を拭うように手を差し伸べる。


「大丈夫だ。」


大丈夫だーーー俺が助けてやる、絶対に。夢で見たお兄ちゃんの声とお兄様の声が重なりはっとして顔を上げる。


「お兄ちゃんが楽しい話をしてあげるから、怖い夢のことは忘れよう。」


そう言ってほほ笑んだお兄様の顔は、前世のお兄ちゃんの顔にとてもそっくりでーーーー

思わず大泣きしてしまった私は、兄をひどく慌てさせ、そして何事かと様子を見に来た侍医に部屋にいるところを見つかってひどく叱られるのであった。





筋力が足りない、と私は思った。


私の転生した乙女ゲーは国と国が争う過酷な環境で、庶民である主人公のリーシャが王族や貴族と恋に落ちるという話だ。

ルマース王国の貴族の娘であるローザリアは、敵国であるリガリア帝国に弱みを握られてしまう。

リガリア帝国は強大な軍事力を持つ国で、一方ルマース王国は魔術国家として名を馳せていたものの、ここ数十年は魔力の中核を担う『聖女』の誕生がぱったりと途絶えてしまい衰退の一途をたどっていた。

そんな中、ローザリアはスパイとしてリガリア帝国に協力して国を貶め、自分だけが助かろうとするのだがーーーーここで庶民である主人公が実は『聖女』であると発覚する。

ルマース王国では通常、子供の誕生に際してその子の魔力を鑑定し、そして聖女の素質があるかどうかを見極める。

ここで聖女になる子は手厚く王家で保護されるはずなのだが、主人公はリガリア帝国のスパイによって母親ともども暗殺されそうになり、王家から追われることとなる。

そして命からがら逃げた森で息絶えた母親が抱えていた赤子を近くの村の人が保護し、育てたのであった。

主人公ーーリーシャには物心がついた時から大事にしているネックレスがあった。どこで手に入れたのかもわからないそれは、王家からの聖女の証であった。

聖女として再び見いだされたリーシャはその魔力によって国を守り、そしてスパイ行為が発覚したローザリアは一家ともども処刑されるのであった。


だから私は筋力が必要だ、と思った。

私には魔術の才能がない。魔力なんてからっきしだから、鍛えられるのはこの身体のみだ。

私に力が、筋力があればスパイなどせずとも敵国からこの身を、家族を、この国を守れるのだ。


思えば、筋力が足りないから私は何もかもを失ってきた。

前世の兄も、私に筋力があればあんなことにはならなかったのだ。

筋力があれば私は一人であの崖を登れたし、兄を巻き込むこともなかった。


「----お兄ちゃん。」


おそらく、今のお兄様と前世のお兄ちゃんは同じ人間なんじゃないかと思う。

話し方も違えばこんなに病弱でもなかったけれど、瓜二つの顔やふとした時に見せる優しさは前世の兄そのものだった。

転生しても私のそばにいてくれることに、私は泣きそうになった。


「お兄ちゃん、今度は私が絶対守ってあげるからね。」


だから、私は強くならなきゃいけない。

泣いている場合じゃないんだ、私はーーーーー私は今から人類最強の女になってやるんだから。





風が、吹いていた。

草を揺らす湿った空気が頬を撫でる感触に暑苦しくていやな気配のする夜だ、とヴィンセント将軍は烏色の黒髪をなびかせる風に身震いをする。

敵軍を迎え撃つ隊を率いて戦地に赴いたものの、一向に相手の気配がしない。

斥候を向かわせたが、そちらも帰ってくる気配がない。

これは、と予感がよぎる。ざわつき肌の泡立つような感覚に隊を引きいったん様子を伺おうかとしたその時。


「て、敵襲ーーー!崖の上から敵が馬で駆け下りてきます!」


崖上に一つ、また一つと灯る赤い炎が見える。それは群れを成してこちらへ猛スピードで向かってくる。

ヴィンセント将軍はそれを慌てて迎え撃つ。襲い来る敵から隊を守るように、青い魔術の炎を纏った剣を振るう。

しかし突然のことに兵たちは対処しきれずにまた一人、また一人と散っていった。


「くっ、旗色が悪い、ここはいったん退却せよ!立て直し、再度ーーーー」

「将軍!後ろにも明かりが見えます!」


はっと兵の言葉に振り返る。すると先ほどまで暗闇だったそこには無数の灯と、そして馬のいななきが聞こえている。


「っ、囲まれたか!」


混乱に陥った軍隊はもはや統率を失い、次々と隊列は瓦解していく。

将軍の奮闘空しく、圧倒的な形成の不利にもはやこれまでと誰もが唇を噛んだ。


その時だった。


ずしり、ずしり。と地響きがする。

戦っていても尚はっきりと感じ取れる地の揺れに、戦場の兵たちは驚き戸惑う。


「な、なんだこの音は!?敵国の兵器か?」

「い、いや待て、敵も動揺をしている!一体何が」


突然、敵軍の間を風が吹きぬけた。

先ほどのようなぬるい風ではない。まるで嵐のように激しい突風だ。

あまりの勢いに思わず将軍は額に手をかざし、目を細めてその風を必死に見極めようとする。

風はうねるように敵軍を駆け抜け、風の通った後には夥しい血が広がっていく。


「あれは・・・敵兵が木っ端みじんになっている・・・?」

「ど、どうなってる!?化け物が出たのか!?」

「いや、あれは・・・・人か?」


よく目を凝らすとそこには二本の足で立つ、ヒトらしきものが見える。

と、敵軍を駆け抜けていた突風は、一帯を蹂躙するとふと方向を変えてこちらへ突進してきた。

一拍遅れてそのことに気づいた兵たちに緊張が走る。

誰もが逃げ出そうとしたが、その風はうなりをあげながら接近しーーーーー隊の最前列にいたヴィンセント将軍の眼前でぴたりと止まった。


「ごめんあそばせ。驚かせてしまったみたいですわね。」


頭上のはるか上からする地鳴りのような声に、将軍ははっとして顔を上げる。


「こちらから騒がしい気配がしたので偵察に来たのですけど、お邪魔でしたかしら。

 わたくし、何にでも首を突っ込んでしまう性質で、よくお兄様にもたしなめられますの。

 どうぞ、お許しくださいませ。」


ずしん、ずしん、と音がして、目の前の巨人が衣服の裾をつまんでこちらへお辞儀した。


「な・・・巨人・・・巨人の女ーーーー?」

「この森には巨人がいるのか!?いやしかし巨人族は遠く北の地にしか存在しないはず・・・」


兵たちの動揺を背に、ヴィンセント将軍は目の前の人物へと話しかける。


「私はルマース王国に遣えるヴィンセント・ヴァルカスという者だ。貴殿の援助、感謝する。

 貴殿は相当の手練れとお見受けする。失礼だが、どちらの軍の者だろうか?」

「あらやだ。お褒めにあずかり光栄ですわ。でもわたくし、軍に属してはいませんのよ。

 ここへもちょっとしたお散歩で立ち寄っただけですし、私はまだ修行中の身。名乗るほどの者でもありませんの。」


そう言って立ち去ろうとした女をヴィンセントは慌てて引き留める。


「ま、待ってくれ!せめて、あなたの名をーーーー」


すると立ち去ろうとした岩のような背がぴたり、と止まって、こちらを振り向く。

月明かりが彼女の上腕二頭筋を、三角筋を、そして彼女の輝くほほえみを照らした。


「わたくしはローザリア。ただのローザリアですわ。ごきげんよう、ヴィンセント将軍。」


ヴィンセント将軍は、その神々しい姿をその夜から忘れることはなかった。




つづかない

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