52話 いつか帰る場所
これは血の匂いなのか……。生臭い匂いがメルザの鼻に届いた。
テラバスのところへ向かうため通路を歩く。手には皿に乗った拳大くらいのパン。テラバスに与える1日の食事である。
「テラバス、今日のご飯よ」
メルザは鉄格子を開け、中に入る。
檻の中にいるテラバスはうつ伏せ状態でぐったりしていた。ジャージから着替えさせられた粗末な奴隷服は破かれ上半身は裸である。体には血が滲み無数の暴行の跡が刻まれていた。
気絶しているのか反応しない彼を起こすため、メルザはしゃがみこむと肩を揺すった。やがて意識が戻り、身動ぎした拍子に見えた顔の傷を見たメルザは、つい舌打ちをした。
「あの馬鹿……。顔は殴るなって言ってるのに……」
一応、顔も売りの1つにするつもりなので、拷問役の男達には殴るなら体だけと言い含めている。
それなのに顔の生傷は絶えなかった。
テラバスも必死の抵抗をしているのだろう。それでも男達になす術なく殴られ続けているところを想像して、メルザはゾクッと震えた。
「……今日は1人だった? 2人だった?」
━━━━1人になぶられたのか、2人がかりで襲われたのか。
楽しそうに聞いてくる質問に対し、うろんな視線が返ってきた。気がついたばかりでぼうっとしているのか、答えらしい答えはテラバスの口から出てこなかった。苦しそうに呼吸をする口元から、赤いものが流れ出る。
「口の中も切ったのね。ご飯食べれる?」
そう言って差し出したのは皿に乗った小さな塊。
逃走する体力と、反抗する気力を削ぐためにギリギリ死なない程度の食料を与えているが、それにより彼の体は少しずつ痩せていた。
これが狙いでもあったが、健康的だった体が失われていく事を、メルザは少し残念に思っていた。
しゃがんだ状態で、メルザは懸命に起き上がろうとするテラバスの裸体をぼうっと見つめた。
あの胸に寄りかかり腕を回されれば、歪んでしまった自分でも愛されている実感を得られるのだろうか……。
急に聞きたくなって、メルザは口を開いた。
「ねぇ……あんた、付き合ってる人とか、好きな人とかいないの?」
「……はあ? 何だ急に……」
予想外の質問に、テラバスは怪訝そうな面持ちになった。
いまいちノッてこない彼を見たメルザは、不機嫌そうに少し頬を膨らませる。
「いいじゃん。ちょっとくらい恋バナに付き合いなさいよ」
己の10代を大人の都合で振り回されたメルザは、まともな「恋」をしてこなかった。いつの間にか1人になってしまい、思い出の大半は苦痛ばかりで、楽しかった事など彼方に消えてしまったのだ。
なので、誰かと楽しい話がしてみたかった。その相手が商品とはいえ恋をした相手なら、少しは気が晴れるだろう。
急にふられる話題に、テラバスは困惑しながら警戒していると、メルザはため息をついた。
「そんなに警戒しなくても、別に何もしないよ。私の興味本位だから。いないのならいいんだけど」
つまらなそうに頬杖をつくメルザ。
そして、長い沈黙の後。
「交際してる人はいないが……」
テラバスは言うか言わないか最後まで悩み、そして━━━━
「仲良くしてる子なら……いる」
名前は出さず、テラバスは答えづらそうに口を開いた。
というのも、完全に付き合っている訳では無いし、彼女に好意を向けているのか……と聞かれても、はっきり答えられる自信が無かったのだ。
正直、あの子は自分にはもったいないと感じていた。
友人として接するのならいくらでもするが、男女交際となると話は別である。彼女には相応しい人が他にいるのではないかと尻込みしてしまうのだ。
だから、一緒に出かける時もあまり意識しないようにしていた。
今の関係を壊したくない。いつ彼女が誰かのものになってもいいように、あくまで友人……友達の1人として接するようにしていた。
色々考えているテラバスを見たメルザは少し悲しそうに俯いた。
「そっか。大事な子がいるのね」
表情とは裏腹にあっさりした返事をし立ち上がると、葵色の長髪と白衣を揺らしながら、この場から離れていく。
何かしてやろうという意志は感じられず、メルザの様子を見るに、本当にただの会話で終わったようだった。
遠ざかるメルザの背中を見送っていく。
途端、鎖を引きずるような……じゃらじゃらという音が響き渡った。まるでメルザの退席が合図かのように、テラバスのもとに訪れる金属音。
その音に、テラバスは顔をひきつらせた。
━━━━そうだ。これが現実だ。
メルザと普通の会話をしても。
一緒に出かけた、可憐な彼女の事を思い出しても。
今の自分は、奴隷に成り下がろうとしている汚れた体をしている。
再び、苦悶と激痛の時間がやってくる。
これに……自分はあと何回、耐えられるのだろう。
テラバスよりも一回り大きい男2人が前に立ち塞がる。足首には鎖がついた枷がつけられている。彼らもまた、メルザに飼われている奴隷だった。その影に覆われながら、テラバスはぐっと握り拳を作った。
絶望はしたが、希望は捨てていない。
幼馴染は……スライプは絶対に来る。どんな状態になろうと、生きているに決まっている。
「ぐぅ…………っ」
ふいに男の1人に腹を蹴飛ばされ、首枷の鎖と共に背中を壁に激しく打ちつける。
四つん這いになりながらテラバスは咳き込み、口の中に広がる嫌な味を感じながら歯を食い縛った。
負けてなんかやらない。
そしてまた、絶対にあの子のところへ帰るのだ。
この更新を最後に、再び不定期に戻ります。申し訳なく思っております。
間隔の目安としては4、5日に1回のペースに戻ります。
出来るだけ早く更新したいと思いますが、1週間間をあけるという事もありますので、見捨てずお付き合いして頂きたいと思います。




