43話 失敗と襲撃
斡旋所を後にしたスライプとテラバスは、2番街の街中をあてもなく彷徨っていた。
魔薬の手掛かりは断たれた。ここにいる理由はもう無い。しかし、すぐに3番街へ帰ろうとは思わなかったのだ。
2人は一切会話をせず、黙々と歩き続けている。スライプが先を歩き、数歩下がった位置でテラバスが後を追っていた。
気まずくて口を開けないという雰囲気では無く、お互い話しかけられないから喋らないという空気で歩を進めている。
ようやく、黒髪の青年が口を開いた。
「……どうして、あの時止めた?」
テラバスは、前を歩く長髪が揺れる背中へ声をかけた。反応したスライプは、緩やかに歩みを止め振り返る。
あの時、というのはエルジーナをさらに問い詰めようとした時、肩に手を置き制止した時だろう。
責めるような鋭い黒瞳とぶつかり、スライプも思わず目を細めた。
「もう、答えは出てた。エルジーナは誰よりも近かったが、僕達より知らなかった……」
エルジーナが持っていた知識は、自分等が持つものとほぼ変わらなかった……。必要以上に追い詰めて怯えさせる訳にもいかないので、スライプは早めに切り上げたのだ。
相談も無くスライプが勝手に下した判断に、テラバスはカッとなって声を荒げた。
「だとしても、まだあったかもしれないだろ!? 何のために……オレは……」
しかし、勢いはすぐに弱まった。
彼から見ればようやく掴みかけた希望。期待が大きかった分、絶望もまた大きかったのだ。
目を見開き、眉尻が下がった……表情に絶望の色を見せるテラバスを見て、何か言いかけるスライプだが、継がれた言葉に阻まれてしまう。
「それに、依頼はどうなる。これでは成功したと言えない……。報酬の支払いは出来ないぞ」
この依頼の主はテラバスである。依頼人が成功と認めなければ、当然シャロライン修理1回無料という報酬は無効となる。
言葉を受けたスライプは、無表情で1度だけ頷いた。
「もちろん、テラバスが納得しなければこの依頼は失敗となる。レイに報告して、それで終わり」
感情を込めず……スライプは淡々と事実を述べる。━━━━そう、これはもう失敗だ。
失敗してしまった事はもちろん悔しいし、報酬が受け取れない事も残念ではある。積み重ねてきた実績にも傷はついてしまうが、今までの成果から見れば掠り傷程度のものなので、それに関してはスライプは特に気にしていなかった。
それより、気にしなければならないのは結果ではなく、彼の気持ちである。こんな結果では彼の気は到底晴れない。
スライプは槍の穂先を上に立て体の右側に抱えると、神妙な面持ちで依頼人を見た。
「難度がどうであれ、事情を知りつつも成果を上げられなかったのは僕の力不足でもある━━━━すまなかった」
そう言って、スライプはテラバスに、頭を下げた。
依頼内容がなんであれ、それを承知した上で受けた依頼であれば責任は請負人にある。今回も例に漏れず、委細を知っておきながらテラバスの依頼を叶えてやれなかったのは自分のせいだと、スライプは謝罪したのだ。
これは、仕事として……請負人としての最低限の礼儀であり、頼ってくれた幼馴染への心からの謝罪だった。
頭を下げ続ける、滅多に見せない素直で真面目で律儀な姿に、少し調子を崩されたテラバスは頭をガシガシと掻いた。
「別に……お前のせいでは無いだろ。オレも悪かったし、賭けが失敗しただけだ。それに、諦める気は無い。いざとなったら本人のところに行ってやるさ」
「バカ。死にに行く気か」
直接サラスティバルのところに行く、と冗談混じりの口調であるがとんでもない事を言い出すテラバスを、同じような軽さで茶化す。
「でも、その時は協力しよう。もちろん依頼うんぬんは抜きでな」
本当はダメなんだけど……と心の中で付け足しながら、スライプは再挑戦を約束した。
「さて、この後はどうする? せっかくだから2番街のデートスポットでも探しとく?」
重々しい空気から一変、普段のゆるふわな青年に戻ったスライプは、軽やかにターンしながら周囲を見渡した。体の動きに合わせて髪やら帯やらが揺れているので、100メートルくらい離れてみれば可憐な女性に…………見える事は無かった。
この地域で出来る事はもう無い。ならばせめて、帰りを待っている者へのお土産を用意してもいいのではないか、とスライプは少し早い歩調でテラバスから離れていってしまう。
仕事からただのお出かけとなり、急に緊張感が消え失せる幼馴染に呆れながらも、テラバスはその後を追っていく。
違和感を覚えはじめたのは、その後だった。
スライプの移動速度が、だんだん早まっていくように感じたのだ。まるで逃げるように、2人の距離が離れていく。
止まる気配を全く見せない幼馴染を不審に思いながら、テラバスは早歩きから駆け足へと変える。
やがて彼我の距離が数十メートルになってしまい、これ以上ははぐれてしまうと思ったテラバスは耐えきれずに叫んだ。
「おい……スライプ! 待てって━━━━」
遠ざかる背中へ、無意識に手を伸ばす。
そして━━━━消えた。
比較的栄えている街中とはいえ田舎なので人通りは少なく、人混みで見失うという事はまず起きないはずなのだが、煙のようにスライプが目の前から消えたのだ。
テラバスは立ち止まり周囲を見渡すが、水色の髪を目印に探したがそれらしい人物は見当たらない。それどころか、不可思議な現象は街中にも現れていた。
誰1人存在していないのだ。自分以外。先ほどまでいた通行人は無く、露店の主すらいなくなっている。
「これは……」
しんと、静まり返った街中に1人佇むテラバスは、狐に摘ままれたような気分になった。
それと同時に沸き上がる胸騒ぎ。
ここにいるのはよくない。速やかに脱出すべきだと、直感が警鐘を鳴らしていた。
テラバスは深呼吸をすると、この状況を打破すべく、1度瞼を下ろした。
数秒後、ゆっくり目が開かれる。しかし、その色は漆黒ではなく、爛々と輝く血のように赤い瞳━━━━
━━━━その刹那。
「おっと、魔眼は禁止だよ」
飄々とした声と共に、視界の端に銀色の閃光が見えた。
「…………っ」
飛んできた物を反射で避けたが、かわしきれなかったのか頬に出来た一筋の傷から血が出てきた。
物体が飛んできた方向を見ると、足元まである真っ黒なローブをまとった人物が立っていた。フードを目深にかぶっているので顔は見えないが、声が高いので女性だという事は判明した。
その始終を見ていた女性は、残念そうにため息をついた。
「潰してあげようかと思ったのに、なんだかんだで目は守るのね」
「……そりゃ物が飛んできたら誰でも避けるだろ」
テラバスは血色が失せた……いつもの漆黒の瞳でローブ姿の女性を睨んだ。眼球が痛みだしたのか、まばたきを繰り返し眉間に皺を寄せている。
「何だお前は。これはお前の仕業か」
「お前って……。ひどいな。女に向かって……。ま、いっか。そろそろ始まる頃でしょうし……」
意味深な台詞に、テラバスはさらに顔をしかめた。どういう事だと詰め寄ろうとすると、目の前に水色髪の青年が出現した。音もなく現れたその姿に、テラバスは目を見張った。
「スライプ! お前どこに行ってたんだ!」
ずっと探していた幼馴染である。テラバスは安堵した表情を浮かべたが、スライプの様子にすぐさま顔を曇らせた。
一言も喋らず、暗い表情で佇んでいるスライプ。いつものゆるふわ感が無いので、体調でも悪いのかと心配しながら1、2歩近づくと、目の前でギラリとした鋭い光が閃いた。
閃光に驚き立ち止まると、スライプの持つ槍の穂先が、テラバスの胸へ向けられていた。
今まで何人も……何体も獲物を葬ってきたであろう鋭利な切っ先を見て、テラバスはぞわりと体温が下がる感覚に襲われた。
「何の、冗談だ……?」
突然の行動に、テラバスは声を震わせながらスライプを見た。スライプは幼馴染に刃を向けるという凶行を何とも思っていないのか、特に表情を変えずに槍を持つ手に力を込めた。
切っ先がジャージを貫通し皮膚にまで届く。ズキリとした痛みがテラバスを襲った。
「待て、待てよ……っ。やめろ……やめてくれ……っ」
急に、異常な不安と焦燥に駆られ、唇をさらに震わせた。
後退りしながら、自身に向けられているスライプの殺意を収めようとする。
「ふっ……くくっ……あっはははははは!!」
幼馴染へ必死に命乞いをする姿が面白くて、女性は堪えきれず声を出して笑った。
「さっき投げたナイフに仕込んでたのは、幻覚と不安感を誘発させる魔薬。……今見えてるんでしょ? 貴方の幼馴染に襲われている幻覚が」
そう、これは全て幻覚。実際のスライプはこことは別の結界にて囚われている。
先ほどテラバスの頬を掠めたのは魔薬を塗り込んだ投げナイフであり、意思に支障をきたさない……幻覚を見せ、不安感を異常に煽る作用を秘めているものである。
頬を掠っただけなのだが、とびきり濃い魔薬を仕込んだからごく少量でも効果抜群である。
「それと、この結界内の魔力濃度も薄くしているから、君の目が見えなくなるのも時間の問題だよ」
女性はとても楽しそうに、戦くテラバスを観察している。
テラバスの視力は、周囲の魔力を消費する事で見えるようになっているので、わざと魔力濃度の薄くさせ、意図的に彼の視力を奪うことが可能なのである。
「ああ……っああぁっ……ああああああああぁ!!」
真実を語る女性の声は、恐慌状態のテラバスには全く届いていない。
魔薬による幼馴染に殺される幻覚と、その恐怖を助長させる不安感。加えて、着々と光を失っていく瞳。次々襲いかかる恐怖に絶叫しながら━━━━テラバスはスライプの凶刃に胸を刺し貫かれた。
それと同時に、テラバスの叫びが止まった。
皮膚を破き、骨を砕き、内臓を抉る感覚を一気に受け、ビクンと1度痙攣する。そして、槍が抜かれ胸から血が噴き出していく様を霞みゆく視界で捉えながら、テラバスは何重にもなった精神的ショックで気絶してしまった。
うつ伏せで倒れたテラバスの体からは、どくどくと血が大量に流れ、体を中心に赤い水溜まりを作っていく。
テラバスが壊れる様をじっと見ていた女性は、動かなくなった彼のもとへ近づいていくと、傍らへしゃがみこみ、黒髪をかきあげるように頭を撫でた。
先ほどの嘲笑とは違い、愛しい者を見るような穏やかな眼差しと口調で語りかけた。
「大丈夫……君が求めているものを見せてあげる。本物のお友達にもちゃんと会わせてあげるから」
しばらく時間がたつと、液体だった血が細かい粒子となり空へ漂うように消えてしまった。
スライプの存在は幻覚なので、刺されたという事実も幻覚となる。よって、テラバスは怪我などしていない。流れている血もリアリティを出すための幻覚である。
本物のスライプは別の結界内にて戦っている。
今はただ、2人を結界で隔てて戦力を削らせてもらっているだけ。
「サラスティバル様にバレたら怒られちゃうでしょうけど、君なら大丈夫だよね」
被害者であるなら、今さら何かを隠す必要は無いのだから。
それに、君はかわいい弟。仲間外れになんか出来ない。ローブ姿の女性は、愛おしそうにテラバスを撫で続ける。
とりあえず、こちらの目的は完了した。後は、あちらの状況がどうなっているか……。
「メルザッ ヘルプ! ヘルプミー!」
唐突に、結界内に男性の声が響いた。切羽詰まっているようで、呼び掛ける声は必死そのものである。
どうやら、別結界でスライプと戦っている仲間からの応援要請のようだ。
せっかく懐かしい、安らかな気分でいたのに……。空気を読まない相方に台無しにされてしまったので、女性は不機嫌さを全面に出した声で応答した。
「はあー? そっちで何とかしなさいよ。そいつの情報は一通りあげてるでしょー」
「いやいや。こいつぁ無理だ。とにかく助けて。なるはやでよろし━━━━」
ふつりと、声が聞こえなくなる。
切れる直前「オラァッ!」という声が聞こえたので、絶賛白兵戦中なのだろう。
別に彼の事はどうでもいいが、理解者であり戦力でもある彼を失う訳にはいかないので、せめて撤退の手助けをしようと立ち上がった。
ローブをまとった女性は、気絶しているテラバスに魔法をかけどこかへ転送すると、自身はスライプがいるもう1つの結界内へ飛んだ。




