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魔女と軍と農家の少年:1

 エルニースの東、首都から遠く離れた田舎の地域。まだ人の手が入っていない鬱蒼とした森の中を、奇妙な二人組が歩いていた。

 一人は、少女と女性の中間といった年齢の、流れるような銀糸の髪と紫色の瞳、均整の取れた顔立ちを持つ美女だ。

 しかし女は、その美貌にまったくそぐわない格好であった。枯草色の野暮ったいコートを着て、パンパンに膨れ上がった、小さな子供なら中に入りそうなほど大きなカバンに様々な調理器具を括りつけて背負い、旅用の飾り気のない、見てわかるほどに丈夫なブーツを履いている。服飾に拘る者が見れば、その有様を嘆くに違いない。

 そしてもう一人は、銀髪の女よりも頭ひとつ低い背丈と華奢な体付きの持ち主である。体躯から少女のように見えるが、確信には至らない。その顔が、大きな帽子に遮られて見えないからだ。

 そう、帽子だ。艶のない真っ黒な生地の、大きなとんがり帽子。その人物の異質さは、銀髪の女とはまったく別種の物であった。

 帽子と同じ生地のローブと、やはり同じ生地のケープ。腰にはローブの上から太い革のベルトを巻き、ベルトの右にカバンを、後ろに分厚い本を、左に細長いガラス瓶を複数差したホルスターを吊っている。

 極めつけは、右手に持った杖だ。身長を超える長さの、歪にねじれた木が複数絡み合ったような、不気味な杖。

 その姿を見れば、誰もが同じ印象を抱くだろう。

 魔女、と。 

「ベルさん、ひとつお願いがあるんですが」

 銀髪の女、カタリナはいかにも上機嫌な様子で、歌うように軽やかに言う。カタリナの一歩前を歩く魔女、ベルカントはすぐさま返した。

「嫌よ」

「まだ何も言ってないのに!」

 カタリナとベルカントの付き合いは短い。精々がまだ十日といったところだ。だがその短い間で、カタリナの「お願い」がベルカントにとってあまり愉快なものではないことを、ベルカントはなんとなく察するようになっていた。

「あ、もしかしてアレですか? 人の心が読めるとか、そういう……」

「そういう魔法はあるけれど、私は使わないわ。心を覗く側も覗かれる側も、良い気分ではないでしょうから」

「はあ。あれ、でしたらなんで?」

「たとえどんな内容であれ、あなたのお願いは聞きたくないだけよ」

「ヒドイ!」

 泣き顔になったカタリナを無視し、ベルカントは歩調を緩めることなく進む。だがカタリナはめげず、すぐに立ち直ってベルカントを追う。

「あのですね! お願いが! あるんですが!」

「……なに?」

 面倒そうに聞き返すベルカント。こうして折れてしまうから調子に乗るのだと彼女もわかってはいたが、しかし無視し続けるにはカタリナはあまりに元気で、そしてうるさかった。

「名前です! 私のこと、名前で呼んでください。あなた、ではなく、ちゃんとカタリナ、って」

「昔、50年の生涯をただ人を救うことだけに費やした聖女の名前ね。その献身は周辺諸国にすら及び、虐殺を厭わないことで有名な敵国の司令官ですら、彼女の生まれた村だけは決して焼くなと部下たちに厳命したそうよ」

「あ、知ってるんですねそのお話。そうです、とても由緒正しい名前なんですよ」

「名付けというものは大変ね。生まれたばかりの赤子が将来どんな人間になるかなんて、誰にもわからないのだもの」

「どういう意味ですか!?」

 再び泣き顔になるカタリナ。ベルカントの歩みは止まらない。

「うう、ベルさん、なんでそんなに名前を呼ぶのが嫌なんですか? 私のこと、嫌いですか?」

「今までの所業を思い出してごらんなさいな。好かれる要素があったかしら?」

「沢山踊ったじゃないですか!」

「え……」

 ベルカントは足を止め、ポカンとして振り向いた。まったく無意識の行動だった。

 天性の芸術家が自身の理想を完璧に表現した人形のような顔が、なんとも人間らしい表情を浮かべていた。それだけでカタリナは嬉しくなり、金色の瞳に笑顔を向ける。

「……あなた、本気で私のために踊っていたの?」

「そうですよ! 踊りを捧げられるなんて、すごいお金持ちとか貴族とか王様とか神様とか、そういう人たちですよ!」

「人ではない者がまざっていたような」

「そんな人たちと同じくらい、私はベルさんを尊敬しているんです! ベルさんは尊敬されるのも嫌いなんですか?」

「そこまで尊敬される心当たりがないのだけれど」

「一目惚れです」

「……」

 ベルカントは可哀想な人を見る目になった。カタリナはそれに気付いた様子はなく、出会いを思い出して頬を赤く染めながら語り続ける。

「初めてベルさんの顔を見たとき、すごく綺麗だと思いました。こんなに綺麗な人が居るんだって、本当に感動して……」

「そう、ありがとう。私はあなたのほうが綺麗だと思うけれどね」

「え!? そ、そんな、私なんて……うぇへへへ……」

 頬に両手を当てて悶えるカタリナを置いて、ベルカントは再び足を動かし始める。

「そ、そう言ってもらえるとすごく嬉しいですけど、でもベルさんの綺麗さは次元が違うというか、なんて言うんでしょう、ってあれ、居ない!? ベルさん? ベルさーん!?」

 カタリナが正気を取り戻した時にはベルカントの姿は既に遠く、木々にほとんど隠れてしまっていた。慌てて全力疾走し、小さな背中を追う。

「待って! 待ってください!」

「……騒がしい人ね」

 呆れを隠そうともせずに言い、ベルカントはその場にしゃがみ込んだ。追いついたカタリナが肩越しに顔を覗き込む。

「ど、どうしたんですか? お腹痛いんですか?」

「いいえ」

 ベルカントの細い手が野草を掴み、引き抜いた。腰のカバンを開け、その中の袋に納め、再び歩き出す。

「?」

「……食料よ」

 カタリナの頭上に疑問符が浮かぶ様を幻視し、ベルカントは問われる前に答えた。

「えっ。食べるんですか? その草?」

 頭上の疑問符がふたつに増えた。

「そうよ」

「魔女の調合する薬の材料とか、そういうのではなく?」

「そういうのではなく、これはただの食料」

「……」

 カタリナの眉の間に、深いシワが浮かび上がった。こいつ何か失礼なことを考えているな、とベルカントは思っ た。

「茹でてアクを抜けば十分食べられるわ」

「え!? いや、思ってませんよ!? ベルさんってもしかして味音痴なのかなーとか、そんなことはこれっぽっちも!」

「別に怒っていないわよ。この国の人がそう思うのは、当然のことだと思うから」

「え?」

 また別の野草を抜きながら言うベルカント。

「この国……というより、この辺りの国々は土が豊かだから、あまり食べ物には困らないでしょう?」

「……」

「それはとても幸福なことよ。そうではない国も沢山あるのだから」

 カタリナとて知らぬわけではない。エルニースとその周辺の国々は作物が良く育ち、それを餌とする家畜も肥えていると。そして土地の痩せた場所では、僅かな農地を巡って戦争が起きることも珍しくないと。この国を出たことがないので、実感はわかなかったが。

 しかし目の前の、真剣な顔で野草を選別する魔女の言葉は、まるで違う重みをもってカタリナに響いた。聞き馴染みのない名前の響きからしても、彼女は少なくとも、遠い異国からここまで来たのだ。

 自分のような小娘よりも若く見えるこの魔女は、その金色の瞳で、どんな世界を見てきたのだろう。その小さな体で、どんな世界を巡ってきたのだろう。

「だから、もし本当に私について来るつもりなら、覚悟しなさい。いずれ食事すら簡単には──」

「はぐっ!」

 カタリナはベルカントの手の中にある、土が付いたままの野草に食らい付いた。

「は!? ちょ、何してるの!? アク抜きしてから食べると──」

「もぐもぐもぐもぐっ!」

 困惑するベルカントを余所に、カタリナは野草を咀嚼する。いまだかつて味わったことのない強烈なえぐみが口内を満たす。思わず吐き出しそうになったが、ギュッと目をつむり、拳を握り締めて耐えた。

「……馬鹿ね。せめて土くらいは取りなさい」

 何を感じ取ったのか、ベルカントは溜め息をひとつ、カタリナの口からはみ出した根っこ部分をつまみ、ちぎり取る。

「もぐ、もぐ、もぐ……ごくんっ……うぇぇ……ま、不味いです……」

「食べなくてもわかるでしょうに。まったく、おかげで私の夕飯が減ってしまったわ」

 根っこを放り捨て、ベルカントは再び歩き出す。カタリナは両目に涙を溜めて、しかし水で口をすすいだりはせず、それに続いた。

「代わりに、今日はあなたの食料を少しよこしなさい。なんなら、夕飯を作ってくれてもいいわよ」

「え! いいんですか!」

 カタリナの表情が途端に明るくなった。

「それでしたら、夕食と言わず、明日の朝食も作ります!」

「あらそう。それならお願いするわね」

 カタリナの背負う大きなカバンには、ロックやアンドレイをはじめとする村人たちから分けてもらった食材や調理器具が満載だ。それをガチャガチャと揺らしながら、満面の笑みでベルカントを追う。

 口の中に残る野草のえぐみは、いつの間にか気にならなくなっていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 倒木に腰掛けたベルカントは、串に刺さった鶏肉を目の前に持ち上げ、その焼き加減を確認した。表面はこんがりとキツネ色で、ちらりと見た火との距離から中もしっかりと焼けていることが想像できる。

 ベルカントは小さな口を開け、その肉にかぶりついた。

「……どうですか?」

「美味しいわよ」

「やったー!」

 わかりやすく喜びながら、カタリナは鶏肉にかぶりつく。昨日まで生きていた鶏の新鮮な肉だ。その生命力に満ちた味が全身を巡り、歩き通しの足を癒していく。

「それにしても、便利ですねえ」

 カタリナは肉を呑み込んでから、目の前の焚き火を見ながら言った。否、それは焚き火ではない。内側に三角形の描かれた、土に刻まれただけの円の中心から、煌々と火が上がっているのだ。燃えるような物など、何も有りはしないというのに。

 言うまでもなく、ベルカントの魔法である。彼女が杖の石突でこの模様を描き地を打つと、模様が火を吹き始めたのである。

「そうね。薪を集める必要もないし、着火剤も作らなくていいし、火打ち石も持ち歩かなくていいから助かるわ」

 煤も出ないしね、と続けるベルカント。カタリナは感心するが、しかし疑問もあった。

「でも、疲れないんですか? いざっていう時のためにとっておいたりとかは……」

「あなただって、毎日体を動かしていないと、いざという時に動けないでしょう? 魔法も同じ。毎日使っていないと、すぐに錆び付いてしまうのよ」

「おお、なるほど」

 カタリナは深く納得した。彼女も踊り子として、日々の練習がどれほど大事かは身に染みている。少しでも体力を温存しなければならない場合、例えば遭難した時などを除けば、練習を欠かす日はなかった。

「ふう。それでは一曲」

「……は?」

 突然の意味不明な言葉に、ベルカントは齧っていた鶏肉から顔を上げる。既に食べ終えていたカタリナが立ち上がり、簡単な準備運動をはじめていたのだ。

「え……何?」

「何って、踊りですよ。ベルさんに」

「……」

 どうやらこの娘は、本気でベルカントに踊りを捧げていたらしい。半ば方便だと思っていたベルカントは呆れるばかりだ。

「練習も兼ねてで申し訳ないですが」

「それはどうでもいいけれど……急に野盗や獣が襲って来た時、疲れ果てて動けませんなんて言われても、私はあなたを見捨てて行くわよ」

「大丈夫です。激しいやつじゃないですから」

 言いながら、カタリナは緩やかなステップを踏み始めた。揺らめく炎に併せるようにゆっくりと、風に揺れる草木の音を楽曲代わりに。

 そして歌い始めた。透き通った静かな声で、子守唄のような優しい歌を。

 ベルカントは、歌にも踊りにも興味はない。ロックの酒場で客たちが熱狂していても、騒がしいという以外に特に何も感じなかった。だが──

「……」

 着ている服こそ頑丈さだけが取り柄のような代物だが、魔法の炎に照らされて踊るカタリナの姿は、ベルカントから見ても美しかった。そんな踊り子が、夜の森の中、自分のためだけに踊っている。

 それは存外悪くないように思えて、ベルカントはほんの僅かに、誰も気付かないほど小さく頬を緩めた。

 その時だ。

「しっ」

「え?」

 ベルカントは火を消し、人差し指を立てて唇に当てた。カタリナは突然のことに少々困惑しながら、歌と踊りを止めて素早く屈む。

「ど、どうしたんですか?」

「誰か来る」

「え……」

 ベルカントは傍らに立て掛けていた杖を取り、帽子を被って周囲を警戒した。カタリナは懐からナイフを取り出す。扱い方などわからないが、素手よりは幾分マシだろう。

「誰か、ということは……」

「獣ではないわね」

 微かに聞こえた足音は人間のものだった。カタリナが歌を止め火も消したことで、相手も気付かれたことに気付いたのか足を止めているようだが、ベルカントに対してはあまり意味がない。

「……」

 彼女は土に手を着き、意識を集中させた。カタリナは森がざわめくのを感じた。ベルカントの金色の目は、ここではないどこかを見ているようであった。

 魔法を使っているのだ。カタリナは確信し、油断なく周囲を見渡した。どんな魔法なのかカタリナにわかるはずもないが、今のベルカントは無防備に見えた。私が守らなきゃ、と決意を固め、いつでも突き出せるようにナイフを握り締めた。

「……はあ」

 ベルカントが溜め息を吐いた。緊張感のない、拍子抜けしたという心情が伝わるような溜め息であった。

「あの、ベルさん?」

「子供よ。非武装の」

 ベルカントは立ち上がり、真っ暗な森の中に向けて声をかける。

「出てきなさい。そこに居るのはわかってるわ。こちらから危害を加えるつもりはないから」

 カタリナはベルカントの向いている方向に目をこらす。ガサガサと音がなり、茂みが揺れるのがかろうじて見えた。

 ベルカントが杖で地を打つ。再び模様に火が灯り、そこに立つ少年の姿を照らした。

「な、なんだよお前ら」

 少年は容姿に対して服装が無骨に過ぎる女と、あからさまに怪し過ぎる格好をした少女の二人組に、警戒を露わにしていた。ベルカントは先ほどまで腰掛けていた倒木に戻り、帽子を脱ぐ。

「それはこちらの台詞よ。こんな真夜中に、手ぶらで森に入るだなんて自殺行為よ。ましてやあなたのような子供が」

「お、お前も子供だろうが!」

 少年は声を荒げた。確かに見た目で言えば、ベルカントも同じ程度の年頃である。そのベルカントは、反論すら面倒だと言わんばかりに、倒木に器用に串を引っ掛けていた鶏肉を取り、食べ始めた。

 その態度にムッと顔を歪める少年に、カタリナは柔和な笑みを浮かべながら話しかける。

「ねえ君、どうしたの? 危ないよ、一人でこんなところに」

 カタリナは目線を合わせるために腰を曲げて膝に手を着く。すると豊かな胸が両腕に挟まれ強調された。少年は顔を赤くし目を逸らす。

「こ……この前うちの町に来た行商人が、近くの村に魔女が居たって話してたんだ」

「それって……」

 カタリナは思わず後ろを見る。どう考えても今朝まで居たあの村と、ベルカントのことだった。

「……それで、その村まで行こうと? どうして? 魔女に頼みがあるとか?」

「今、町におかしな奴らが居て……それで、魔女にやっつけてもらおうと思って」

「おかしな奴ら?」

「ああ。自分たちはエルニース軍だって言ってたけど、絶対違う。軍は人を守るためのものだろ。本物の軍ならあんなことするもんか」

「……あんなことって?」

 カタリナが尋ねると、少年は顔を伏せ肩を振るわせた。今にも叫びそうなほど強い怒りを感じて、カタリナは黙って次の言葉を待った。

「……町には大きな畑や果樹園がたくさんあるんだけど、あいつら、そこで穫れた作物をほとんど持っていきやがるんだ。戦争のための備えだ、国の役に立てるんだから光栄に思え、とか言ってさ。……でも、そんなの嘘だ。俺、知ってるんだ。あいつら、集めた作物売っぱらって、その金を自分たちのものにしてるんだ」

「ひ、酷い……!」

「それはまた、随分と危ない橋を渡っているわね」

 鶏肉を食べ終えたベルカントが、指先をぺろりと舐めて言う。

「本物のエルニース軍だとしても、エルニース軍を名乗るならず者だとしても、バレたらタダでは済まないでしょうに」

「町長もそう言ってたって、父ちゃんが言ってた。だからその証拠を手に入れたいんだけど、上手くいかないらしくて……その時、魔女の話を聞いて……」

「魔法でなんとかしてもらおうと?」

「ああ。でも……」

 少年はベルカントを見て、諦めを込めてふっ、と笑う。

「ダメだよな。こんなちんちくりんじゃ」

「あなたも似たようなものだと思うけれど」

 ベルカントは侮蔑に対し冷たく返した。慣れている反応だ。しかしカタリナはそうではなかった。

「ちょっと! 取り消して!」

「ぅ、え!?」

 先ほどまで優しく話を聞いていた女が突如大声を上げて怒り出し、少年は面食らった。カタリナは少年の肩をがっしと掴む。

「取り消しなさい! ベルさんは凄い魔女なんだから! 相手が軍だろうがなんだろうが、簡単にやっつけ──あいたっ!?」

「ちょっと。勝手なことを言わないでくれる?」

 少年をガクガクと揺さぶるカタリナの頭を、杖が軽く叩いた。カタリナは頭を押さえ、涙目で振り返る。

「あう、だってぇ……」

「だっても何もないわよ。子供相手にムキになってどうするの」

「お前も、子供だろうが……おぇ……」

「あら、大した根性ね」

 目を回しながらも憎まれ口を叩く少年。ベルカントは少し感心し、それからふむと顎に指を当てた。

「その魔女というのは、私で間違いないとは思うけれど」

「本当かよ……魔女の格好して遊んでるガキじゃねぇのか」

「また君はァ! ほら、そこの火を見なさい! 薪も何もないでしょう!? これがベルさんの魔法だよ!」

「え……うわ、本当だ!? ど、どうなってんだこれ……?」

 そのために火を熾していたわけではないが、結果としては話を円滑に進める助けとなったらしい。ベルカントは質問攻めにされそうな気配を察して、先手を取った。

「呼びに来たというのは、町が依頼として? それともあなたが、個人的にお願いに来ただけ?」

「は? あ、えっと……ま、町が」

「本当に? 町として、子供一人を、何も持たせずよこしたの?」

「うっ……」

 呻く少年。ベルカントの表情は変わらない。

「やっぱり。大人たちは魔女なんて信じなかったのでしょう? あなた一人が先走って、町を飛び出してきたのではなくて?」

「うぅっ!」

「図星のようね」

 ベルカントは興味を失い、地面に座って倒木に背中を預けた。杖を抱き、目を閉じる。

「話にならない。タダ働きをする気はないわ」

「な!? おい、ふざけんなよ、丸一日かけてここまで来たんだぞ!」

「そう。無駄足だったわね。次からは、何かを頼む時は見返りを用意するようにしなさい」

「町のみんなが困ってるんだ! このままじゃ貯蓄してある食い物も根刮ぎにされちまう! 次の収穫だってどうせ……!」

「それは大変ね。けれど、知ったことではないわ」

「てめえ……!」

「ちょっと、ベルさん……!」

 カタリナはベルカントに駆け寄り小声で言う。

「なに? まさか助けてあげて、なんてことを言うつもりじゃないでしょうね」

「そうは言いませんけど……ただ、もう少し言い方とか……」

「へ……へんっ! やっぱり、魔女って言っても大したことねえんじゃねえか!」

 少年は胸を反らしながら言った。カタリナは振り返り、ベルカントは片目を開けて少年を見る。

「タダ働きは嫌だとか言ってるが、どうせあいつらが怖いんだろう!」

「ええそうよ。下手をすれば軍を相手にすることになるもの」

「ぐ、軍が怖いのか! 魔女のクセに!」

「怖いに決まっているでしょう? あなた、魔女狩りを知らないの?」

「ま、魔女狩り……?」

「知らないのね」

 少年を見るベルカントの目に失望が混じった。光のない金色の瞳に見据えられて、少年は数歩後退る。

「とりあえず、座って休みなさい」

「え……?」

 ベルカントは火を挟んだ向かい側、彼女が背中を預けているものとは別の倒木を指差して言った。少年は困惑した声を出す。

「あなたの町、デニスでしょう?」

「は? あ、うん。そうだけど……なんでわかった? もしかして、本当に魔女……」

「本当に魔女だけれど、それは関係ないわ。ここから子供の足で一日、農業が盛んとくれば、知っていれば誰でもわかるわよ」

「あ、ああ、なるほど……」

「デニスには別の用があるの。ついでに送って行くわ。明日の朝出発するから、今の内に休んでおきなさい」

「え?」

 何が何やらわからない。そう言わんばかりの呆け顔をしている少年に、カタリナが近づき耳打ちした。

「あのね、多分ベルさんは、用事を済ませてる間に大人たちを説得して、報酬を用意させて依頼しろ、って言ってるんだよ」

「そ、そうなのか?」

「うん。この前、私危ないことに首突っ込んで……その時もベルさん、私のこと助けないって言ったけど、ちゃんと助けてくれたもの」

「……」

 少年は感動した面持ちでベルカントを見る。彼女は既に静かな寝息を立てていた。

「けど、君がそれをできなかったら、多分助けてくれない。……できる?」

「……ああ……ああ! できる! やってやる!」

「うるさい」

「「ご、ごめんなさいっ」」

 一言だけ文句を言い、ベルカントは再び眠った。カタリナは唇の前に人差し指を立て、小さく笑う。

「……ねえ、君、名前は? 私はカタリナ。そっちの魔女さんは……ええっと、勝手に教えていいのかな」

「ベル、だろ。あんたさっきから何度も言ってる」

「はぅっ! き、聞かなかったことに!」

「うるさいわよ、さっきから」

「「ごめんなさいっ!」」

 二人して謝って、それから笑い合った。

「俺、クロードだ。よろしく」

「うん。よろしくね 」

 カタリナが右手を差し出す。クロードは少し照れながらその手を取った。

「それじゃあ、先に寝て。疲れてるでしょ? 見張りは私がするから」

「……ありがとう、助かる。何から何まで……」

 言い終わる頃には、すでに少年の目はしきりにまばたきを繰り返していた。疲労の蓄積も限界となっていたところに、人と出会って安心したことで、急激に睡魔が襲って来たのだろう。

 カタリナはくすりと笑う。クロードはムッとしたが、睡魔にはとても敵わなかった。彼はふらふらと腰を下ろし、数秒と待たずに意識を手放す。

「……さて、と」

 カタリナは松明に火を移し、ベルカントの向かいの倒木に腰を下ろした。

 月明かりも届かない夜の森。このどこかを、無数の獣たちが徘徊している。以前は何人仲間が居ても不安でたまらなかったが、今は不思議とそうでもなかった。

 薪の要らぬ魔法の火が、温かな光を放つ。その向こうで眠る小さな魔女に失望されぬよう、カタリナは気合いを入れて、人の目では見通せぬ闇を睨み付けた。

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