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Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲 4.7cm PaK(t) (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B (PanzerjägerⅠ)

Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲 4.7cm PaK(t) (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B (PanzerjägerⅠ)についてです。


様々なゲームに登場する車両で、ご存知の方も多いかと思います。

モデリングが稚拙な部分もありますが、ご容赦ください。

Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲

4.7cm PaK(t) (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B (PanzerjägerⅠ)

 Ⅰ号戦車B型にチェコのシュコダ社製43.4口径1936年型47mm対戦車砲(47mm A-5 K.P.U.V. vz.36)を車載型に改造した物を搭載したもの。42口径50mm戦車砲搭載のIII号戦車G型が登場するまでの繋ぎとして貴重な対戦車戦力として活躍した。

 また、PanzerjägerⅠ(Tank Hunter)としても知られており、同車両の今後開発される発展型シリーズの雛型となった。


挿絵(By みてみん)

▲図18-1 Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲 (Alkett/初期型)参考図その1

挿絵(By みてみん)

▲図18-2 Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲 (Alkett/初期型)参考図その2

挿絵(By みてみん)

▲図18-3 Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲 (Alkett/初期型)参考図その3


 重 量…6.4t

 全 長…4.42m

 全 幅…2.06m

 全 高…2.25m

 乗員数…3~4

 通信機…FuG2

 武 装…47mm P.U.V.vz.36L/43.3(84発)

 照準器…ZF2×30°

装甲

 前  面…13mm

 側  面…13mm

 後  面…13mm

 上  面…6mm

 底  面…6mm

 防  盾…14.5mm

諸性能

 エンジン…マイバッハNL38TR 水冷6気筒ガソリンエンジン

 出力…100hp/3,000rpm

 変速機 (前進/後進)…ZF FG35 (5/1)

 最高速度…40km(整地)/19km(不整地)

 燃料搭載量…148ℓ

 航続距離…140km(整地)/95Km(不整地)


 

 開発の経緯としては、1939年9月1日に開始されたポーランド侵攻作戦(白作戦)において、ドイツ陸軍の主力対戦車砲であるPaK36の威力不足が露呈したため、効果的な対戦車車両・砲の開発が急がれていた。

 チェコを併呑した際に幸運にもシュコダ社という兵器メーカーが一緒についてきた。

 同社が開発した43.4口径47mm対戦車砲(47mm A-5 K.P.U.V. vz.36)というものがあった。この砲は既に生産ラインに乗っており、ドイツ軍が保有する対戦車兵器よりも効果的であると判断された。そのためドイツ陸軍が「4.7cm PaK(t)」(”t”はTschechisch:チェコの頭文字)として制式化した。

 より強力な対戦車車両の開発が急がれていた折に、ちょうど良い対戦車砲を手に入れることができた開発陣は同砲を早速同車の主砲として選定したのであった。


 この砲の性能はPz.Gr.36(t)徹甲弾(弾頭重量1.65kg)を用いて砲口初速782m/s、射距離100mで54mm、500mで48mm、1,000mで41mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹することが可能であった(傾斜角30度)。さらにタングステン弾芯のPz.Gr.40高速徹甲弾(弾頭重量0.825kg)を用いると砲口初速1,080m/s、射距離100mで100mm、500mで59mmのRHAを貫徹することができた(傾斜角30度)。

 これは後にIII号戦車が装備する42口径5cm戦車砲KwK38とほぼ同等の性能であり、1939年当時の対戦車砲としては最も優れたものの1つであった。


 1939年末に、アルケット社との間でI号4.7cm対戦車自走砲の開発契約を結び、本格的な開発作業は1940年2月から開始された。

 I号4.7cm対戦車自走砲のベース車台にはI号戦車B型を用いることになったが、改造を最小限とするために車体はそのままとして砲塔を取り外し、戦車型で戦闘室であった部分の上面装甲板を前部のみ砲塔の開口部を残した状態で切り取ってオープントップとし、4.7cm PaK(t)を装備することとされた。

 このオープンの砲郭は明らかな脆弱性が存在した。それは作業環境の劣悪さであった。東部戦線では冬季に氷点下での戦闘もしばしば起こるため、極寒の中作業を行わなければならなかった。南の北アフリカ戦線では日中の40℃を超える炎天下の中で活動しなくてはいけなかった。完全密閉された戦車よりかは風通しが良いが、砂嵐に合うと悲惨であった。


 4.7cm PaK(t)は開口部より下がった位置に鋼板および鋼管で組んだ砲架を設けてこの上に防盾ごと搭載され、砲の前面と左右側面を14.5mm厚の装甲板で囲んで簡単な戦闘室が構成された。

 主砲は左右各17.5度ずつの限定旋回式となっており、俯仰角は-8~+12度となっていた。なお4.7cm PaK(t)は牽引型の47mm KPUVvz36をシュコダ社が車載用に改修したもので、防盾も本車用に設計された専用のものが装着されていた。


 照準機は倍率3倍、視野角30度のZF照準望遠鏡が主砲の左側に装備され、戦闘室の前面装甲板には照準機の位置に長方形の開口部が設けられていたが、この開口部には内側にスライド式の装甲板が配されており戦闘時以外には照準機を保護するため開口部を塞げるようになっていた。


 乗員は基本的には操縦手、車長兼砲手、装填手の3名であり、場合によっては操縦手、車長、砲手、装填手の4名となっており戦闘室内の左前方に操縦手、その後方に車長、反対側に装填手が位置した。


 主砲弾薬は、合計84発を車内に携行した。装填手前方の床に34発を収める主弾薬庫が設置された他、主砲の砲架下部に16発、車長と砲手の後方にそれぞれ12発ずつ、装填手の右側に10発を収めた補助弾薬庫が設けられていた。

 弾種については装填手右側の10発のみがSpr.Gr.40榴弾、それ以外の74発は全てPz.Gr.36(t)徹甲弾となっていた。


 戦闘室などの製作に必要な装甲板はクルップ社とドイツ製鋼所が供給し、これを用いてダイムラー・ベンツ社とビューシンクNAG社が戦闘室などの部品を製作した。主砲の製造とI号戦車B型のオーバーホールおよびオープントップへの改造は、シュコダ社が担当した。

 これらの部品とオープントップに改造したI号戦車B型はアルケット社に送られ、砲の搭載などの最終的な組み立てが行われた。


 I号4.7cm対戦車自走砲はフランス戦における活躍が高く評価され、さらに1941年にはソ連侵攻作戦(バルバロッサ作戦)が計画されていたため、本車を追加生産することを決定し、1940年9月19日にクルップ社との間で70両分の装甲板の製作契約を結んだ。


 最終組み立ては前回と同様にアルケット社が担当することが予定されていたが、同社はIII号突撃砲の生産に追われていたため1940年10月15日付でアルケット社における最終組み立ては10両に留め、残りの60両はケルンのKHDクレックナー・フンボルト・ドゥーツ社が最終組み立てを担当することが決定された。

 アルケット社は1940年10月に10両のI号4.7cm対戦車自走砲を完成させ、KHD社も同年11月に30両、12月に30両を完成させている。


 こうしてI号4.7cm対戦車自走砲は合計202両が生産されたが、追加発注分の70両はフランス戦の戦訓から戦闘室が大型化されており、一般的にこの大型戦闘室のタイプを後期生産型、従来のタイプを前期生産型と分類することが多い。

ちなみに本車の制式名称は、「4.7cm PaK(t)(自走式)搭載I号戦車B型」である。


挿絵(By みてみん)

▲図18-4 Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲 (Skoda/後期型)参考図その1

挿絵(By みてみん)

▲図18-5 Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲 (Skoda/後期型)参考図その2

挿絵(By みてみん)

▲図18-6 Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲 (Skoda/後期型)参考図その3

基本的に内装は同じだが、戦闘室の形状の変更と拡大されていることがわかる。



 I号4.7cm対戦車自走砲の初陣は1940年5月10日に開始されたフランス侵攻作戦で、第521、第616、第643、第670の新編された4個独立戦車駆逐大隊に配属されていた。

 なおこれら大隊は3両の本車を装備する3個小隊から1個中隊を編制し、この中隊3個により大隊を編制していた。

 I号4.7cm対戦車自走砲は当時のIII号戦車やIV号戦車短砲身型を火力で上回っており、8.8cm高射砲を除くとフランス戦におけるドイツ陸軍の最も強力な対戦車火力であった。本車はこれ以降北アフリカ、東部戦線と各地において活躍し、1943年末頃まで第一線で使用された。

 北アフリカ戦線に派遣されたI号4.7cm対戦車自走砲は第605戦車駆逐大隊の27両のみで、これらは全て大型戦闘室の後期生産型であった。同大隊は米英軍戦車との戦闘で大きな戦果を挙げたものの1941年中に半数の13両を損失し、1942年中には全て消耗したようである。


挿絵(By みてみん)

▲図18-7 Ⅰ号4.7cm 対戦車自走砲 (Skoda/後期型)北アフリカ仕様参考図

活動地の特性により、少しでもスペースがあれば、燃料缶と飲料水を積載していた。

カラーリングもジャーマングレイの上にサンディーイエローを吹き付けたようである。

※薄らと下地のグレイが見え隠れしている様な塗装だったようである。



 1941年6月22日に開始されたバルバロッサ作戦にはI号4.7cm対戦車自走砲を装備する第521、第529、第616、第643、第670の5個独立戦車駆逐大隊および、第1SS機甲師団LSSAH第2戦車駆逐大隊と第900教導機甲旅団第900戦車駆逐大隊が投入された。


 I号4.7cm対戦車自走砲が対戦車自走砲としてこの種の車両の有効性を教えた意義は大きく、以後各種戦車から様々な自走砲が生み出される呼び水となった。


ここまで読んでいただき、感謝の極み。


カラーリングなどは環境によって見え方が違うかもしれません。(今更…)


このモデル、微妙に実車と違う部分が結構あります。

例えば搭載砲の防盾の形状とか、照準器がついてないとか…

そのくせ、見えないところの砲弾はしっかり描いていたりします。


次回に乞うご期待!!

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