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Ⅰ号自走重歩兵砲 15cm sIG33 (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B

Ⅰ号自走重歩兵砲 15cm sIG33 (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf Bについてです。


まさにやっつけ仕事的なこの車両。

地味にお気に入りです。

Ⅰ号自走重歩兵砲 15cm sIG33 (Sf) auf Panzerkampfwagen I Ausf B


 I号戦車B型から砲塔と戦闘室上部装甲が除かれた他は大きな改装は無い。15cm sIG33歩兵砲は車輪も取り外さずに牽引式の状態のまま搭載された。15cm sIG33と I号戦車はほぼ同幅で、戦闘室からフェンダー上に張り出す形で、左右を肋材で連結した車輪止めが設けられた。

 車体後部には 15cm sIG33後端のピントルを利用する固定具が付けられ、さらに車輪止めと後部固定具は左右で鋼材で結ばれていた。これに前・側方のみに10mm厚の装甲板で、大きな箱型の防盾が施された。


挿絵(By みてみん)

▲図16-1 Ⅰ号自走重歩兵砲前方参考図

挿絵(By みてみん)

▲図16-2 Ⅰ号自走重歩兵砲後方参考図


 重 量…8.5 t

 全 長…4.67m

 全 幅…2.06m

 全 高…2.8m

 乗員数…4

 武 装…15cm sIG33歩兵砲×1(3発)

 装 甲…3~15mm

諸性能

 エンジン…マイバッハNL38TR 直列6気筒液冷ガソリンエンジン

 排気量…3791cm³

 出力…100hp

 変速機 (前進/後進)…5/1

 最高速度…35~40km

 航続距離…140~170km


I号15cm自走重歩兵砲は、11.4口径15cm重歩兵砲sIG33をI号戦車の車体に搭載して自走化したもので、開発が始められた時期は定かではない。I号戦車B型の生産が開始された1935年前後にはすでに計画が開始されたものと思われる。


 本車の主砲として採用された15cm重歩兵砲sIG33は、ドイツ軍が再軍備の先駆けとして1927年より秘密裏に開発を始めたもので、開発はラインメタル・ボルジヒ社が担当し1933年に制式化された。

 15cm重歩兵砲sIG33は、第2次世界大戦が終了するまで歩兵と行動を共にする支援歩兵砲としてはドイツ最大級のものとして君臨し、全戦線において多用された。

 この砲は弾頭重量38kgの榴弾(りゅうだん)を用いて砲口初速240m/秒、最大射程4,650m、旋回角(せんかいかく)11.5°、仰角(ぎょうかく)75°、俯角(ふかく)4°の射角を有しており、大射程大威力である一方、重量が2,872kgもあるため陣地転換に時間が掛かるのが悩みの種であった。

 この砲を自走化すれば歩兵と行動を共にし、有効な火力支援を行うことができるというのは必然的に導き出される結論であり、その具現化として誕生したのがI号15cm自走重歩兵砲というわけである。


 I号15cm自走重歩兵砲のベース車体にはI号戦車の2番目の生産型であるI号戦車B型が用いられたが、本車の開発が始まった頃にはより大型のⅡ号戦車が実戦化されていた。

 なぜ、より車体サイズに余裕のあるⅡ号戦車がベース車体として選ばれなかったのかは不明であるが、I号戦車が第一線任務に就くには非力過ぎるため、自走砲に転用した方が有用であると考えられたのか、あるいはこの自走砲は試験的な意味合いが強かったため、I号戦車の車体で充分と考えられたのかも知れない。単にⅠ号戦車の余剰車両が大量にあったのかもしれない。


 本車の生産は1940年3月から開始し、アルケット社が担当したが、以後同社は第2次世界大戦で使用された多くの自走砲の開発に携わることになり、その意味では大きな意義があった。


 構造は前述のとおりであるが、I号15cm自走重歩兵砲への改造要領はI号戦車B型の砲塔と上部構造物を取り去り、牽引型の15cm歩兵砲sIG33がそのまま車体上部に搭載されたが、何と車輪も装着したままでフェンダーの上に載せられており、車体内部に加えてフェンダーにも固定具が用意されているという、大胆な手法(やっつけ仕事?)が採られている。


挿絵(By みてみん)

▲図16-3 15cm sIG33積載状態


 もちろん防盾や脚も外されずにいたので、必要に応じて車体から取り外して使用するという前提があったものと思われる。

  砲の周囲には、前面と左右側面を10mm厚の装甲板で囲んだオープントップ式の戦闘室が設けられたが、何しろ防盾から車輪までそのまま搭載したためI号戦車B型より全高で1m近く高くなってしまい、非常に腰高のシルエットとなってしまったのは問題であった。

 さらに、戦闘重量もI号戦車B型から2.5tも増加しており機動性は大きく低下したが、歩兵と行動を共にする車両のためこれはさほど不都合とはならなかったようである。

 戦闘室の左右側面装甲板には横長楕円形の張り出しが設けられたが、これは砲の車軸と戦闘室側面装甲板との干渉を避けるためで、15cm重歩兵砲sIG33とI号戦車B型がほぼ同じ横幅であったことが分かる。


挿絵(By みてみん)

▲図16-4 15cm sIG33車軸干渉部分


 このように車体に対して搭載武器が非常に大きいため、弾薬搭載スペースを確保することができなかったため、搭載弾薬数は3発であった。当然3発だけでは不足なので、常に弾薬運搬車などの随伴車両が必要であった。また、重量増加に伴いシャーシに負荷がかかり、故障が頻発した。


 I号15cm自走重歩兵砲はアルケット社において1940年1月に試作車1両が完成し、続いて2月に37両の生産型が製作され、これら38両を用いて第701~第706の6個の重歩兵砲(自走式)中隊が編制された。

 ちなみに、本車の正式名称は「15cm重歩兵砲sIG33(自走式)搭載I号戦車B型」である。


 車両自体はやっつけ仕事のような状態であるが、鈍重な重歩兵砲の戦術的な運用転換である。また、()()()()()()()()()の誕生であり、この運用転換アイデアは、後の明確な戦術目的を背景にした自走砲発展への布石として重要な位置を占めると考えられる。


 運用については、各重歩兵砲中隊は、それぞれ6両のI号15cm自走重歩兵砲を装備していた。これらの重歩兵砲中隊は第1、第2、第5、第7、第9、第10機甲師団に分割配属され、1940年5月10日に開始されたフランス侵攻作戦から実戦に投入された。

 第5機甲師団に配属された第704重歩兵砲中隊では、1943年半ばにおいてもなお数両のI号15cm自走重歩兵砲を使用していたという。


ここまで読んでいただき、感謝の極み。


怒涛の連続投稿!

書きだめしていたものをすべて吐き出しました。

よって、次回投稿まで時間がかかります。ご容赦くださいませ。


今後ともよろしくお願いいたします。

次回に乞うご期待!!

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