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Ⅰ号指揮戦車B型 Kleiner Panzerbefehlswagen, (2K1B/3K1B) (Sd.Kfz.265)

今回はⅠ号指揮戦車B型 Kleiner Panzerbefehlswagen, (2K1B/3K1B) (Sd.Kfz.265)についでです。

1号戦車派生シリーズとしては最も有名かつ、活躍した車両です。


当然、現地改造車が多数あり、外装・内装ともに千差万別です。

そして今回はイラストが多めです。

いつもながら、微妙に違う部分や明らかに違う部分があるかもしれませんが、悪しからず。

Ⅰ号指揮戦車B型 Kleiner Panzerbefehlswagen, (Sd.Kfz.265)


 Ⅰ号戦車B型の車体上部全体を大型構造物に変更したB型が184両生産され、乗員も3名に増やされた。後にフレーム式アンテナを増設した物もある(現地改造車の可能性大)。戦車型のB型の延長型車台は、元々本車用に作成された。

 砲塔を撤去したために武装がなくなったが、代わりに前面にガンポートを設けて自衛用の機銃を1挺装備している。

 通常型I号戦車の標準装備であるFu.2受信機に加えて、Fu.6送受信機と専用の無線手が追加されていた。


挿絵(By みてみん)

▲図15-1 Ⅰ号指揮戦車B型初期型(2K1B)前方参考図

挿絵(By みてみん)

▲図15-2 Ⅰ号指揮戦車B型初期型(2K1B)後方参考図


 重 量…5.9 t

 全 長…4.42m

 全 幅…2.06m

 全 高…1.99 m

 乗員数…3

 武 装…MG13(7.92㎜)×1もしくはMG34(7.92㎜)×1 (900発)

 装 甲…6~28mm

諸性能

 エンジン…マイバッハNL38TR 直列6気筒液冷ガソリンエンジン

 出力…100hp/3,000rpm

 最高速度…40km/h(整地)

 航続距離…290km


 I号指揮戦車の一般的なタイプは、より大型のI号戦車B型をベースにしたタイプであった。この車両は1935年11月29日に行われた討論で開発が決定し、当初は「小型指揮戦車」の公式名称が与えられたが、1936年半ばに「小型装甲指揮車両」の制式名称と「Sd.Kfz.265」の特殊車両番号が与えられている。

 I号指揮戦車B型の生産はクルップ社の子会社であるグルゾン製作所の他、ダイムラー・ベンツ社、ヘンシェル社の計3社で行われ、1937年末までに合計184両が生産された。


 Ⅰ号指揮戦車B型はA型のように既存の戦車型からの改造ではなく、完全に新規に製作された。ベースとなった車台は、I号指揮戦車B型の第1生産ロットである1ゼーリエがLaS 5aゼーリエ車台、2ゼーリエがLaS 6aゼーリエ車台、3ゼーリエがLaS 7aゼーリエ車台であった。

 LaS 5aおよび6aゼーリエ車台はI号戦車B型と共用の車台であったが、LaS 7aゼーリエ車台はI号指揮戦車B型用に追加生産された車台であり、ラジエイターの容量が従来の3.9リッターから5.5リッターに増大されていた。


 この改良は、I号戦車B型でも生産半ば頃の車両から導入されている。

I号指揮戦車B型は車体の上部設計が戦車型から大きく変更されており、戦闘室上部の砲塔は撤去され、元々は砲塔基部であった戦闘室はそのまま上へ延長されて内部容積が拡大され、無線手が搭乗するスペースが確保された。


 戦闘室には多くの視察クラッペが設けられており、戦車型にもあった戦闘室前面左側と左右側面前部の視察クラッペの他、前面の中央部と右側面の中央部にスリット付きの視察クラッペ、後面右側にスリット無しの視察クラッペがあった。

 戦闘室左側には乗降用の観音開き式の大型ハッチがあり、このハッチには外部視察用に防弾ガラスのはめ込まれたスリットが設けられていた。

 また戦闘室上面右側には8角形の車長用キューポラが設けられており、キューポラの周囲には防弾ガラスの入ったスリットが開口していた。

 車長用キューポラ上面のハッチは左右開き式の長方形のハッチ2枚となり、I号指揮戦車A型よりもスムーズに乗降できるようになった。

 なおこの車長用キューポラは初期の一部車両(2K1B)には装備されておらず、恐らく戦訓によって1938年以降に追加されたものと思われる。また戦訓により、戦闘室とその前方にあたる車体上面に15mm厚の追加装甲板を装着した車両も多かった。


挿絵(By みてみん)

▲図15-3 Ⅰ号指揮戦車B型後期型(3K1B)前方参考図

挿絵(By みてみん)

▲図15-4 Ⅰ号指揮戦車B型後期型(3K1B)後方参考図


挿絵(By みてみん)

▲図15-5 Ⅰ号指揮戦車B型後期型(3K1B)15mm前面装甲追加型参考図


 武装は7.92mm機関銃1挺が戦闘室前面右側にマウントされており、通常は車長が操作した。車内には、900発の7.92mm機関銃弾を携行していた。

 なお、7.92mm機関銃は初期にはMG13k(MG13の短銃身タイプ)を円形防盾付きのマウントに装備していたが、MG34への換装に伴ってボールマウント式の銃架に変更されている。


 大型化した戦闘室内には地図用テーブルが設けられ、Fu.2とFu.6の2台の無線機が搭載されていた。

 Fu.6は出力20Wの送受信機で、通常型I号戦車に使用されているFu.5のおよそ2倍の通信距離(Fu.5の6~10kmに対して13~16km)を持っていた。

また無線機用のバッテリーに充電するため、専用の小型発電機も装備されていた。

アンテナは戦闘室の右後部から横に張り出して装備し、使用時以外はフェンダーに斜めに取り付けられたケースに収納した。


 この他、後期の一部車両には大型の2mフレームアンテナが戦闘室周囲に取り付けられたものもあり、この車両にはFu.6よりもさらに通信距離の長いFu.8送受信機が搭載されていたものと考えられる。


挿絵(By みてみん)

▲図15-6 Ⅰ号指揮戦車B型後期型(3K1B)フレームアンテナ装備参考図その1

挿絵(By みてみん)

▲図15-7 Ⅰ号指揮戦車B型後期型(3K1B)フレームアンテナ装備参考図その2

※ガンポートを撤去している車両もある。


 これらの車両は一般に、大隊本部付車両として使用されていた。

I号指揮戦車は1935年後期から使用が開始されていたが、大規模に使用されるようになったのは1940年5月10日のフランス侵攻作戦開始時からであった。

 それ以後も北アフリカや東部戦線などで使用されたが、I号戦車そのものの退役に伴って指揮戦車もより大型のIII号指揮戦車などに更新されていった。

大戦中期以降は戦車修理部隊、砲兵部隊などで観測車両や連絡車両として使用され、珍しい例としては装甲救急車として使用されたものもあった。


ここまで読んでいただき、感謝の極み。


今回のイラストはちょっと真面目に考察してみました。

特に現地改造のフレームアンテナはかなりのバリエーションが存在しているらしく、網羅することはできませんでした。


ご指摘などがありましたら、ご一報いただけると幸いであります。



疲れた…

次回はⅠ号自走重歩兵砲の予定です。

乞うご期待!!

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