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◯第九(プラトー)「ファイヤーボール」


────────────────────


 ──The golden light about you.

   Show me where you're from.──


    「君の上に輝く黄金の光、

     それが君の出生を物語る。」


        『ファイヤーボール』from Fireball

               Deep Purple 1971



────────────────────


 二重の彗星はエウロシャーダ東方の草原から姿を表し、ヴェステンブルク、プルーセン、ガリア、ブリタニア、エァルの上空を貫いた。更にノースレイアやフィヨルドランズ、ナヴァラ、カルトハダシュトなどと言った近隣諸国 ((1))の沿岸からも確認され、最終的にエァルの領有する新世界の植民地ですら観測された。恐らく塞外なるシーラスの領域でも見えたことだろう。

 各国の名だたる僧院や天文台が、過去に例のないこの彗星の意味するところに頭を悩ませた。

 しかし一月の後、この彗星に付される解釈は全エウロシャーダに於いて概ね一致することになる。

 その端緒はヴェステンブルク大公アヴラムが国都に帰還したことに始まる。


 ヴェステンブルク城には首邑ヴェステンブルクの市街やその近隣を一望する櫓が幾本もある。あるものは石造であり、あるものは木造であるが、中でも巨大なものは城の東南角に築かれた黒い石造の塔である。

 而して大きいは大きいが、それが立派であるかといえばそうでもない。確かに城外から遠望する分には、その塔の黒さと大きさは威圧を与えるに違いないが、塔のもとから見上げ況してや塔の内を見たならば「みすぼらしい」という印象が黒の威圧に先行してしまう。むしたる苔を取り払う使用人ものはおらず、欠けたる破風の装飾を補う工匠ものもやはりいない。屋根の端に腰掛けたブロンズ製で羊頭人身の化物も風雨と経年に角を折られては形無しである。放逐戦争中に於いては遠方から来襲するシーラス人を逸早く察知する軍事上の要害として重宝されたものだが、シーラス人の勢衰えて久しい今日に於いては無用の長物に等しく、文官らの使い走りが来朝する諸侯を観察する程度のことにしか公には使われない。第一にこの高さでは徒歩で上がるのに苦労が過ぎる。無論のこと、今でも城外に侵入がないか監視する城の歩哨は存在するが、専ら低い塔で事足りる。そのような場所であるから平素に訪れる者は殆どいない。白昼ともなれば尚更である。新月の夜半であれば、密談をする官吏や大公の側女との姦通に精を出す貴族の幾人かがこの塔を使うことはあるが、埃にまみれた塔内部の床には容易く足跡が残り人の出入りは直ぐに解る。

 この日も塔の入口の松明に火を灯した下吏のキネアスは、板張りの床を塔の内に歩み入る一人の足跡を認めた。

「昨夜のものだろう。」と独白して塔に入ったキネアスは、足跡を辿るにその持ち主が塔を出た形跡たる逆向きの足跡が無いことを見逃した。

 実にこの足跡は床に押されてから半刻も経っていなかったのだ。


 場内での風評に関わらずキネアスはこの塔が好きであった。

 キネアスはその姓をスウィフトと云い、彼自身は分家筋の男ではあったが、スウィフト家は南部をルーツとする大領主の家であった。

 彼の生まれ出でた南部というのは、シーラスの草原の延長であるが如く平野や丘陵が端々に広がる土地である。故に彼は山地に閉塞した北部、延いてはその閉塞に取り付くように築かれた都市の犇めき合う家屋での生活に対する無自覚な嫌気があった。

 加えて比類なき旧家の出でありながら分家に生を受けたことで、朝廷に仕えながらも家格を振るいきれない歯痒さもあった。

 そうした首邑での生活の中でキネアスは心を寧んずる静寂を自然と求めた。

 実際、御子の出生祝いに来朝する諸侯を観察するという御役目がなくとも彼は普段から塔に登って南を臨んだ。眼科に見下ろす都市の忌むべき喧騒は塔上との間に吹き荒れる風に掻き消される。 


 入口の足跡など既に忘れて、塔の最上に登ったキネアスは昨日から置きっぱなしにしていた望遠鏡を手に取った。同時に懐から国内諸侯の名簿を取り出して、未だ来朝していない諸侯の名を再確認した。


「さて、やるかい。」


 意気込んだキネアスがんでいる筈の塔上の空気を肺に吸い込むと、酷い獣臭がした。

 ここに至り入口の足跡を思い出したキネアスは察しがついたように回りを見渡して、思い当たるの人物がいないか適当に確認してから、望遠鏡を覗いた。

 ヴェステンブルク城の削成された山肌のもとには家々が窮屈に市街を成しており、三重の城壁を隔てて城外に至る。市街の真南から発したヴェスロブルギエンシスの径─街道はその黒い躬を市街の南に広がる野に這わせて大深林に分け入り、草叢中の黒蛇さながらに途切れ途切れ姿を見せる。更に行けば大深林を纏った山並みが現れ、それが首邑のあるこの盆地の終わりである。山並みの向こう、一際峻険なアカシアの覆う狭谷とヤスーラの淡海が麗しい中部の湖水地方を境として広大な南部である。

 首邑の近郊ともなれば街道を行き交う人は多く、ここ数日で近隣には御子誕生の報が知れ渡り、便乗して一儲けせんとする隊商の車列もある。

 城の南大門から始めて街道を目で辿っていたキネアスは城外の野と深林の境に騎馬集団を認め、「はて」と一声櫓から乗り出して旗の紋章を見極めようとした。

 白地に荊の絡み付いたタンブラーが描かれている。


「フラワリーワイン侯だな。いやまて。」


 キネアスはもう一度目を凝らしてフラワリーワイン侯一行に並走する集団を認めた。

 太陽に拝跪する騎士の紋章。


「ウェリーテース伯もか。

 さすが所領が隣ってだけはあるな。仲がよい。」


 不意に獣臭が強くなったのがわかった。


「噂では妻をも共有していると聞くわ。」


 突如として耳に入った爆弾発言にキネアスが顔をあげると、同期の史官レジーナ・カロンが平手を眉に当てて街道を眺めていた。


──屋内牧羊民か。


 或いは"室内羊飼い"、それが彼女の二つ名であった。

 史官という職業柄仕方がないが、羊皮紙の発する獣臭を彼女は身に纏っていた。

 無論、彼女自身の己が獣臭は自覚していたが、この二つ名に就いては、周囲がやや苛烈な性格の彼女を憚り表立って言わなかったこともあり彼女の知るところではなく、キネアスもこれを心中で唱えた。


「独白が過ぎると気味悪がられるぞ?キネアス君。」


 眉から離された平手がそのままキネアスの背を軽く叩いた。


「カロンか。

 君こそ今の発言を他人(ひと)に聞かれてみろ。ただではすまぬと思うが。」


 キネアスは嫌なものを見たという風に細めた目を望遠鏡に戻してそう言った。


「王公貴族を美刺褒貶するのが史官の役目ってこと。」


 気にとめた様子もなく自慢げに言ったレジーナに対してキネアスは溜め息を返した。


「それを体現した大史官一族シルヴェンテス家は閣下に逐われたぞ。」 


 遡ること一年前、ヴェステンブルクに代代史官として仕えたシルヴェンテス家は年代記の記述に於いてアヴラムの不興を買い官を逐われている。

 文官中でも若手の有望株たるレジーナがその後釜と目されていることを念頭に置いてキネアスはそう言った。


「それと美刺褒貶と下らぬゴシップを同一視されては困.....。」


 不意に黙ったキネアスが一際目を凝らした。


「どうしたの?」


「大公閣下の帰還だ。」


 街道の石畳の上、堅果の出汁で染め上げた黒地の上を顫動はばたく赤い双頭の鷲 ((2))が、幾人もの騎行を棚引いているのが見えた。




────────────────────


 アヴラムは騎乗のため履いていた馬追い人(ベズィミャンヌイ)風のブーツを脱がぬまま、その足で城の大理石を踏んだ。

 出生の報以来、我が子に就いてろくな情報が入らないことへの苛立ちと心配から、レザーソールの滑らかさがアヴラムの足を弾ませた。

 広間の壇上からアルミニウスとウジールの二人がよそよそと降りてきた。


「御無事の御帰還何よりで」


 アルミニウスが深々と拝跪して言った。


「道中で暗殺者に遭ったとか。」


「暗殺者?

 あぁ、あの怯懦をそう言うのであればなァ。」


 アヴラムは「思い出したくない」という風に眉を潜めて軽口をした。

 それを見て、アルミニウスも黙る。

 それを確認したアヴラムは笑みを戻すと高らかに言った。


「我が子の元へ案内せよ。」

 

 その言葉にアルミニウスは曇った表情になりつつも場所を伝えた。


()()()ユスタ様の寝室に。」


「うむ、では行こう。



 浮かぬ顔をするなや。政務しごとの話は道々聞くぜ?」


 歩みだしたアヴラムはアルミニウスの表情を見てそう言った。

 アルミニウスは顔を直すとアヴラムに従って報告を始めた。


「サリッソポロイ卿と南部諸侯幾人かが到着していないことを除けば、国内の有力諸侯が既に都に到達しとります。」


「さもあろう、さもあろう。

 何せ南部は無駄に広いからなァ。」


 前述したことではあるがヴェステンブルク大公国の国土は盾という異名に相応しく─"ヴェステンブルク縦に広しといえども"などという慣用句が出現するほど─南北に長大である。また放逐戦争当初の戦略的な事情から首邑としてのヴェステンブルクは四方を山と森に囲まれた盆地に建造され、街道があるとはいえ南北の行き来には少々の苦労が伴った。

 続けてアヴラムが思い出したように問うた。


「それで?宗主国プルーセンの方からは宮宰マーヨル・ドムスが来朝するとな?」


「はい、名目は出生を祝うプルーセン王の特使ということですが、」


 説明の中途でアヴラムが右手を上げてこれを制した。


「言うな。

 連中に策謀があったところでもてなさぬわけにはいかんのだからな。」


 アヴラムの嫌気を汲み取ったアルミニウスは話を変えることにした。


「コーブルク=ヴェステンブルク家の方々は御命令通りエピタフ宮にお通ししました。」


「うむ、そのまま押し込んでおけ、メシに宝飾品、それに眉目の良い娼婦メスも、たんと送っておけ。あの浪費癖のどもを一歩たりとも外に出すでないぞ。」


 アヴラムはまだ機嫌が悪いようだ。


「諸国の特使がいらっしゃいますぞ。

 本来、国外の来賓はエピタフ宮でもてなすのが習わしですが?」


 アルミニウスが判断を求めると、アヴラムは「あーっっ」と頭を抱えて一通り嘆いてから、平静を取り戻し「来賓の仔細を。」と云った。


「まず、宮宰の付き添いで従兄弟のクリバーン伯、森の国より国王プロスペロー二世の甥レシェク殿、ナヴァラより王太子フィリペ殿とその弟君ウィリアトゥス殿、ポルスカより大貴族マグナートスタニスワフ殿、太陽庁からキシェル枢機卿と大僧院長ピウス殿が参ります。ブリテンとエァルからの来賓は今のところ不明ですな。内海の向こうの諸侯も。」 ((3))


 ヴェステンブルク本家に於いて子が生まれた際には各国の国君が子弟や有力諸侯を祝いに派遣するというのが習わしであり、これはシーラスからエウロシャーダを防衛する盾であったことに敬意を表する意味からである。また大公が定めた祝賀期間の内に軍事行動を起こすことはナンセンスとされ固く禁じられた。そしてこれを破ったならそれは重大な協定違反としてエウロシャーダの全国家が敵に回ることを意味していた。今頃、国一つを挟んだガリアの戦場でも一時停戦がはじまっていることであろう。


「やむを得んな、夏の離宮を解放するか。

 それから国内の諸侯は城に招け。」


 アヴラムは風音に近い判断を諦めたように発した。

 来賓の人数と面々を鑑みるにヴェステンブルク城内のみでは泊めきれないと解ったからである。


「諸侯であれば既に城に集まっております。」


 素早く答えたアルミニウスにアヴラムは少し笑った。


「....ガリアとノースレイアからは?」


 少し考えた後、アヴラムは真面目な口調で冗談を言った。

 近年関係が劣悪化しきっているノースレイア。ガリアに至っては宗主国プルーセンが国土を蚕食している。


「来ますとも、来ますとも

 武器を手にした真っ黒な方々が。」


 傍らで黙っていたウジールが期待通り冗談に応じておどけたのを見て、アヴラムは笑った。


「はは、そいつは丁重にもてなせばなァ。」


 上機嫌のアヴラムの行く手に一人の男が跪いた。

 アヴラムが足を止めると男が緩慢な動きで顔を上げた。

 上げた顔を一瞬ではあったがまじまじと眺めてからアヴラムは愛称で呼んだ。


「おお、ランサーではないかァ。」


「はっ、キックリンゲン辺境伯ランシアリウス・ウェリーテース参上致しました。」


 そう名乗って立ち上がったのは壮健そうな男であった、

 既に若いとは言えないながら、鎧の下の隆々たる筋肉と逆立った金色の口髭が並々ならぬ生気を放っていた。


九王戦争ヒドラ以来かね?

 アランダキアの戦場 ((4))では汝の父君と勒を並べたのを覚えておる。」


 嬉々として語ったアヴラムに対してランサーは感慨深そうに目を伏せて言った。


「そして閣下の隣で討ち死にした。名誉なことです。」


「それはそうと、汝の寄越した娘には難儀しておるわ。

 何しろ私の指揮を待たず一騎駆けて敵をみなごろすんだからなァ。

 今やトクァル鎮の城主よ。」


 アヴラムはなおも愉快そうに彼の娘の近況をのべ、彼もまたもつられたように笑みを見せて云った。


「先ずは愚娘を取り立てていただいたことに感謝を。

 幼少期、サリッソポロイの翁に預けていたことが仇となりました。」


「いやなに、それでいいさ。

 裁縫や詩賦なぞに精をだし、何処ぞの貴族子弟の優男に股を開いているようではウェリーテース家の女らしくはないからなァ。

 それでは私はこれで失礼するよ。これから愈々我が子を見るのでなァ。」


 そうして話を〆たアヴラムにランサーが一際深く礼をした。


「今後ともウェリーテース家を是非に。」


 アヴラムは無言で行き過ぎた。


「お怒りになりましたかな?」


 付き従っているアルミニウスに対して、ランサーが図体に似合わぬ困り眉でそう問うたのを見て、ウジールがクスクスと笑いながら小声で「閣下が怒っていれば、直ぐにわかりますぞ。」と自らの首に手刀を当てて冗談を云った。


「置いて行くぞ。」


 構わず歩んでいたアルミニウスが云ったので、ウジールは「ではでは」と言いながら小走りで後を追った。


「閣下、続報をば」


 歩みながらアルミニウスが云った。

 先程、アヴラムがランサーと談笑している最中、下吏がアルミニウスに耳打ちをしていたのだ。


「申せ。」


 実際のところ、ランサーの足止めは少しく厭だったらしくアヴラムは足を早めながら短くそう言った。


エオズヌール(エルフの島嶼) ((5))より国王シンギリオン本人が直々に来朝すると。」


「奴め、また援助をせびりに来たなァ。

 宗主国プルーセンに兵を貸して儲けても結局はあの島に消える。

 九王戦争ヒドラの戦後処理でエオズヌールを飼うと決めた糞親父アウグストを殴り倒したいわ。

 まるで身中に大飯食らいの鉤虫でも飼ってる気分だぜ。」


 瞬時にアヴラムは苦い顔で愚痴をこぼした。


──エルフの庇護は太陽庁よりの御指示、背けば異端視されましょう。


 アヴラムが決して敬虔なペズ信教徒ではないことを思い出したアルミニウスはその反騶を呑み込んだ。


「新大陸からは.....」


 続けて報を重ねるアルミニウスにアヴラムが立ち止まった。


「よせよせ、

 最早口頭で言われても収拾がつかんわ。」


 ランサーの足止めやシンギリオン来朝の報もあり、うんざりしたようにそう言うアヴラムに対して、ウジールが袂から紙を出して歩み出た。


「ちょうどよい。

 キネアス君が来賓のリストをまとめてくれましたでのォ。

 生憎、続報の方は加筆されておりませぬが。」


「スウィフトの遠戚か、どれ。」


 アヴラムは下吏ながらキネアスの名を知っていたようで、気晴らしでもするように紙を手に取り暫く目を通してから吹き出した。


「ハッハー!

 南部諸侯の幾人といったが、ウジールよ。

 汝の娘たる盗賊騎士も遅参しとるではないかァ。」


「南部にて一仕事あったらしいので。」


 アヴラムの上機嫌を呼び戻したウジールは自慢げな表情を礼で隠してそう言った。アルミニウスも内心でウジールを褒賞したが、その表情はすぐに強ばった。三人は漸く寝室近くの廊下に至ったのである。 


「さて政務しごとの話はこれきり。後にしようぞ。

 取りあえずは我が子の顔を拝まねばなァ。」


「お待ちをっ」


 焦ったアルミニウスの躊躇いはそのまま口に出てしまった。

 それを聞いてアヴラムは怪訝な顔をした。


「なんだね?

 先程から汝ら、私を足止めようとしてはおらぬかァ?」


「先日に送った書簡に記しておらぬことがございます。」


 アルミニウスは洗いざらい伝えようとしたが、やはり躊躇いから核心が言えなかった。


「───性かね?

 息子か娘かは知らされていなかったな。」


 アヴラムが気づいたように問うた。


「.....はい、女子であります。」


 アルミニウスは静かに答えた。


「そんなことを気兼ねしていたのかね?

 くだらぬ、現に女子たる私とて玉座にあるぞ?

 後継の性などヴェステンブルクでは些事よ。」


 アヴラムは溜め息をつきながら言った。


「否、それだけではありませぬっ」


 そう言ったアルミニウスを見てアヴラムが青ざめた。


「もしや」


──死産

──産褥死


 二つの言葉が脳裏に過ったアヴラムは先日の「母子ともに無事」の報を忘れて駆け足になった。


「待たれよっ。」


 寝室の扉にアヴラムの手がかかったところで、アルミニウスが思わず彼女の袖を掴んだ。


「はなせ。」


 アヴラムの睨みにあてられ彼はゆっくりと従った。


「仕方ありますまい。

 己が眼にて確認されるのが良いでしょう。」


 傍らからウジールが厳粛にそう言った。


「ただし、覚悟なされよ。」


 そうして扉は開かれ、また閉まった。


  

 主の去った扉を前に二人は立ち尽くした。


「かなしまれるか、

 くるわれるか。」


 アルミニウスが不意にそう言ったのを見て、ウジールは宥めた。


「よろこばれるかもしれぬぞ?」


 アルミニウスの顔にこびりついた暗澹は拭えない。


「御子がはやじにしては何れにしても閣下は悲しむ。」


 ウジールは疲れたように扉にもたれ掛かって天井を見た。

 天井絵の唯一神ペズと目があった。


「御子の生死は神の御心ばえ次第だと言ったろうに。」


「.......」


 黙っているアルミニウスに対してウジールが語気を強めて言った。


「それに見たであろう?

 あの双子星が天蓋を貫く様を。」



「その示すところが御子()の雄飛であったなら。」


 ややあって、寄り添い駆ける二つの炎の星を想起したアルミニウスが憑かれたように平淡な声でそう言った。


「それが覇道であったとしても。」


 ウジールも天井を見たまま言った。


「治世の繁栄、国土の永寿の為に、忠勤するまで。」


 アヴラムの喜怒哀楽の何れともとれる金切り声、また赤子の発する一重の泣き声を背に、二人は声を合わせて若き日に学術都市(クヴァシル)にて死ぬほど習った信条を廊下の静寂に放流した。




─────────────────────


 アヴラムの公妃は名をユスタといった。

 姓はヴェステンブルクであり、アヴラムの従姉妹にあたる。

 彼女とその寝室に入ったアヴラムに就いて述べる前にヴェステンブルク大公の特異な婚制に就いて説明せねばなるまい。

 前述した通り放逐戦争以降に幾度かあったシーラス人による首都ヴェステンブルク占領を始めとした初期のシーラス=ヴェステンブルク戦争は熾烈を極め大公自身の戦死者─殉教君主とか報国公という─も数多く、兄弟けいてい相続が一般的であった。そのために僅か三百余年で百代近い大公位の交替を繰り返したわけだが、同時に女公─則ち女性の大公も少なからず出た。そこで問題となったのがヴェステンブルク家が騎士の呪いの感染者を輩出する家系だったことである。先天性の場合、母体を確実に殺してしまう騎士の呪いを持つ子が生まれるリスクがある以上、女公自身が子を生むわけにいかない。そこで代理父ともいうべき男を用意する。代理父はヴェステンブルク家の分家筋に当たりシーラス=ヴェステンブルク戦争の戦火が及びにくい最北部に所領を持つコーブルク=ヴェステンブルク家から適齢の男子が任命される。同時に女公に出来るだけ血縁の近い女を公妃とし、その間に生まれた子を女公の実子として扱う。また余談ではあるが、この婚制にまつわる宗教儀礼として代理父─或いはその候補者が先代大公の崩御に際して、遺品の衣を着て先代大公の棺の横で一晩を過ごすというものがある。この儀礼には、本来は大公家の人間ではない代理父に大公家の祖霊を降ろし血縁を塗り替えるという意味があり、放逐暦100年頃から脈々と行われていたが、衣や時を媒体に霊力や魂を置換するという考えはシーラス来襲以前の古代ヴェスラン人の信仰である。

 これを機会にヴェステンブルクブルク人の信仰に就いて述べるとする。放逐戦争以降のエウロシャーダ世界ではシーラス人の残した極めて整備された太陽神崇拝たるペズ信教が主として信仰されている。シーラス人が残したといってもシーラス人自体はペズなる神を多神教の一太陽神として信仰していたのだが、ここでは説明しない。非常に洗練されたペズ信教が広まる一方でヴェステンブルク人は自分達が有史以前に信仰していた宗教的な思想を完全には捨てることができなかった。故にこの放逐暦四世紀のヴェステンブルク人が信仰しているペズ信教の亜流ともいうべきものは原始的かつ呪術的なエスプリを過分に内包したものであった。

 先程触れた「衣と時」に話を戻せば、ヴェステンブルク人は物を「衣(包皮)」と「魂(内容物或いは本質)」に分ける思想があった。森羅万象は「衣」を纏った「魂」である。例えば樹木であれば、その樹皮が「衣」であり、枯木は軈て樹皮が朽ちて土に帰ると考えられる。禽獣であれば、皮や血肉が「衣」とされ、死ねばそれらが朽ちて骨のみとなる。人も例外ではなく皮血肉を「衣」とし、その上に纏う衣服は「衣」を補完する呪物と考えられた。故に前述したような衣服による魂の媒介が可能であるとされ、ヴェステンブルクの騎士や兵士は猛獣─例えば豹や獅子、狼の「衣」である毛皮を外套がわりに羽織って、その猛獣の武威をその身に降ろし戦働きに活かそうとした。

 このように「魂」から「衣」を奪い土に帰したり、「衣」を依り代に「魂」を媒介する手助けをしたするものが「時」であるとされ、枯れ木や死骸が朽ちる理由とされた。また土に帰った魂は不朽であると考えられ、その証左として樹木は不滅─実を結び種を落としまた発芽するという目に見えた輪廻を永久に行う─であり、禽獣や人は魂を収めていた不滅の容器として骨を残すとされた。

「衣」と「魂」の思想は建造物にも持ち込まれ、家屋の壁や屋根、柱などが「衣」であり、それらを取り払われた家屋では、内に収められた家具調度などは風雨で朽ち、内に住んでいた住人は去るのだといわれた。故に家屋の壁や屋根に隙間を設けることは避忌された。その為か、シーラス到来以前の出土遺構に見られる古代ヴェスラン人の家屋の入り口は極めて小さい。もっともシーラスによる占領を境にこうした狭い入口の家屋はさしたる理由もなく急速に数を減らしたことから小さな入口の理由には諸説があり、シーラス到来以前のヴェスラン社会は部族間抗争が激しく敵対する族人の侵入を遅滞させるために入り口を狭めたのだと考える学者もいる。何れにしても壁や屋根を「衣」とする考えの方は存在し、また脈々と伝えられた。放逐戦争以降、技術が革新し家屋の造りが精緻になるにつれて、今度は扉を呪物─内包するものを変質させることなく一時的に取り払うことができる「衣」であるという考えが生まれた。それ故にヴェステンブルク大公国で産出される扉は何れも精巧な彩飾が施され、人もまた扉を丁重に扱い手入れを怠らない。


 そうした背景もあり、アヴラムはこの上ない焦りの渦中にあっても静かに扉を開き寝室に入ると、扉が完全に閉まるまでその壁面に軽く手を当てて労った。

 部屋の中は暗かった。


「人払いをと云ったでしょう、アローマ卿....」


 疲れたような声がした。

 アヴラムの知るユスタの声ではない。

 アヴラムの知るユスタは小柄で穏やか、それでいて快活な女性であった。

 ここに至るまでのアヴラムの言を遡れば解るように、彼女はユスタを愛していた。恋愛とも親愛とも言える。そもそも安易に子を成すことができない騎士は同性間での恋愛に発展しやすい。加えて父公アウグストによる早すぎる後継者指名と、九王戦争ヒドラ後の平和によって、アヴラムの公妃となりぬべき女性としてユスタは早くから選考され、元から親しい従姉妹同士であった仲を一層深めたのだ。

 故にアヴラムはまだ見ぬ娘を探す前に確認するように妻の名を云った。


「ユスタか?」


「アヴラム?」


 即座に聞き返す声があり、アヴラムは寝台に向かった。

 目がなれるとそこは屠殺場のような風情であり、床やシーツの端々に血とおぼしき染みがある。


「帰ったのねっ」


 アヴラムが寝台の縁に至る前にユスタが身を乗り出して抱きついた。

 アヴラムは物理的かつ精神的な衝撃から倒れそうになる体をその場に止めてユスタを抱き返した。


「身体は良いのか?」


 アヴラムはユスタを抱えつつ、寝台に腰掛けると問うた。


「ガルドドリオ卿のお陰で私は何とも。」


 それは城の魔術師長の名であった。

 公式に亡命したシーラス貴族に出自を有している彼をアヴラムは好ましく思っていなかったが、このときばかりは「ありがとう」と暗闇に感謝をいった。


「それで我が娘は?」


 矢継ぎ早にアヴラムが問うた。


「生きてはいるわ。」


 ユスタの声色が暗くなったのが解った。


「まどぎわ」


 消え入りそうな声で子の場所が教えられた。

 見れば部屋の窓際にベビーベッドが置かれていた。

 近づけばベビーベッドの内は柔らかく清潔な布団で満たされているようであった。その中に掛け布団から首だけを出して埋まる赤子の寝顔が見えた。カーテンの隙間から射し込む僅かな光により暗がりでもその肌が白く見え、同じく白い布団に紛れて見えた。

 そしてアヴラムを驚かせたのはそのとなりであった。

 寝顔の右隣で布団の膨らみと見紛うたものが、無言で振り返った。

 それもまた赤子の顔であったのだ。


「双子であったか。」


 アヴラムの独白に右手の赤子が瞬きを返す。

 アヴラムは思わずその頬に手を伸ばした。左頬である。赤子は泣き出す様子もなく近づく指先を目で追っている。指先は右の赤子の頬を軽く押し、続いて左の赤子の頬を優しく撫でた。


「柔らかくて温け。」


 アヴラムは手をそのままに安心したように云った。目の前の娘が死人でないことが解ったためである。

 同時にアヴラムは二人を見据え違和感を覚えた。

 一瞬してその正体に気が付いたアヴラムが云った。


「近すぎる。」


 後ろでユスタの咽び泣きを感じる。

 隣り合って寝ているにも関わらず二人は頬が触れ合わんばかりの距離にお互いの顔がある。

 アヴラムは一つの疑念を抱き、それを確めるように指先を頬から顎、顎から首、首から肩へと撫で下ろしていった。


「───!!!」


 アヴラムは声にならぬ叫びと共に赤子から掛け布団を剥ぎ、カーテンを開いた。

 閃光に驚き、泣き叫ぶ右の娘の首は左手は、未だ目覚めぬ左の娘の首の右手に結合していた。首から下は普通の赤子とかわらず、泣き声に合わせて動いてもいる。


 暫くその様態を眺めたアヴラムは再び声を上げた。

 喜怒哀楽の何れともとれる声である。

 而してこれは鬨の声であった。

 古い伝承、紋章、二重の双子、二重の星、その全てが、ヴェステンブルクにもたらされる未曾有の栄華を暗示しているように思えたのだ。

 鬨の声はアルミニウスとウジールが寝室に入るまで長く続いた。


「くるわれたか。」


 アルミニウスは開口一番にそう言ったが、アヴラムは「はは、」と短く笑ってそれを否定した。


「狂ったものかよ。」


 唖然とする二人を他所にアヴラムは娘の泣き顔を撫でると続けた。


「双頭だよ、わかるかね?双頭だ。」


「というと」


 アルミニウスがおずおずと問うとアヴラムは娘を指し示して琳琅とした声でいった。


 エウロシャーダの空を貫いた星と同じ双頭!

 我が紋章、

 放逐戦争を勝利に導いた瑞獣たる"かの鷲" ((6))と同じ双頭!

 偶然ではなかろうなァ

 これは託宣だ!

 託宣はべておるよ!

 この上なく高らかに!

 ヴェステンブルクに栄華あれとな!




─────────────────────


○考注


 ((1))それぞれの国については考注(3)で述べる。


 ((2)) 「大黒旗たいこくき」或いは「皁鷲旗ぞうしうき」と呼ばれるこのヴェステンブルク大公家の旗は、主に栃の実を原料とする黒の染料で地を染めている。双頭の鷲の紋章を染める鮮やかな赤は「ヴェステンブルク家の鮮血」と呼ばれる特殊な染料である。「ヴェステンブルク家の鮮血」についてはよく「採集したシーラス人の生き血であり、白磁のごとき肌を持つシーラスは血もまた鮮やかであり染料に使える」ということが巷では云われるが偽りである。この「鮮血」の原料を遡れば南部原産のタタルチュクという果樹に至る。春に赤く小さな実をつけるこの果樹の樹液は実と同様に深紅である。実の方は酸味が強くまた渋いが加工され肉料理にかけるソースに用いられる。一方で染料に利用されるのが樹液である。まずタタルチュクの樹液を集めて壺に貯めてそこに藁を浸す。一週間ほど漬け込んだ藁を取り出して天日干しにし、漬け込んでいない藁と共に一週間ほど寝かせるという作業を五度繰り返す。五度目に漬け込んだ藁を天日干しし寝かせることなく、そのまま飼葉がわりに牡の耕牛に与える。一ヶ月ほど与え続けると耕牛の尿が紅色になる。それから耕牛に与える水の量を減らし、ぺニスを麻紐で固く縛り蒸し風呂に入れる。これをまた一ヶ月ほど繰り返し、その後、麻紐を解いてはじめて排出された尿を採集し染料に用いるのである。この作業は秘中の秘とされ、旗の素地を作る機織りから「鮮血」の精製に至るまで公妃や大公家の女に任されている。前述した「鮮血」をシーラス人の生き血とする噺は大公家の旗印に耕牛の尿を用いる不名誉を隠すために大公国の秘密警察組織「稗官府」が流したものと考えられる。


 ((3))それぞれの国々について説明する。

 先ず森の国とはヴェステンブルクの北に接するアサ半島の付け根に位置する国である。この地もまたシーラス人の呪いに侵されており、原住民のサーミと呪いにより知性と永寿を得た動物が緩やかな共生関係を気づいている。

 ナヴァラはエウロシャーダでも西のルシタニア半島に位置する国家であり白犬山脈を挟んで東にガリアと接している。この地の人間はシーラスの呪いにより驚異的な膂力を得ている。

 ポルスカはヴェステンブルクの北東に位置する。放逐戦争の頃に東部草原地帯のポリャーネ族、ヴィスワ川沿いのヴィスワ族、ブグ川沿いのブダン族、ゴプウォ湖畔のゴプラン族が連合しシーラス人を放逐して成立した。後にこれらの部族や同盟関係にあった馬追い人(ベズィミャンヌイ)の有力者がシュラフタやマグナートと呼ばれる貴族階級を形成し、入札により国王を選定する貴族共和制が成立したが、ヴェステンブルクから移ったスウィフト家の一部が次第に国政を壟断するようになり、スウィフト家の打倒を名目に挙兵した軍事貴族クルテヴィチ家が同時に有力なシュラフタを粛清し強固な専制君主制を打ち立てた。

 太陽庁はプルーセンとガリアの南、内海に突き出た長靴状のティヴェレイ半島にある。ペズ信教の中心地であり各地の僧院長を束ねる教王により統治される。自衛用の軍として22の騎士修道会からなる常備軍「大アルカナ」を有する。

 ブリタンニアはブリテンともいい、ガリアの北に浮かぶ島国である。この島ではシーラス人の呪いにより死人が吸血鬼として蘇生する。現在この国を統治しているレディチ家は吸血鬼の一族である。

 エァルはブリタンニアの西にある島国であり、魔術大国として知られエウロシャーダで唯一シーラス人の侵攻を退けている。アルスター、レンスター、マンスター、コナハトの四大国と数十の部族国の緩やかな連合国家。発達した魔術を背景にした軍事大国でもあり傀儡フォモールと呼ばれるホムンクルスの一種を産出し、これを用いた圧倒的な物量戦を以て更に西の新大陸に広大な植民地を有する。

 フィヨルドランズはアサ半島の北西に浮かぶ凍土にあるエウロシャーダ最北の国であり、フィヨルドに沿って作られた「ロンガ」と呼ばれる細長い都市国家の連合体である。

 内海の向こうの諸侯に就いて。

 エウロシャーダから内海を挟んだ西にある南方大陸には北岸の都市国家連合たるカルトハダシュト、東部荒地のチョン諸房王国(チェマラエンサ)、スーナ・イサなどといったエウロシャーダとは民族や文化が異なる族国が多く存在する。


 ((4))アランダキアの合戦は九王戦争ヒドラに於て唯一ヴェステンブルク大公国内が戦場となった戦いである。九王戦争ヒドラの詳細な経緯については後述する。


 ((5))エオズヌールはヴェステンブルク・プルーセンとアサ半島の間にあるオスト海の島であり、エウロシャーダの民とは民族系統が異なるエルフが住む地である。国を作らないアサ半島のエルフに対してエオズヌールのエルフは放逐戦争にも従軍した老王シンギリオンが統治する統一国家である。


 ((6))放逐戦争に於て初代大公トリストラム一世を導いたとされる知性を持つ双頭の鷲。右の頭は理性的な賢者、左の頭な苛烈な武人を思わせる人格を宿していたといわれる。

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