八
◯第八段「Chicago…Going to Chicago.」
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──Going to Chicago
Sorry but I can't take you──
「シカゴへ行くのさ。
ごめん、君を連れて行くことはできない。」
『レヴィー・ブレイク』from Untitled
Led Zeppelin 1971
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雨上がり、夕闇の迫った森林に伸びる街道である。
「ハッハー!
我らが太陽神を讃え奉らん!」
男は叫ぶと明らかにエウロ文化圏の物ではない曲刀を抜き放ち眼前の商いに向けた。
詠った内容は僧院や街頭によくいる修道士のそれであったが、継ぎ接ぎだらけ泥塗れの軍装やひどく昂った口調からして山賊であろう。
何より横転した荷馬車や、一所に集められ武装集団に囲まれた商いらという状況がそれを示していた。
商いは命乞いをするまでもなく、よろよろと二三歩下がった足を男の一閃で薙がれた。
悲鳴と共に切断された膝から下が路傍の苜蓿の中に転がっていった。
商いの苦悶と共に葉の上の雫がきらきらとふりおろされる。
「見たか!この商人野郎め、まるで尺取り虫だ!」
山賊は甚だ甲高い声で笑うと商いの腰から巾着を奪った。
「モルケストラ棒だ!3万タルカス程はあるぞ!」
巾着を手荒に振り回して鈴に似た独特の音を鳴らした。
「調子に乗んなカスがっ」
横転した荷馬車の上向きの車窓を破って躍り出た別の商いが天秤棒で山賊の頭を殴り付けた。雨上がりの泥濘にモルケストラ棒が散らばる。
「ってぇなコラァァァ!」
「どうしよう....。」
一際大きな木の翳に隠れて山賊と商人の乱闘を見ていたプラタは呟いた。
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およそ半日前のことである。
アルノーは自宅に併設された農具小屋の前に立ち、姉妹は小屋の軒先に座っていた。
「荷馬車なんぞ、久しく使ってなかったな。」
アルノーはいつ買ったのかも定かでない荷馬車の埃をはらいながら言った。
黒に近い車体は黴ているようにも見える。
「これで黒の山まで行くの?」
ソーニャは光弓の出し入れを繰り返しながら問うた。
隣ではプラタが蔦を編んで篭を作っている。
「そうだ。
しかしその前に補強して幌馬車につくりかえる。」
「......」
アルノーは自信ありげに両の手に槌と鋸を掲げたが、姉妹の反応の薄さを見て直ぐに下ろした。
姉の方に至っては不審の念しか宿っていない目をしている。
「お前たちは徒歩で国境を越えたのか?」
小屋から木材を次々運び出しつつアルノーが問う。
「いえ、タハル以西の丘陵地帯までは幌馬車だった。」
厭なことを思い出しつつもソーニャは顔色を変えずに答えた。
そこ所為かアルノーは無遠慮に質問を加えた。
「車作りに覚えは?」
「少しなら。
越境に使った幌馬車も半分ぐらいは私の作よ。」
それを聞いたアルノーの顔が少しく和らいだ。
「なるほど、よかった。」
予想外の発言の訳を察したソーニャの顔は逆に強ばる。
「まさか、あなた大工仕事とか出来ないの?
あれだけ自信満々に"つくりかえる"と云っておいて。」
「悪いか。」
じとりとアルノーが目を細めたのを見て、困り顔のプラタが「まぁまぁ」と和す。
「まぁ、一から作る訳じゃないから大丈夫だと思うけど。」
妹を見たソーニャはそれ以上食い下がることをせず補足を云ったが、アルノーは気分を害したのか黙々と作業に勤しんだ。
「噴井の赤に会わねばなるまいな。」
正午を過ぎようかという頃、いつの間にか機嫌をなおしていたアルノーがふとそんなことを口にした。
「ふけいのあか?」
「何それ?」
どうやらアルノーは物思いに没入していたらしく姉妹が首をかしげたのを横目に見て「おっと」と調子を整えると「噴井の赤」なるものに就いての簡潔な説明をしてやった。
「森にいるおっかない魔女さ!」
「まじょっ」
両手を頭上に掲げて驚かす素振りをするアルノーに対して、プラタは手にした篭こそ落としたが、動じないどころか餌を見つけた犬の様にその紅い瞳を耀かせた。
「.....ソーニャ、お前の母国では道化師のことを"マジョ"というのかね?」
無表情で尋ねるアルノーを見て、ソーニャは腕を曲げて「理解できない」という風につきなみなジェスチャーをしてみせた。
「女性の呪術師のことでしょ?」
彼女の問いに対して、「多少の齟齬はありそうだが、そうだ。」と仕切り直したアルノーは「薬湯、軟膏、熱冷まし....」と指折り数えながら唱えた。
未だ要領を得ていない姉妹を見たアルノーは溜め息をひとつ置いて説明にうつった。
「先日、お前に処方した薬の殆どは、噴井の赤の手によるものだぞ。」
ソーニャはその言葉に少しは感慨があったようで「なるほど、お礼ね。」と合点がいった様に返したが、アルノーはやんわり否定した。
「いやいや、薬を買いに行くのだよ。
この旅先では少なからず必要となろう。ただ....。」
アルノーが口ごもったのを見てプラタが「ただ?」と鸚鵡返しした。
「いや、些事だよ。些事ではあるのだが、気がかりがあってな。」
ソーニャは躊躇うアルノーに少し苛立ったようで、「何?」と腕を組んだ。
「先日、賭けで件の赤を大負けさせたのでな....。」
「....なるほど、会いにくいと。」
おずおずときりだしたアルノーに対して、ソーニャの方は拍子抜けだったようで腕組を解いて言った。
「仰るとおり。」
そう言ってアルノーは申し訳なさそうにソーニャを見た。
「じゃあ、どうするの?私たちに行けと?」
「いやいや、そんなわけにはいかない。危険が過ぎる。」
アルノーは抑えた口調で諭すように答えたつもりであったが、ソーニャはそれを自信なさげととらえたようで文字通りの一矢を放った。
光の矢は揺るぎない軌道を辿ってアルノーの足元に刺さった。
「........」
「これでもキケン?」
アルノーに怯んだ様子はなかったが、ソーニャは光弓を掌に仕舞いつつ得意気に言った。
「......折衷案で皆で行くのはどうだろうか?」
暫く考えたアルノーがそう言ったのを見て姉妹は揃って強く頷いた。
プラタは言うまでもなく、「魔女」に対する興味から強く頷いた。
ソーニャはというと自らの腕を認められたのだという幾ばくかの嬉しさからだが、実際にアルノーが募らせていたのは紛れもなく不信であった。
「賭けで大負け」云々と小言を言っていても最終的にアルノーは姉妹を留守番させ自分一人で薬を買いに出るつもりではあった。
而してアルノーは自らの眼下に刺さっては消えていった矢を見て、「果たして、この姉妹を二人だけで留め置いて良いのだろうか。」と考え始め、暫く無言にてそれを続けた。
無論のこと引っ越し前に騒ぎなどは起こしたくない。
更に言えば、そうした騒ぎなどが原因となって、この娘が密入国したシーラス人であること、またはぐれ騎士であること、その両方がバレては不味い。
ところがソーニャは隠すつもりがあるのかないのか、また近隣に隣家がなく人通りも少ないことを知ってか知らずか、軒先で揚々と光弓の手馴らしをはじめ、挙句の果てには戯れに一矢を放って得意気ときている。
アルノーは本能的にこの娘を一人、ないしは妹と二人で留め置いてはならぬことを悟った。
また、一拍遅れてアルノーは姉妹が面倒ごとを避けるために同道を求められていると知らず、無邪気にも嬉しそうにしていることに気がついて、前述したような心中を口にすることをやめて、かわりに手にしていた槌を置いた。
「昼にするぞ。
食べたら赤に会いに行こうぞ。」
アルノーはそう言ってから遠方の山裾に霞がかかったのが見えて眉を曇らせた。
──雨になるかもしれぬな。
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正式には「ヴェスロブルギエンシスの径」と呼ばれるこの街道はその名称の長さから巷では単なる街道と呼ばれていた。
この単なる街道は北は国都ヴェステンブルクに始まり、辿れば南のかたノースレイアの都たるノリクムに至る。千余年の昔にシーラス人がその征戦の一環として穿ったとされる大河が街道を半ばで絶っており、そこには同じくシーラスが建てたと言われる巨大な「カサネ橋」が掛けられている。このカサネ橋を境に北がヴェステンブルク、南がノースレイアの国土である。
山を貫く直線的な径、そこにはシーラス人が舗装したと言われる黒い石畳が隙間なく敷かれている。
この石畳には薄く幾何学模様があり、よく雨をはじき音も熱もなく瞬時に気化させる。路面は恰も煙っているように見えた。
「遠歩きに示し合わせたように驟雨とは太陽神も無粋な真似を致すものよ。」
楡の木陰で文句をいっているアルノーではあったが、口でいうほど悪くは思っていなかった。事実、雨で街道の人通りが経れば少しなりとも姉妹の素性を気付かれるリスクも減るからである。
そのようなアルノーの気苦労を他所に傍らでは姉妹は路上の煙をみて目をまるくしていた。
「珍しいか?
この舗装はシーラスの遺産だと聞いたが。」
アルノーが問うと、ソーニャは「そう?」とそっけない声を返した。
「けど、今のシーラスでこれを再現できる人はいないと思う。」
「ほう、シーラスは進んでるな。」
アルノーは皮肉ったが、嘘ではない。
シーラスは卓越した文明を築き四方を撫定した末に、それまでの文明を全て手放して崩壊したのだから、ある意味では進んでいるのだろう。
「あれは?」
不意にプラタが尋ねた。
指差す方を見れば黒の舗装の上に蟾蜍が見えた。
「蛙だな。
草原にはいないのかね?」
プラタはうんうんと頷くと、木陰から飛び出て捕らえるべく径に走っていった。
「これ、濡れるぞ。」
アルノーが咎めたがきかなかった。
「まぁ、濡れたら後で赤が暖かいハーブティーを振る舞ってくれるだろうさ。」
「賭けで大負けさせたんでしょ?」
素早く痛いところを突かれたアルノーは「機嫌さえ良ければな。」と付け足した。
そのとき、径の水煙の向こうで何やら騒がしい音や声が響いた。
木陰からアルノーが身を乗り出して臨むと疾駆してくる荷馬車の列がある。
よく見れば車列は後方から群がる騎馬に半ば囲まれている。
「隠れよっ」
状況を察したアルノーが径を挟んだ対岸に叫ぶ。
自身も騒ぎを目にしたプラタはこの呼び掛けには素直に応じて、一際大きな木の影に隠れた。それを確認してからアルノーとソーニャもそれぞれ別の木の裏に飛び込んだ。アルノーが脇目でソーニャをみれば、手慣れた様子で木に登り隠れて、狙撃手さながらに光の弓を構えていた。
「荒事はひかえよ。」
アルノーが小声で厳命すると、ソーニャは「わかってる」というふうに、じと目で頷いた。
「このまま行き過ぎれば。」
しかしアルノーが独白した矢先に、先頭から三台目の荷馬車が街道の石畳から外れて、道脇の株に当たって車輪を損い、周りにいた騎馬を巻き込みながら派手に横転して、アルノーらの潜む楡の鼻先で漸く止まった。
三台目以降に続いていた車列もこの事故を受けてあるものは停止したが大半は前方の荷馬車に追突した。
「くっ」
アルノーが唸ると、樹上からも舌打ちが聞こえた。
前方二台が後方を見捨てて走り続けているを見て、追撃してきた騎馬隊もこれを見逃し残された車列のみを完全に包囲した。
「でーてこーいっ」
騎馬隊の首領とおぼしき男が、短弓を車体に向けて乱射しながら叫んだ。
共通語ではあったがひどいノースレイア訛り、加えて脂ぎった縮れ髪に粗末な甲冑という風体からして、恐らくは山賊であろうとアルノーは推察した。
やがて車列からぞろぞろと人が出てきた。
こちらは彩りの豊かなトーガを纏っており、有産市民─厳密には商いであると思われた。
「これはこれは豪商の御歴歴ではないかー?
よろしければ金目のものを寄越して頂けますかな?」
首領の芝居がかった口調や大仰な手振りにあわせて、舞台装置のように驟雨が止み晴れ間が見えはじめた。この大声での問いに商いたちは「命だけは、命だけは、」と答えるばかりであった。
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日没が迫る頃、奪われた荷馬車には金品が満載されていた。
奪われたのは無傷だった最後尾の一台である。
商いたちは戯れに殺された数人を除けば先程まで無事であったが、天秤棒を手にした若者の反抗を皮切りに目を覆わんばかりの大乱闘になっていた。
幾人かの商いが道脇の森に逃げ込んだが、既に戦利品を荷馬車に載せ終えている山賊はそうした逃亡者に構わず、奪還に立ち上がった者たちとの戦いに傾注していた。
アルノーは相変わらず楡の影で座り込み、懐刀を手に緊張した面持ちで背後の騒乱を窺っていた。
既に乱闘の中核は、横転した車列の先頭から車列の最後尾に移っていた。
──これなら、機会をみて対岸のに渡り、プラタを救って退散できるな。
アルノーはソーニャの方を見て、弓を引く手振りで「援護しろ」と合図をした。ソーニャは頷いていたがアルノーは本当に伝わったのか少し心配になった。
その不安を振り払って、自分が辿るべき道筋を確認する。
──先ず、横転した馬車の裏に隠れ迂回して対岸へ。
アルノーは心中でそう唱えてから、一拍置いて決心を固めると楡の影から飛び出した。
山賊が石畳の上に無造作に散らばした金目のもの以外に足をとられぬように、最後尾の喧騒を横目に横転した馬車の裏に滑り込む。
車列の後方を窺えば、来矢はなく感づかれた様子もない。
アルノーがもといた楡の木からでは車列が影になっていた所為で、対岸側の様子が窺い知れなかった。そのために彼の不安は増大した。
実際のところ車列の影──対岸側でも同様に戦闘の中心が最後尾に移っていたが、アルノーは道筋の確認と不安のせいで見逃しをしていた。
それは累累と重なった車列の屋根である。
その屋根に乗って器用に戦っている者たちがいたのだ。
横転した馬車の裏にたどり着いたところでアルノーはそれに気がついた。
やや上方から二人の男が争う声がしたのである。
「いい加減諦めろや商人野郎がっ」
「こっちだって破産するわけにはいかんのでね!」
掛け合いは打撃音とともに次第に大きくはっきりとしたものになっている。
どうやら屋根で争う二人が戦場の大きな動きとは逆に車列の前方まで移動してきたらしい。
アルノーはまた息を潜めていたが、「死ねぃっ」の一声とともに一人が彼の目の前に無様に落下した。
落ちたのは山賊の方であった。天秤棒でタコ殴りにされた上、石畳に尻から落ちたとあって「尾てい骨がー」などと悶えていたが、直ぐにアルノーを認めた。
一方で彼を車体から叩き落としたのは戦端をきった若い商いであった。
「じいさん生き残りか!?早く上へっ!」
若者がアルノーに手をさしのべる。
アルノーは身なりからして明らかに商いではないのだが、若者の方もやや動転しているらしい。
アルノーもまた、動揺しながらもここで「対岸に女の子が」等と高らかに言ってしまうことは愚策であると考え若者にしたがって横転した車体に乗ろうと手をとった。しかし同時に足をとられた。山賊が足首を掴んだのである。
「放さんかっ」
アルノーが足にまとわりつく忌まわしい掌を蹴ると山賊は顔をしかめたが離しはしなかった。
仕方なく開いた片手で懐刀を抜いたアルノーは、足元に投擲した。
近距離からの投擲だったこともあり、幸いにして懐刀は山賊の肩を射抜いた。
これには山賊も手を離し再び石畳に倒れ伏した。
漸く車体に乗り「よし」と言ったアルノーに対して、逆に車の上の若者は「くっ」と唸った。
眼下で倒れ伏した山賊が懐から燧石式の短筒を抜いたのであった。
アルノーがいやに冷静に「なぜはじめから使わなんだ?」などと考えていると山賊が吠えて短筒が車体の上に向けられる。
「散弾なら外さめぇ!」
「単に射撃が下手なのか。」と一人で納得しているアルノーの襟を掴んで若者が下がる。
その刹那、銃声が響いた。
やはり山賊は射撃が下手だったらしく、弾は当たらずアルノーの右隣を通過して空に上がった。
更に言えば弾は散弾ではなく、夕焼け空に目立つ青い煙を吐き出しながらある程度まで登ると破裂音と閃光をあげて四散した。
「信号弾!?」
アルノーが額の汗を拭いながら誰にとなくいった。
山賊は逆に狼狽えながら汗を噴いている。
「まさか弾のこめ間違え?」
先程まで焦っていた若者も冷めた様子でいった。
山賊は諦めず懐からごそごそと本物の散弾を探った。
ここに至って漸く光矢が飛び探る腕の肘に刺さった。
「遅いぞ。」
アルノーが呟きながら樹上を見ると葉に紛れたソーニャは実に愉しげにウィンクを返した。
しかし状況は既に悪化していた。
信号弾を見た最後尾の山賊たちが前方に戻ってきたのである。
武具の差もあり最後尾に立ち向かっていった商いは潰滅してしまったらしく、山賊たちは直ぐに二人が乗る車体を囲んだ。
「逃げた連中が町に知らせたかもしれねぇ。
ここで信号弾なんて上がったら俺らの場所はまるわかりだぜ。」
「すぐに町から追討の騎士団が来るぜ。」
囲んだものの山賊たちは焦った様子で口々に不安を言った。
「手こずらせてくれたな餓鬼。」
首領が天秤棒の若者に言った。
「ひとの商いの邪魔をしといて、
自分の略奪に手こずってんだから、様はねえぜ。」
若者は怯んだ様子もなく唾棄した。
「悪いが俺はこの近隣に駐留してる或る騎士と顔が利く。
さっきのゴタゴタに紛れて使いを出した。
(その上、信号弾も上がった。)
早く立ち去らねぇとそいつらが来ちまうし、
戦利品を持って遅々と逃げたんじゃ、追い付かれるぜ?
金品も棄ててった方が身のため───」
「では、この戦利品は如何様にするべきですかな?」
若者の警告を破って対岸の森から現れた山賊の一人が言った。
軍装も糞もない山賊集団にあって一人だけ絹のテュニカと板金の胸甲を身に付けたらスキンヘッドの長槍持ちであった。
そして槍を手にしていない左手はまた別の手に繋がれていた。
それはプラタであった。
手つきや物腰は淑女をエスコートするような風情であったが、右手の長槍が彼女を威圧し従わせていた。
「殺しますかな?」
冷淡な笑みを見せた槍持ちに首領が「おう、やれ!」と号令する。
アルノーは視界のでソーニャが光弓を強く引き絞っているのを感じた。
「貴方には訊いておらぬ。」
「なにを馬鹿いっておる!?
このままでは此奴の言う騎士とやらが──」
突如として首領が口を縫われたように押し黙り、縫い針さながらに首領の革鎧を裂いて胸から刀身が突き出た。
「もう、来ていますよ。」
背後よりの風のような声が首領の耳許でそう告げた。
而して首領の背後にいたのは板金甲冑の騎士ではなく、革のベストを着た人物であった。身なりからいえば傭兵や山賊であり、胸甲を身に付け、すね当ては左右跛。レイピアとは別に腰に下げた刀も騎士のそれとは程遠くほとんど鉈だった。
兜と口許を覆う布で顔立ちはわからなかったが、手にしたレイピアが首領の胴を後ろから貫いている。
「もう、来ていますよ。」
もう一度、はっきりとした有声音でそう告げた。女の声であった。
同時にレイピアを抜き去ると首領は石畳の上に崩れた。
それを合図に数人の山賊が各々手近にいた別の山賊を斬り伏せた。
残った山賊たちは、ここ寝返りに怯んで距離をとり、口々に疑問を呈した。
「見ない顔だ。
仲間ではないんじゃ....。」
「だれだ....。」
女はその疑問に耳をすませるように黙ってレイピアの刀身を袖口で拭き、その間に左右の森林から同じ山賊装束の一団がぞろぞろと現れた。
一団が出揃ったところで女は「こほん」と咳払いをすると、顔面を覆う布を取り去り、同時に兜も脱ぎ捨てた。傭兵や山賊に近く野卑といった印象を受ける装備と全く調和しない風貌が現れた。髪は黒であるが、眉のみ白。兜の束縛から解放された髪はうなじ付近で結ばれ、縛っているのは小汚ない麻紐ながら、結び目は金の象嵌細工がある見事な象牙の簪で留められおり、背中の中腹まで下がった。そして顔立ちはエウロイのものであるが、暗い紅の瞳と眉の白が彼女の遠祖を物語っていた。
「畏れ多くも今上大公アヴラム閣下の寵を得て私掠盗賊卿 の爵位を賜った我こそはアイゼリン・ロート也!」
女は高らかと名乗りを上げた。
「ロートっ?」
あまりにも有名なその姓にアルノーが思わず小さく叫んだ。
「おいおい、冗談キツいぜ。
私掠盗賊なんて都市伝説だろ?
プルーセンとヴェステンブルクがノースレイア商人を牽制するために流したデマって話だぜ?」
プラタを捕らえている槍持ちが呆れたように言った。
「ふっふっふ、知らないのも無理はないでしょう。
私掠盗賊卿の爵位を持っているのはヴェステンブルク縦に広しと言えども私だけですから!
サァ!壇上のお二方並びにそこのいたいけな少女を解放してください!」
アイゼリンは空洞になったレイピアの柄から私掠免状なる紙切れを取り出して掲げた。
「許可状があるからなんだというんだ!
所詮は盗賊だろ?数なら俺たちの方が多いぜ!」
山賊の一人が声を上げた。
「ナメるんじゃありません!
我々私掠盗賊部隊は盗賊の中でも選りすぐりの精鋭。
更にアヴラム公閣下が気が済むまで鍛えているんです。
その証左に大公の信はあつく、私掠のみならず、我が義父にして大公付き主席助言者のウジール・ロート侯爵の護衛や世話、即応部隊の指揮、街道の整備等も任されているんですから!」
アイゼリンはそこまで言ってから、頭が逆上せあがったように黙って息を整えた。暫しの沈黙の後、山賊の一人──長柄の戦鎚と丸盾を手にした短身の小太りが口を開いた。
「よくわかんねぇが、
要は雑用ってことか?」
「雑用....。
殺しますよ?」
まだ息を整えているアイゼリンが静かに呟いてメイス持ちを睨む。
一方、山賊たちは小娘の長々しい自己紹介を絶ったことに大喜びで、外野からも「図星かぁ?」などと野次が飛んだ。
「上等だコラ、かかってこいやパシリが。」
メイス持ちが煽ると「かかりますとも!」と快活に叫んでアイゼリンは躍りかかった。
それを号令にアイゼリンの配下も斬り込み、一帯は再び戦闘の渦中に引き戻された。
メイス持ちはレイピアの鋭い突きをメイスの柄と左手の丸盾で軽々受け流し笑った。
「そんな貧弱な剣で貫けるかよっ」
挑発的に叫んだ直後、メイスの柄は砕けた。
アイゼリンはいつの間にかレイピアを鉈に持ち変えていた。
「助言痛み入りますそれでは死ね。」
アイゼリンが身を翻して平行に胴を薙ぐこと三度。メイス持ちは倒れた。
喧騒のなかアルノーは車体を降りた。
「そこな槍持ち!
てめぇの仲間はもう終わりだ!
私掠盗賊部隊は伊達ではない!さっさと娘を解放せぃ!」
未だ車体を降りていない若者が人塊から突き出た長槍に向かって叫んだ。
「のもう」と一声、槍持ちはプラタを手放して走り出した。
若者が天秤棒を構えて迎撃体制をとると、槍持ちは長槍の石突で地面を刺突し棒高跳びの要領で跳躍した。槍は刃に近い首を握ったままである。
若者が驚く間もなく戦場の頭上を飛び越えた槍持ちは車体の上に着陸した。
一刹那の後に我にかえった若者が天秤棒を振り下ろすと槍持ちはかなり短くもった長槍で器用にこれを防いだ。
車上で一騎討ちがはじまるなか、ソーニャの援護を得たアルノーは戦場を縫って漸く対岸のプラタに辿り着いて、これを抱き寄せた。
私掠盗賊部隊は確かに個々の錬度は高かったが、やはり数の差で山賊勢に押されていた。山賊は恐れていた追討の騎士団が、このような山賊まがいの小勢であったことから怯んでこそいたが退くそぶりは見せなかった。
「そろそろキツいですね。」
アイゼリンはそう言うと今まで相手をしていた山賊を手荒に蹴り飛ばし道脇の楡の木を見た。
「援護お願いしますっ」
潜んでいることに感づかれたソーニャが驚くと同時に、実体の矢が楡の後方の森林から放たれた。
実のところ援護の要請はソーニャに向けたものではなかった。
矢は二本、手始めに楡の目の前にいた二人の頭を射抜き、その後、上昇、旋回、滑空、落下を繰り返して迅速に山賊を虐殺していった。
山賊は瞬く間に数を減らし、五人にまで減って漸く武装を解除した。
時機をみてソーニャも樹上から降りてアルノーらと合流した。
驚いたことにアルノーに抱えられたプラタは既に寝入っていた。
一段上の二人のみが気にもとめず一騎討ちを続けていたが、アイゼリンらも二人を気にしなかった。
「アイツか。」
私掠盗賊部隊に身体検査されながら山賊の一人が嘆いた。
山賊の視線の先、楡の木の後方を臨めばローブの少女が立っていた。
少女が気だるげな表情で掌を出すと矢は手元に戻っていった。
不意にアルノーがそれをみて「僥幸僥幸」と言ったので、ソーニャは眉をひそめた。
先ほどの自己紹介と同様にアイゼリンは高らかにこの少女を紹介した。
「ふっふ、紹介しましょう。
彼女こそリュミー・ロート!
私掠盗賊部隊の筆頭魔術師です!」
それに対して、リュミーから力のない声で反論が返ってくる。
「筆頭魔術師といっても、
そもそも所属魔術師は私だけだし
その上、幽霊隊員だけど。
あと人前で紹介するなら愛称ではなく、ちゃんとリュドミラと云って。」
しかし反論などなかったようにアイゼリンの紹介は続く。
「ノースレイア人は勿論ヴェステンブルク人からもフケイノアカと呼ばれて恐れられています!」
「僥幸」の意味が解ったソーニャが驚いた様子でアルノーを見た。
「薬売ってるし、
寧ろありがたがれてもいいと思うんだが。」
「魔術の名門東カルデラレイア大学卒!」
「いや、中退。」
「若くして!」
「あんま言いたくないけど、
そこまで若くないよ。」
「前大公アウグストに仕官!」
「後に左遷。」
「軍中の絶精鋭たる─!」
「軍中の雑用同然の─。」
「私掠盗賊部隊に!」
「ファッキン盗賊部隊に。」
「堂々編入したのです!」
「泣く泣く編入ね。」
矢継ぎ早に否定を繰り出すリュミーを見てアイゼリンが無表情になった。
「....あの、話の腰を折らないでくれますか?姉者。」
「では、私の経歴を詐称しないでもらえる?妹よ。」
リュミーは毅然と返した。
その返答にアイゼリンが思い出したように補足を加えた。
「あ、いい忘れてたけど、私の姉です!」
リュミーは補足に対して咄嗟に反論を加えようと口を開いたが、すぐに塞いで遠方でニマニマするアイゼリンを見てから、納得いかなそう「これはホント。」
「義理なんで似てませんがねぇ。」
一通りの紹介を終えたアイゼリンが得意気に言った。
「まったくだ。
紹介痛み入るそれでは死ね。」
リュミーは手にしていた矢をアイゼリンに向けたが、特段驚いた様子はなく逆に諭した。
「そういうのはあとにしましょう姉者。
先ずは仕事をば、現場検証ですよ、現場検証。」
「今更なにをいう。」
二人は会話を続けながら車列を挟んで平行に後尾を目指した。
会話が済むとアイゼリンは振り返ってアルノーらに呼び掛けた。
「あ、そうだ。そこの御老体と淑女、あと壇上のお二方も、ついてきてくださいね。証言を聴かせてもらいますから。」
リュミーはアルノーの存在に感づいているようだったが、根にもったままなのかなにも言わなかった。
再び歩みだしたアイゼリンが時時振り向いて、「どなたか知りませんが信号弾はナイスでしたよー。」などと当たり障りのない言葉が飛ばし、プラタを背負ったアルノーが適当に相槌を打った。
「まぁ、前日に匿名ながら"明日隊商の襲撃がある"の報はあったんですけどね。肝腎な場所が書いていない。街道は広いから困ってたんですよね。」
探るような視線が前方を行く横顔から発せられているのをアルノーは肌に感じた。
───山賊女の紅い目は既にこの子らの出自を捉えておる。
そんなアルノーの緊張をやぶって後方から声が発せられた。
「その報は僕のものですな。」
いつの間にかアルノーの後ろに立っていた槍持ちであった。
隣には天秤棒の若者もいる。
「おまえっ」
思わず叫んだアルノーに対して、槍持ちは「しー」と唇に薬指を当てた。
見れば彼は人指し指を欠いていた。
「姫君が起きてしまう。」
「何が姫君じゃい。山賊がぬけぬけと。」
アルノーが威嚇がわり「ふん」と鼻を鳴らすと槍持ちはにっこり笑った。
「レピドゥスとお呼びくださいな。
それと正確には山賊ではなく傭兵ですがね。」
「ふん、さして変わらんわ。それで姓は?」
アルノーが問うとレピドゥスは更に笑った。
「よしてください。
今は姓などない下民。
嘗ては名もない孤児でした。」
「名もない?
ナニもないの間違えじゃねぇのか?」
そう横槍を入れたのは隣の天秤棒の若者であった。
「一騎討ちの最中に股を蹴りあげてやったんだが無反応、その上坊主ときたら十中八九、元宦官だろうよ。」
思い出すのも忌々しげに続けた若者に対してレピドゥスは照れたように「フツーに痛かったですよ。」と返した。
「はは」と笑ってから前方に向き直った天秤棒の若者も名を名乗った。
「そうだ、俺も名乗らねばならぬな。
レテイアリウス・ロートだ。長いからレットでいい。」
「では私もレピでよろしいですな。」
「アルノー・ヘタイロイだ。」
アルノーは「この二人はどうやって和解したのだろうか」などと考えながら空返事に等しい名乗りを上げ、「それから傭兵、お前は張り合わんでいいぞ。」と付け加えた。
気がつけば一行は車列の最後尾に着いていた。
「さてさて、」
アイゼリンはそう言って深く息を吸った。
「骨董品、骨董品、飼葉、骨董品、雑貨、穀物、骨董品、宝飾品、骨董品、骨董品、モルケストラ棒、骨董品、飼葉、骨董品、骨董品、護衛。」
一息にそう唱えたアイゼリンを見て、一同は目を丸くした。
「各々の荷馬車の積み荷ですよ。」
「骨董品が異常に多いな。」
アイゼリンの説明を聞いたアルノーが思ったことをそのまま口にした。
「骨董品の多さに眩まされるが、モルケストラ棒と宝飾品が荷馬車一台分あるのも異常ね。」
それまで黙って荷馬車に腰掛けていたリュミーも補足を加えた。
「むっ、確かに。」
補足を聞いたアルノーに馴れ馴れしく返されたのが気に入らなかったのかリュミーはまた黙った。
アイゼリンは「はてさて」と顎に手を当てるとレピドゥスを見た。
「槍持ちさんはどうして、襲撃をわざわざ予告したんですか?」
「山賊との取引内容に不審な点があったので。」
レピドゥスは待っていたとばかりに即答した。
「場所が書かれていなかったのは?」
「正確には報告というより保険ですな。
万が一山賊がトチって捕まったときに弁明のタネにと。」
得意気に言ったレピドゥスの隣でレットが呆れ顔で「それ言った時点で無効じゃねーか。」と呟いた。
「ほう、不審というのはどのような点ですか?」
アイゼリンは弁明のタネという点は気にしていないようで質問を続けた。
「積み荷の詳細が不明。飛び入り参加の僕に対して報酬が山分けとやけに羽振りがいい。等々ですね。」
「それは疑いますね。」
レピドゥスの回答に対してアイゼリンはやれやれと笑った。
「危うく犯罪の片棒を担がされるところでしたな。」
「いやいや、がっつり担いでたでしょ。」
安堵した様子のレピドゥスにリュミーが思わず突っ込んだ。
「この襲撃なにやら裏があるかもですね。」
そう言って不敵に笑うアイゼリンに向けてアルノーは問うた。
「別件で聞きたいことがある。」
「リュミー以外の魔術師──もう一本の矢の持ち主のことですか?」
アイゼリンはアルノーの問いを言い当てて見せた。
実際アルノーは先程の戦闘で飛び交っていたもう一本の矢に覚えがあった。
しかし合否をアルノーがいう前にアイゼリンは続けて答えた。
「貴方の予想は恐らく正しい。
うろ覚えですがヘタイロイの名を聞いたことがあります。
貴方、先代の私掠盗賊卿の縁者では?」
その言葉で全てを悟ったアルノーは天を仰いだ。
──ああ、やはりアグリッピナが団に戻ったんだな。
それからアグリッピナが潜んでいるだろう森を向いて言った。
「それでも、アグリー。
先代私掠盗賊卿の娘である君を嫁取ったことは後悔していないよ。
でも、すまない。黒の山に赴かぬ訳にはいかない。」
返事はなかった。
「先代に免じて、あなたがた三人は見逃しましょう。」
顛末を見届けたアイゼリンがそう言った。
すっかり暗くなり黄昏時になり西の空の端と先程放たれた信号弾の光のみが輝いていた。
その光景にアルノーが違和感を覚え、暫くしてその違和感の正体に気がついた。
「信号弾にしては長らえすぎだ。」
光が突如二つに別れた。
それは信号弾ではなかった。
二つに別れた光が轟音とともに尾を引いて一行の頭上を平行に過ぎ去った。
「二重の彗星」
皆が唖然とする中、リュミーがそう呟いた。
都からの速報を意図せず知った姉妹を含めてこの場の人間にその彗星の示すところを悟った者は居なかった。
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○考注
私掠盗賊部隊はシーラス=ヴェステンブルク戦争の際に39代大公雪亥によりエウロシャーダ世界初の常備軍として組織された。ヴェステンブルク以東の草原に繰り出してシーラス軍の兵站網を破壊することを任務として盗賊・傭兵・小作人などから徴収された。西でシーラスと戦っていたブリタニアやエァル、ナヴァラなどの国で発生した私掠海賊をモデルとしており私掠盗賊は「陸地のプライベーティア」を意味する。盗賊といっても設立当初は草原地帯での活動が主であったため構成員の大半は馬賊であり、小作人などから徴収された下位の兵は後方支援等に少数運用された。
放逐暦123年に雪亥がベレンガリオの嶼の合戦で無謀に近い騎馬突撃を繰り返して戦死した際に私掠盗賊部隊も一度全滅したが、53代大公イルナクによって再建された。後にヴェステンブルク大公国の仮想敵国が衰退したシーラスから南方のノースレイア王国に変化するにしたがって徴用される盗賊も馬賊から南部森林地帯の山賊へと変化していった。