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◯第七(プラトー)「猫の足には鉄の爪」


────────────────────


 都市としてのヴェステンブルクは国土の北部に位置し、300年前のヴェスラン人の首邑をもととしている。

 元は巌山の山頂に築かれた簡素な砦であったらしいが、ベレンガリオ公の代に大幅な改築が施され四方を削成した堅牢な城塞となり、更にシーラス人による度重なる首都(ヴェステンブルク)占領から解放されるその度ごとに周辺の市街を囲む城壁が築かれていった。


 城の広間の大理石の上をせわしなく人が行き交っていた。


「イティル・ヤスラン侯 穆罕默德厄斉児(メフメット=エジル)さま、御到着。」

「西カルデラレイア伯 豪格(ホーゲ)さま、御到着。」

「ホルガー鎮城主 古提(グティ)さま、御到着。」


 御子の誕生を知った従属諸侯の到着を知らせる報が続けざまに響く。

 発したのは広間に至る石段を漸う登り終えて息を切らす若い下吏であった。


「お通ししろキネアス。

 その上で大公の不在を弁明いたせ。」


 広間の彩飾を取り仕切っていたアルミニウス・アローマは振り向いて素早く厳命すると再度向き直った。彼は杖を頼りに支えられた枯れ木の様な痩身からは到底わからぬことであるが、ヴェステンブルクに四代にわたり使えた家宰であった。

 キネアスと呼ばれた下吏は「はっ」と一声、広間を出ようと振り返った。


いやはや、

 馬追い人(ベズィミャンヌイ)諸侯は到着がはやいですな。」


 誰にともなくそういったのは大公付助言者のウジール・ロート侯であった。

 剣呑としさわがしい広間にあって彼のみが暇そうに、アルミニウスとは対照的にややふくよかな体を玉座にのせていた。


「おう、キネアス君。

 古提グティ殿に今年の馬乳酒の出来を問うてきてくれまいか?」


「はっ」


 キネアスは厭な顔をせずに応えて、広間を出て早足で城の石段を降りていった。

 ウジールは咳をしながらキネアスに長々と手を振っていた。


「任せきりで悪いのォ、アローマ卿。」


 アルミニウスは帳簿に筆を踊らせながら返した。


「構わんさ。

 汝は主席助言者、私は家宰であるからな。

 主席助言者は大公の不在に際して玉座を守らねば。」


 ウジールは「なんのなんの」と頷くと己のこめかみに人差し指を当てた。


「いやさ、これでも頭は働かせておるのだよ。

 此度の奇瑞が吉凶禍福の何れをもたらすか。

 また、それをどのようにして大公にお伝えするかをね。」


 その言葉にアルミニウスは先日の産褥を生々しく思い出し、苦い顔になった。


「そもそも、あの有様ありようで御子は生き永らえるのか?」


 アルミニウスが問うとウジールは天井を見上げた。


「さぁな、生憎と医術の覚えはなくてな。

 それこそ、神のみが知る所であろうよ。」


──学術都市クヴァシル ((1))にて一時とはいえ医学を履修していた者が何を言う。


「汝が神を語るとは珍しいことよな。」


 そう言って、アルミニウスは呆れ顔を同窓の友(ウジール)から帳簿に戻して作業を続けた。

 こめかみに指を当てたままウジールは暫し飾られゆく広間を見下ろしていたが、不意に「おっ」と声を上げた。


「お戻りかい?キネアス君。」


 小馬鹿にして云うウジールの視線の先、再び石段を登り終えて息を切らせていたキネアスの手には書簡があった。

 アルミニウスは帳簿を小脇に抱え書簡を受けとり、文面を一瞥してから唇を曲げて「むぅ」と唸った。

 アルミニウスは玉座の上からウジールが平手を眉にあてて覗く様な手振りを行ったのを横目に見て書簡の内容を伝えた。


宮宰マーヨル・ドムスが御運びになると。」


 彼はひどく婉曲にそう伝えたが、直ぐにウジールは理解して眉間に皺を寄せてアルミニウスしたように「むぅ」と云った。


「日取りと目的はあるかね?」


 ウジールは問いながら、先程まで膠で繋がれた如く離れようとしなかった玉座を立ち、そそくさとアルミニウスの隣まで降りて書簡を覗いた。


「"書簡のうえでは"、一月の後に御子の誕生祝いの為とある。」


 アルミニウスが含みを持たせて云うと、ウジールは「ふん」と鼻をならした。


「あの家の人間が謀ごとなくして動くとは思えんね。」


 思い当たる節を浮かべる様に自らの顎に手を添えたウジールを見て、アルミニウスは書簡を巻き直した。


「莫伽にするな。

 わかっているとも、

 少なくとも媚酒の御筵に誘われた訳ではあるまいよ。」


 彼はそう言いながら書簡をキネアスの手に戻して再び下がらせた。ウジールもまた玉座に下がりながら頷いていた。


「であったとしても酒席の用意はせねばならんがね。」


 アルミニウスは苦笑うと広間の彩飾を下吏に任せて己の執務室に戻っていった。


「北が気になるのォ。」


 残されたウジールは再びこめかみに指を当てて思考の海に戻る前にそのように呟いた。

 




────────────────────


「ユスタからのふみは無いのかや?」


 天幕の深奥、寝台に裸身を転がし、上身をクッションに埋もれさせて、足をばたつかせながらアヴラムは疲れた声を問うことに使った。

 今夜の夜営地は吹雪いていたが寝台の傍らにある炉のお陰で寒くはなかった。


 

「はい、閣下。報告によれば──」


「生きてるんだろうなァ?」


 いつものように円卓にて書状の精査にあたるディミトリがいい終える前に、クッションの隙間から目を覗かせてアヴラムは問いを重ねた。


「報告であれば、母子共に息災と告げておりますぞ。

 儂一人が虚報を奉じたところでどうにもなりますまい。

 それほど疑うのであれば御自身で書状に目を通されては?」


 彼が淀みなくそう言うと、アヴラムは怒るでもなく寝台の上を左右に転がった。


「勘弁しろや、

 騎行の疲れで肢股が千切れそうだわ。」


 言ってからアヴラムは転がるのを止めて四肢をクタと大の字に広げた。


「であれば、これほど急かずとも良いのでは?」


 ディミトリが一通り目を通した書状を束ねながらそう言うと、アヴリルは広げていた右手でディミトリを指さした。


「これでも、押さえてる方だぜ?

 許されるのなら、後続の兵隊なんぞは全部ぜーんぶ置いて汝と二人で都まで駆けているところよ。」


 円卓を立ったディミトリはわざとらしく深々と一礼をした。


「光栄ですな。」


「ふ、心にもないことをいうモンだなァ。

 私はわりかし本気なんだぞ?」


 アヴラムは笑って右手の手掌を解いた。


「本心ですとも。

 虚報を奉じたところでどうにもなりますまい。」


 それを聴いたアヴラムは再び俯せになってみせた。


「つくづくと君主たぁ因果な商売よなァ。

 時偶ときたま、臣下の諫言の虚実が─忠恕からなのか私欲からなのか解らなくなるわ。」


「今日の閣下は感傷的センチメンタルであらせられる。」


 表情の測り知れぬアヴラムに対して、表情の無いディミトリがそう言った。


「そうかね?

 親父アウグストはよく"お前は感受性を母の子宮はらに置いてきた"と言ったものだがなァ。」


 果たして仰向けになったアヴラムは微笑んでいた。


「珍しかったので、態態(わざわざ)言ったのですよ。」


「お前は淀みなくものを言うから好きだ。

 諫言にしても讒言にしても戯言にしてもなァ。」


「閣下の信に足る騎士()らんとしているだけです。閣下の軍制改革で僅かなりとも騎士の地位が見直されたことは大恩ですからな。」


「ほれっ、またしても淀みなくいう。」


 アヴラムは非常に愉快そうにしていたが、不意に笑い止むと傍らの炉から火掻棒を取ると殆ど真上に向けて投擲した。

 天幕の布を破って黒尽くめの男が現れ、寝台の傍ら、炉の上に背から墜落した。

 途端に屋外の冷気が吹き込み、アヴラムは裸身を守るべく天幕の切れ端を器用に躬に巻いた。

 少し湿っぽく風通りがひどかった。

 吹雪の所為か、はたまた衛兵が尽く始末されたのか、これほどの騒ぎでありながらかけつける者がいない。


 腹に火掻棒を生やした男は熱さと痛みで沼田打のたうっている。

 アヴラムは男の顎を蹴りあげて仰向けに直すと火掻棒を肩口に追加して固定してやった。

 ディミトリもまた両手もろてに光の長剣を顕し駆け寄った。


「人の寛ぎタイムを遮るたぁ、汝、育ちが悪いなァ。」


 床と背の隙間からもうもうと煙が上がっている。

 アヴラムはスンスンとその煙を嗅ぐと、手を伸ばして男の皮膚を染めている黒を刮げ取って嘗めた。


「白樺樹液で皮膚を染めてんのか。

 古いヴェスラン人のやり口だなァ。」


 言いながら投げ出された男の左腕の先を戞戞ガツガツと踏みつけると軈て指先から何かが欠けて転がり落ちる。


「変わった暗器オモチャだなァ。」


鉄の爪(バグ・ナーク)

 東方の異族のものですな ((2))。」


 ディミトリが拾って云った。

 アヴラムもまた爪の一欠片を拾い上げて、この哀れな闖入者に向けた。

 男が情けのない声と共に首を激しく左右に振るのを見て、彼女の顔がパアッと明るくなる。


「そうか!

 わかったぞ、毒かァ!」


 云うがはやいか投げれば、欠片は男の左目を正確に射抜いた。

 男の身悶えが殊更激しさを増す。


「殺して良いので?

 誰の指示か聞き出さねば。」


 ディミトリが光刃を突き付けつつも問う。


「いいさ、

 幸いにして、情報源に困りはしなさそーだしなァ。」


 アヴラムが満足げに云うと、天幕の入り口がするすると開いて、足下に横たわる半死半生のそれと同じ装束の一団がぞろぞろ現れた。

 一団の先頭に立つ男が右手に長剣を掲げる。

 見れば門衛騎士の生首があった。


「結構結構、

 さぁて、やるかぃ。」


 アヴラムは不敵に笑うと両腕を胸の前で交差させて、手掌に大鎌を発現させた。併せてディミトリも無言で身を低くし光剣を構える。


 円卓を挟んだ暫しの睨み合いの後、先頭の男が空いている左手を僅かに動かすとほぼ同時に左右から7人の男が躍りかかった。

 而して同時に交差していたアヴラムの腕が解かれ左右に広げられる。

 向かって左手からかかった四人は腹を鎌に裂かれ、勢い剰って臓物を天幕の壁にまで飛ばして重なりあって崩れた。

 右手からかかった二人は首を飛ばされた。

 やや背の低かった右端の男は下顎より上が無くなった。

 残った一人はよく磨かれた円卓の上を滑るようにして突き進み、両脇の味方を葬った二つの鎌による初撃を器用にかわして懐に入ろうとしたが、その前に素早く切り返された左方の鎌が下腹部を水平に薙いでいた。机上の死体はそのまま崩れ落ちたものの、勢いと血返吐のぬめりから暫しのろのろと進んで、円卓の端まで来るとずるりと落ちた。

 七人の死を確認するとアヴラムは事も無げに「ふぅ」と息を吐いた。


「お引き取り願えるかなァ?

 すれば、死なずにすむかもだぜ。」


 光刃に血はついていなかったが、アヴラムは払うように鎌を一閃させた。

 一団は動かなかったが、内数人の筋肉が黒衣の向こうで強張っているのがアヴラムには解った。


「応じないかァ、まぁいい。

 少なくとも、私に襲いかかりさえしなけりゃ、

 正確に云うと、傍らの老紳士の方に襲いかかったなら、

 汝ら、少し(ちっと)はマシな死にかたできるかもなァ...確証は無ぇが。

 あぁ、それから先頭の汝はだめ、あとで誰の差し金かじっくり聞くでなァ。」


 アヴラムは鎌でディミトリを指し示して欠伸をした。

 一団は各々暗器を構えた。

 アヴラムは目尻の涙を人差し指の腹で拭うと呆れたような顔になった。


「悪い話ではないと思うんだがなァ、

 負け戦でおめおめと帰れない、私ならせめて楽に死にたいねェ。

 そうだろ?ディミトリィ。」


「はっ、

 永寿の末に眠るように老衰、憧れますなぁ。」


 ディミトリは構えはそのままに、威勢のいい声に続いて間延びした答えを返した。


 先頭の男がまた手を僅かに動かす。

 一団は一斉にアヴラムに向けて暗器を投擲した。

 迅速で軽やかで加えて揃った動きであったが、彼女にはよく油が回っていない機械のように見えた。


「アラ残念っ」と一声、アヴラムは舞踏のステップを踏むようにタイトな物腰で数歩下がると、身を小刻みに震わす様にして飛来した剣戟を丁寧にかわした。

 男たちが替えの暗器に手を伸ばす前にディミトリの斬攪が始まり、その始終に渡ってアヴラムは興味なさげにクシャミを繰り返していた。


 ほどなくして破れた天幕と細切れになった闖入者らの破片が天幕の入り口から雪崩出たのを認めて、騎士たちが漸く殺到した。


「久しぶりに愉しかったなァ、

 はらはらしたなァ、ディミトリよ。」


 アヴラムは満悦し殺到した騎士に事後処理を命じたが、ディミトリは先程の戦闘の最中に心中で覚えた不満を口にした。


「危ういですな。

 此様な場面に立ち会うと、

 父公の継承者指名を疑いたくなりますな。」


()言す()()

 治す気無いんだから。」


 アヴラムは特に気に留めた様子もなく、すっかり吹きさらしになった寝台に腰をおろした。

 纏うために裂いた天幕の隙間から外を除けば、騎士の屍が累累とあった。


「して首領は?」


 向き直ったアヴラムが問うと、ディミトリは「これに」と言って、四肢をもがれた男の背を踏みつけた。先程まで一団の先頭にいた者であった。


しからばつらだなァ。」


 アヴラムが溌剌と云うと、ディミトリが顔をしかめた。


つらの皮を御所望ですか?」


 ディミトリが探るように尋ねると、今度はアヴラムが顔をしかめた。


ちっげぇよ、

 染料落として面拝ませろって言ってるんだよ。

 私とてそこまで残虐じゃないわ。」 


「一概に言えますまい....。」


 じたばたするアヴラムの足下に転がった革張りの水筒を見てディミトリは少しく理不尽さを感じた。


「しかし、下手を打ったなァ。

 黒衣の暗殺者よ。」


 アヴラムはディミトリの踏む男に視線を落としてそういった。


「切羽詰まった局面で一斉に私を狙ったんじゃあ、

 汝らの最低限の目標が私の命だとバレるだろーがよ。」


 寝台から降りたアヴラムは件の水筒に躓いて「探したんだぜ」とこれを拾った。それから中の酒を流し込みつつ歩み出し男の前まで来ると片膝をついた。


「バカなのか愚かなのか、それとも私を狙ったことが寧ろ陽動?」


 子供をあやすように視線を低くしてやると、男は吐血と共に咆哮を上げた。

 アヴラムは頬に着いた吐血を親指で拭い丹念に嘗めとった。


「まぁ話は都に戻ったらじっくり聴かせてもらうかなァ。

 変態のいる牢に繋いでおけ。」


 ディミトリはさきに感じた理不尽さを強めつつ、踏みつけを解いて騎士らに下がらせた。四散した屍と男もまた引き摺られて退場した。


「天幕の補修終りました。」

 

 後方の布の向こうから声がした。


「おう、御苦労。」


 寝台の雪を払って寝転がったアヴラムが礼を云うと、ディミトリもまた円卓に座り直した。


「出て行かんのか?ディミトリ。」


 アヴラムは薄目を開けて円卓の袂を見た。


「明日、馬上にて睡はとります。

 怯弱な懦夫が門衛では閣下が寧んじて眠れますまい。」


 ディミトリの言に対して、返事がわりにアヴラムは鼾の真似をしてみせた。

 屋外の風音のけたたましきに紛れて僅かに悲鳴の様なものが聞こえた。




────────────────────


○考注


 ((1))クヴァシルとはエウロシャーダの南、内海を挟んだ対岸に位置する国家カルトハダシュトを構成する都市国家の一つである。

 元はエウロシャーダ西部のナヴァラ人の知識人らによる植民都市国家であったが、後に高等学士アラ・クヴァシリを元首とし、学生クヴァシリンが自治する学園都市となった。

 放逐暦三世紀ごろまで王政が存在したが、カルトハダシュトの後盾を得た学生運動で打倒された。また、古代シーラス語を公用語とする数少ない都市でもある。大学堂で行われる全学討論会は荒れることで有名である。

 クヴァシルを出た者は高級官僚として各国で召し抱えられるが学生クヴァシリンの殆どは卒業できずにクヴァシルの国民としてクヴァシルで一生を終えることが多い。

 国民=学生は10の寮と12の委員会の何れかに所属し、所属する寮と委員会の名を氏姓とする。


 ((2))正確にはバグ・ナークはエウロシャーダの東方、亜大陸ジャマダハルの山岳民族が用いる暗器であるが、シーラス以東の知識が乏しいエウロシャーダに於てこの事を知っているものは少ない。そのためディミトリは大まかに「東方異族」と云った。形状は爪状の刃を生やしたナックルダスターであり、派生型として端にナイフを取り付けて殺傷能力を上げた「ビチャウ・バグ・ナーク」なる武器も存在する。



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