六
◯第六段「デジャメイクハー」
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姉妹は昨日の一時的に目覚めてから、窓辺の寝台にて死んだように寝入っていた。
寝台の傍らに置かれた椅子の上、農夫は朝餉に焼かれたベーコンの最後の一枚を長々と食みながら姉妹が再び目覚るのを待った。また昨晩から目覚めた姉妹に対して何を問い、何を語るべきかを慎重に考えていたが、時刻は既に正午を過ぎていた。
昨日寝台を奪われてから姉妹の寝顔を見て農夫には一つの疑念が生じていた。
「混血児か」
農夫は袖口で唇の油を拭うとその疑念を口に出した。
「はい?」
皿を下げる妻がいぶかり、声をあげた。
「この娘たち、西側の血が入っておる。
骨格からして───」
言い終わる前に台所へ去る妻からため息のみが返された。
農夫は不満げにあくびをした。
窓の外は晴天であり絶好の放牧日和に見えた。
──この娘の父祖はどこから来たのであろうか。
農夫は窓の外をぼんやり望みながら思った。
放逐戦争以来、征戦を除けば東の塞外に進んで出ていくヴェステンブルク人もといエウロ地域民などそうはいない。
姉妹の相貌を見るに片親か近い父祖にエウロシャーダの民が居るように思われる。また昨日、光の弓が現れたあの場で開いた姉の瞳が灰であったこと一瞬でありながら老農夫は記憶していた。
農夫の脳裏にマールでの惨劇が過り、彼は考えることをやめて、かわりに姉妹の持ち物をあらためることにした。
特段、かわったものはなかった。
燧石、軟膏、ランプ、飲料水などである。
不意に寝返りをうった妹の手掌から輝くものが手放され、布団をするすると滑り、音をたてて床に転がり落ちた。
玉虫色のバタフライナイフであった。
その玉虫色を農夫は知っていた。
「モルケストラ鋼か。」
農夫は驚き、おそるおそる拾い上げた。
モルケストラ鋼はシーラスに於いて産する希少な金属であった。
そもそもシーラス人はモルケストラ鋼を求めて無理な遠征を繰り返していたとも言われる。その刀身は呪者によって鍛えられ、シーラスが媒介した呪いを打ち消す力があった。故にシーラス人は占領地の感染者を支配するためにモルケストラ鋼製の武器を有していたらしい。
しかし長引く遠征とそれに伴う過度の採掘によって放逐戦争前にモルケストラ鉱脈が枯渇したことで感染者を御せなくなったシーラスは敗れたと言われる。それゆえに現在ではかなり貴重な品であり恐らく名のある族長でなければモルケストラ鋼製の武具は持てぬだろう。
何やら銘が彫られていたが農夫には解読できなかった。
「起きたら聞くかな。」
農夫はナイフを他の荷物と一緒に傍らに置いてやり、席を立った。
漸く仕事に向かった夫を見て妻は安堵の表情を見せた。
それから寝室に戻って、昼過ぎの日差しが眠る姉妹の顔にかかっていることを認めて、カーテンを閉めた。
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「何故助けた?」
ソーニャは敵愾心を隠さなかった。
プラタを抱える左腕に力が込められ、包帯越しの右腕が憎しみすら覚えたように小刻みに震えた。
農夫は黙っており、妻は我関せずといった具合に窓の外に迫った夕闇を見て部屋の燭を灯した。
「何故助けたっ」
叫びに近い二度目の質問が発せられ、農夫は応える気になった。
「負傷した幼子を救うのに理由などいるのか?」
ソーニャは暫し怯んだように下唇を噛んだ後、絞り出すように言った。
「オマエはヴェスラン人で、私はシーラス人だろう。」
「そんなことが助命せぬ理由になるとは思わん。」
農夫はあくまで毅然と、更に畳み掛けるように続けた。
「俺がお前たちを何故助けたかは重要でない。
なんと言おうと俺は助けたことを悔いていないし、
助けたことに他意も腹積もりもないのだからな。
奴商に売るつもりなら、この家でただ一つの俺の寝床を譲ったりはしない。今ごろ土間の麻袋の上さ。
寧ろお前たちこそ、これからどうするのだね?」
農夫は自らの問いにソーニャが答えあぐねているのを見て話を変えることにした。
「申し遅れたが、俺はアルノーという。
こちらは家内のアグリッピナだ。
姓はヘタイロイ。
お前たちの名は?」
「.....プラタ。」
「ソーニャ。」
妹が答えたのを見て姉もおずおずとその名を告げた。
「エウロシャーダ風の名。
やはり父祖の何れかがエウロイなのだな。」
「オマエには関係ない。」
元から悪い気分を更に害されたという具合でソーニャがいった。
「確かに直接的にはないが、
混血の所為に元の部族に帰れないのなら話は別だろう。」
「もとから東に帰る気はないっ」
怒気は先日の弓を引かんばかりであったがアルノーは怯まなかった。
「ではお前たちは何処へ向かっていた?」
「それは──」
ソーニャの答を遮ってアルノーは続ける。
「言っておくが、僧院の荘園で働くのは六つかしいぞ?
お前たちはシーラスの血が濃すぎる。
荘園でやとった小作人として周囲を騙すことができぬほどな。
結局は大公に差し出されて殺される。それならまだ良い。
もっと凄惨な目に遭うことも十分に考えられる。
腐敗した僧院の生臭坊主どもがお前たちを見て何を考えるかなど知りたくもないが。」
「ではどうすればいいの!?
オマエが養ってくれるとでも?」
ソーニャは傷ついた腕で布団をかきむしり、プラタは目を瞑った。
「それもよかろう。」
アルノーは落ち着いた様子で即答した。
「だが、シーラス人を匿うにはここは適さぬから、
中部の黒の山に越す。
あの山のはぐれ騎士たちに掛け合おう。」
黒の山は南北に長いヴェステンブルクの国土に於いて丁度中央あたりにある高い山である。中南部のヤスーラ湖の北西の湖畔に位置し周囲は密林に覆われていた。この山に屯する集団が二つある。
一つは黒の鷹匠と呼ばれる浅黒い部族であり彼らは放逐戦争以前から黒の山とその周辺の領域に住み着いていた先住民であった。
もう一つははぐれ騎士である。
騎士に対して厳しい差別意識と兵役義務があるヴェステンブルクに於いては、只人だった者が後天的に騎士の呪いを発症した時点で、それらから逃れようと逃亡してしまうということが往々にしてある。そういった逃亡騎士を中心に侠客や一部のシーラス難民が寄り集まった集団が「はぐれ騎士」と呼ばれている。
「私たちまで越すことはないのでは?」
アグリッピナがうんざりしたように言う。
「はぐれ騎士は騎士といえども、実質はならず者に等しい。
そこに子供ばかり二人も寄越すと言うのは厳しかろう。」
アグリッピナはそれ以上の反論をせず部屋を去った。
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アグリッピナが三下り半を残して家を去ったことにアルノーが気がついたのは翌日の未明であった。
怒り狂って家具調度を破壊するアルノーに対して、ソーニャは恐れるプラタを膝上に抱えながら冷めた目で見ていた。
昼前になって漸く落ち着いたアルノーが煙草をふかしはじめた。
「手はいいのか?」
おもむろに煙を吐いたアルノーがソーニャに尋ねた。
ソーニャは無言で包帯をとった。
すると、傷は綺麗に塞がっていた。
「それも光の弓の力か。」
アルノーは家具を壊したことで細かい擦り傷切り傷を負った両腕を見下ろして自嘲気味に笑った。
「これでも助けたことを悔いてないの?」
ソーニャが問うた。
「少し悔いたが。
大したことじゃあない。」
アルノーは両腕に向けていた笑みを力なくソーニャに向けた。
「理解できない。」
ソーニャはそう言ってプラタの髪を撫でた。
未明に起きてしまったこともあり、プラタはいつの間にか眠っていた。
「昔、俺たちの国とお前たちの国で大きな戦をしていたことは知っているだろう?」
アルノーの問いにソーニャは頷いた。
「俺もあの場にいた。
戦局は一方的でタハルからヴェステンブルク国境までの草原地帯にあった六十あまりの万戸が全て燃やされた。
聞きたくないか?ならば話さぬが...。」
ソーニャが首を横に振ったのを見てアルノーは続けた。
「ところがタハル万戸を占領したところでシーラスの大攻勢に遭った。
孤立した我ら占領軍はタハル万戸の女子供を人質にしていたが、
シーラス側が怯まぬのを見ると自暴自棄になり敵に包囲されている中、タハル万戸で焼き働きを始めた。やがて包囲していたシーラス軍の突撃が始まった。そこで俺は気が付いた、突撃したシーラス人の旗や辯髪がタハル万戸のものとは違うこと、つまり包囲軍はタハル万戸のシーラス人とは部族が違い、またタハルの族の殺戮に躊躇がないということに。気が付いた頃には包囲軍の無差別殺傷が始まっていた。
そのころ俺はしがない番兵で人質の監視を任されていたが一目散に逃げて目にとまった長持の中に隠れた。逃げる前に人質の牢を解いていないことに気が付いたが、もはや立てなかった。
やがて蹄鉄の音がけたたましさを増し、シーラス語に代わって聞きなれた共通語が聞こえた。長持を出てみると味方が勝利していた。包囲網の外から味方が攻撃を仕掛けて包囲軍を追い払ったらしい。牢の跡に行ってみたら屠殺場みたいになっていたよ。それで俺はいたく後悔した。先程悔いたと言ったが、このときほど悔いることはこれから先ないだろうな。」
力ない笑みは暗澹たる無表情にかわっていた。
「今日は休め、
明日から出立の用意になるぞ。」
倒れた棚から堅パンを二つ取り出して寝台の足元に置いて、アルノーはふらふらと部屋を出た。