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◯第五(プラトー)「風にかたりて」


─────────────────────


 ヴェステンブルクまでの帰途である。

 黄昏時に薄汚いシーラス人の姉妹を前に見せた狂喜から一転してアヴラムは夜営地の篝火を背に夜闇の森を見つめていた。

 国境より西に暫く行けばシーラス人の草原が終わり、草原を穿つ崖があられる。崖を下ればそこはプルーセンの地まで続く深大な森である。天蓋には雲が出ており月は見えない。また国境に近い森林地帯には放逐戦争から三百余年が過ぎた今も住むものがなく、夜営地の火を除けば明かりはない。


「戦」と「暗闇」


 つくづくこの二つがアヴラムの心を魅了する。

 東から愉快な遊び相手(シーラス)がやって来る前のエウロ地域シャーダ世界はこのような純粋な暗闇と濃厚なしじまに満たされていたことだろうとアヴラムは感慨を覚える。

 そしてまた彼女は放逐戦争サイラズレコンキスタの行き着く先は、このようなシーラス以前の原初の暗闇であるべきとも考える。

 後背の篝火や歩哨の紙燭に照らされる闇夜など正しくはない。

 全てはシーラスのもたらしたものであるのだから、それはシーラスの肯定と同じである。

 太陽ペズ崇拝すらシーラスがもたらしたものであり、古きヴェスラン人は暗く深い森に潜む万の神を崇めていたときく。


「閣下、天幕の用意ができました。」


 若い将兵が松明を手にアヴラムに告げる。

 アヴラムは「黙り去れ」という意を冷めた笑顔で示し、一寸して将兵が去らぬことを見ると、次に笑みを解いて眉をひそめて嘆息し、終に首を横に振った。軽蔑的で問うような眼差しに将兵は一礼をして去った。


「ありがとう。」


 アヴラムは首をかすかに動かして素直に礼をいった。

 静寂を割いて強い風があってアヴラムの背で外套のフードがバタバタと言ったのでアヴラムは外套を脱ぎ捨てた。

 露になった鎧が風に撫でられ冷たさを増す。

 外套は風下に去った。

 ゆるい弧を描いて風下に落ちて行く。

 一瞬にして闇の帳の奥に見えなくなった外套にアヴラムは満足した。



────────────────────


 暖房の効いた天幕に入るとアヴラムは鎧を脱ぎ捨てて赤裸になった。

 天幕の中央には円卓があり、ディミトリが方々からの書状を精査していた。


「殊勝殊勝。

 都からの続報はあるかね?」


 アヴラムは脱ぎ捨てた甲冑より革の水筒のみを取り上げながら問うた。


「いえ、されど帰還次第、アルミニウス殿が話したいと。」


 アヴラムの問いに拝跪したディミトリが応える。

 アヴラムは構わずディミトリの横を通りすぎ話しつつ天幕にの奥を目指した。


「うむ、

 明日、レキバルの城に早馬を出せ。

 フラワリーワイン侯に祝い酒を買い付けようぞ。」


「祭り好きの御仁だ。

 フラワリーワイン侯なれば、

 御子の誕生を知れば放っておいても酒を持って現れましょうぞ。」


 書状の精査に戻ったディミトリが表情を変えずそう言ったのを聞くと、アヴラムは笑いながらレース編みの御簾を捲って、更に奥の寝台に身を投げた。


「よせやぃ、放逐暦387年物をつかまされるのがオチだぜ?」


 クッションに押し付けられた口がこもった声で言ったのを聞いてディミトリは書状から目を離した。


「失礼、フラワリーワイン ((1))には詳しくありませぬ。」


 アヴラムはつまらなそうにクッションから顔を上げ上体を起こした。


「記録的な不作の年だよディミトリ。

 それで他にめぼしい報はあるかな?」


 ディミトリは書状の束の下層から一枚を取り出すとアヴラムに差し出した。


宗主国プルーセンからです。」


 アヴラムはレース越しに「いらぬ、読み上げろや」と手を払う。


「厳密には閣下がガリア遠征に派遣した騎士長サリッソポロイ卿からですが。

 プルーセン軍が三日前にロレーヌとヴェルダンを陥落させたとのこと。」


「ガリアとの戦は順調なようだな。御苦労なことよ。」


 アヴラムはクツクツと煮えるように笑うと水筒の中身を嚥下して仰向けに寝転がった。


「このまま、西に進撃すればイルルヤンカスの長城にあたりますな。

 如何にプルーセンの兵が精強と云えども、かの長城を破るのは厳しいかと。」


「かまわないさ。

 宗主国プルーセンが苦戦したのなら、ウチの騎士団の貸し賃を少々引き上げてやれば。

 宗主国プルーセンの民の血税で我らの国庫が潤う。最高じゃねぇか。」


 アヴラムは手を上げると宗主国たるプルーセンを敬うことなく玩弄する発言を標榜するように水筒を手中でクルクルと回した。


「何れにせよ。祝賀ゆえサリッソポロイ卿は呼び戻せ。

 プルーセン軍が如何に危機的な状況にあろうともな。」


「御意と言っておきましょう。」


 ディミトリは書状を纏めると小脇に抱えて天幕を去ろうとした。


「おやすみディミトリ。」


 アヴラムは枕元の燭台を吹いてかきむしるように足元の布団を引き掛けると目を塞ぎ夜闇に包まれた。




────────────────────


○考注


 ((1))エウロシャーダ東部の上流階級に好まれる食前酒、ガリア以西の地域では珍しさから食前酒に限らず嗜好品として愛飲されている。西レキバルのフラワリーワイン侯爵領(家名のもとともなった)で産出される良質な貴腐葡萄果汁にサワーリーフや金木犀の花、季節の果実を漬けて発酵させたもの。サワーリーフの葉や金木犀を漬けたことで発生した沈澱物は瓶詰めの際に濾過された後、他の香草と混ぜて天日干しにされ匂袋のタネに加工される。フラワリーワイン領の有力者の多くはこの匂袋を宝飾品の一種として身に付け、年老いた者は僻邪の効能があるとして匂袋のタネやフラワリーワインの搾りカスを歯噛みにしているため、フラワリーワインの仄かな香りは"レキバルひとの体臭"と形容される。

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