表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/19

◯第二(プラトー)「放逐暦四世紀の精神異常者スキッツォイドマン


─────────────────────


 ヴェステンブルク大公国はエウロ地域シャーダと呼ばれる亜大陸の中東部に位置し、西をプルーセン、南をノースレイア、北東をポルスカと接し、東より海岸に打ち寄せる白浪にも似て来寇するシーラス人より西の諸国を護る防波堤である。


 というのは嘗ての話である。遥か東にあるシーラス本国の弱体化と共にシーラス人の軍事的且つ組織的且つ脅威的な侵攻は鳴りを潜め、そこそこ頻繁ではあるが小規模な氏族や難民の集団が国境を荒らす程度で、戦にもならない。

 初代ヴェステンブルク公トリストラム一世は三百余年前の放逐戦争サイラズレコンキスタによってシーラスより奪還したヴェスラン人の首邑─後のヴェステンブルクとその近隣の領域を領地に、家名をヴェステンブルクとし、その子孫は代々この地を継承してきた。

 家紋たる双頭の鷲から"双頭の鷲を頂くエウロシャーダの盾"と人々は評した。


 現生の大公は名をアヴラム二世女公といい、後にサイラズクトノス(Sarlazoktonos)の諡号(おくりな)で知られることになる。彼女はトリストラム一世から数えて九十三代目の大公となる。三百年の間に百代に近い公位継承を繰り返したのには訳がある。公統の初期に於てシーラス人の反攻は甚だ激しく、幾度となく首都ヴェステンブルクは陥落し占領され、また奪還され、それに伴う大公の戦死が度重なり、兄弟相続や臨時で中継ぎの大公の擁立と廃位を繰り返した結果である ((1))


 アヴラムは残虐な女であった。それは"サイラズクトノス(シーラス人殺し)"という諡号にも現れている。元は彼女が国境に近づくシーラス人難民を近衛騎士を率いて無差別に殺戮したことからつけられた通り名であった。父である第九十二代アウグスト公の代に宗主国プルーセンで大規模な内戦が発生したことがあった。「蛇を喰らう鷹」の紋章を戴くプルーセン王家から九人の王が擁立されては無惨に殺されていったことから九王戦争(ヒドラ)と呼ばれた。彼女は若き日に遭遇したこの苛烈な戦火を忘れられず、殺戮に至ったのだろう。而してアヴラムは次第にその興味をシーラス難民に対する残酷な謔浪から秘めたるエウロシャーダ制覇の野望に移していくことになる。


 九王戦後の放逐暦314年、父アウグストの病没に際して僅か十七の齢でアヴラムは大公位を継いだ。アウグストにもアヴラムにも男兄弟はいたが、権謀術数公の諡号を付されることになる謀将アウグストは九王戦争(ヒドラ)に於ける采を鑑みて予てよりアヴラムを後継に推していた。ヴェステンブルクに於いて女公の即位は決して珍しいことではなく、中継ぎの君主としては前例が幾度もあったため、問題なく受け入れられた。しかしその若さには多くの者が驚いた。戴冠をされたものの被るには一回り大きな黄金の冠を膝の上に置いて玉座に座る少女の姿は百代近い相続を繰り返したヴェステンブルクに住まう国民の目から見ても異常であった。


 衝撃的な即位とは対照的にその治世は平和であった。

 厳密に言えばアヴラムは公務に於いて大きな失態をせずそつなくこなしてはいたが、逆に大きな功績もなかった。しかし彼女のことを先代のお気に入りで即位した温室育ちの柔な娘と認識し彼女の即位によって国が乱れるのではないかと危惧していた国民からすれば、功績らしい功績がなくともアウグストが造り上げ隣国の戦火から守った安定を維持しただけでも平和と呼ぶに値する治世であった。アヴラムによる数少ない内政面での功績としては家格の整理がある。放逐戦争サイラズレコンキスタの時代、初代トリストラム公に使えたヴェスラン人の有力族長が数人いたが、以降の勢力興替でその家柄の幾つかは没落していた。アヴラムはそうした家柄から有望な子弟を登用し、「元勲侯」などといった爵位を与えた。

 また、九王戦争(ヒドラ)が終息しアヴラムが即位してから戦は起きなかったと言われるが、アヴラムは東のシーラス人に対して五度の遠征を行っている。鎮が居並ぶヴェステンブルク東の国境から東進すれば「万戸」と呼ばれるシーラス人の集落が幾つかある。難民の大きな流入があるたびにアヴラムは国境に近い万戸に軍を率いて侵攻し、時には破壊した。この時、アヴラムは軍の主力に騎士と元勲侯の私兵や傭兵を用いた。本来、ヴェステンブルク軍は有事に於いて市民を歩兵戦力として召集し機動戦力たる騎士と併せていたが、騎士に差別意識を持つ市民と健常者に反感がある騎士との連携が極めて悪かった。アウグスト公の頃、シーラス人最後の組織的な大攻勢「マールの合戦」に於いて戦局が有利であったにも関わらず、前線に展開していた騎士団を後方の軍が見捨てて壊滅させたことが、その最たる例であろう。独立色の強かったこの二つの勢力を共に率いて断続的に遠征に繰り出してその戦利品を分配して満足させることで、アヴラムは反目すらあった私兵と騎士達を自身に忠実に従う単一に近い征服軍に変容させた。


 そして彼女は平時の大公としては珍しく騎士を差別的に扱わなかった。彼女自身が後天的な騎士であったからである。ヴェステンブルク大公家は後天的な騎士を度々輩出する家柄であった。兵役が減少した騎士に対してアヴラムはかわりにシーラス難民追討の任務を与え、自らも陣頭で難民を殺戮した。




─────────────────────


○考注


 ((1))百代に近いヴェステンブルクの王統であるが、大まかに第一次スラゴン朝・ベズィムン朝・第二次スラゴン朝の三期に分類される。第一次スラゴン朝 (スラガン朝とも)はシーラスから独立を果たしたトリストラム一世の一族であり、第四次首都(ヴェステンブルク)占領の際に一度壊滅した。

 そこで時の外戚が中継ぎの大公として創始したのがベズィムン朝である。その外戚というのが純粋なヴェステンブルク人ではなく馬追い人(ベズィミャンヌイ)と呼ばれる遊牧民族の出身であったためベズィムン朝と呼ばれる。また、ベズィムン朝は創始した馬追い人(ベズィミャンヌイ)一族の氏族名「勃児台緊ボルテギン」をとってボルテギン朝の名でも呼ばれる。

 後にベズィムン朝もが断絶すると第一次スラゴン朝を構成していたヴェステンブルク家の分家で最北部の領主だったコーブルク=ヴェステンブルク家の子弟を呼びヴェステンブルク大公家を再興した。これが第二次スラゴン朝(コーブルク朝とも)であり、放逐暦四世紀に於てヴェステンブルク大公国を統治しているのがこの王統である。

 また、スラゴン朝の由来は大公家の高祖とほきみおやであり、初代大公トリストラム一世の祖父にあたる人物であると言われる。



・第一次スラゴン朝初期の系統


  北部ヴェスラン人族長

     スラゴン

  (放逐前1世紀中葉?)

  ┏━━━┻━━━━━┓

 スラーガイール   リキメル

(前1世紀末)   (前1世紀末)

  ┃      ┏━━┻━━━━━┓

 スラゴン   ゾエ一世 ((2)) トリストラム初代大公 ((1))

(前17年   (前21年  (前25年~放逐暦5年)

~放逐暦50年)~放逐暦30年)

  ┗━━┓   ┗━━━┓

  コーブルク=   ヴェステンブルク大公家

ヴェステンブルク家 (第一次スラゴン朝 29代)





・ベズィムン朝(ボルテギン朝)初期の系統


           南部馬追い人(ベズィミャンヌイ)貴族

            勃児台緊ボルテギン

ヴェステンブルク大公家  ┃

(第一次スラゴン朝)  也速該イスカイ

      ┃      ┗┳━━━━┓

     アラリック ((29))=公妃斡耳朶(オルダ)  女子?

(放逐暦62年~87年)    ┏━━━━┛

               夜朗(ヤラン) ((30))

           (放逐暦59年~91年)

               ┃

          ヴェステンブルク大公家

           (ベズィムン朝 10代)




・第二次スラゴン朝(コーブルク朝)初期の系統


 ヴェステンブルク大公家   コーブルク=

 (ベズィムン朝)     ヴェステンブルク家

     ┃         ┃

    雪亥(シーガィ) ((39))      コーブルク侯ムンズク

(放逐暦100年~123年)(放逐暦73年~114年)

      ┃         ┃

    公妃阿史那(アセナ) = ブレトワルダ一世 ((40))

          ┃(放逐暦94年~136年)

     ヴェステンブルク大公家

     (第二次スラゴン朝)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ